ぬま大プリント_杉浦美里

【生きづらさを感じるあなたへ】死にたい子育てからの脱却。 (2019.11.26 ぬま大学第5期最終発表会 プレゼンまとめ)

私はかつて、
漠然と「死にたい…」「私は死んだ方がいい」と思いながら子育てをしていました。(産後ウツかも?) 周りの人たちには驚かれます。
本当はとても辛かった。
そんな時期をようやく抜け出せたような気がするので書き残してみます。今でも、たまに「あ、やば、死にたい…」って思うことあるけれど、そうなる理由がわかったから、対処もできるし、だいぶラクになったのです。

長くなるけど、ちょっと私の話を聞いてね。

※ぬま大学第5期最終発表会でのプレゼンから引用します。
その時の動画はこちら!
https://youtu.be/WWc84vejFyc


◎完璧な丸になろうとしていませんか?

「死にたい」と思いながら日々を過ごしていた私は、今思えば、家事・育児・仕事も、完璧な母親になろうとしていました。

でも、完璧にやろうと頑張ればがんばるほど、辛くなっていく一方で。
特に子育ては、がんばった成果が点数で現れるわけでもなく、家事を完璧にやったところで当たり前のこととして日常に流れていき、また同じことが翌日も繰り返される。そして、子どもを育てたことがある方はわかると思いますが、やろうと思ったことを最後までやり切れることの方が少ない。トイレに行くことさえ、自分の行きたいタイミングで行くことが許されない。つ、つらい...

学校で各教科それぞれで満点を目指すように、どの分野も自分でやらなければいけないと思っていました。義務教育を普通に受けてきた私たちは、何事もそつなく平均点以上をとるということが素晴らしい、という価値観が埋め込まれているのかもしれません。
今思えば、『〜でなければならない』という呪いを、自分で自分にかけていたような気がします。

*それができる人はそれでいいんです!

でも、そんな人ばかりではない。
人間って本来、いびつなものなのではないでしょうか?

「そつなく完璧にやること」は、ロボットに任せておけるのだから。

◎だから、丸になることをやめました!

丸になることをやめるために、わたしがしたことは以下の3つ!

1.  苦手なことを苦手だと認めること

※ ありのままの自分を受け入れる。

私の場合、整理整頓や家事全般、コツコツ続けることや、細かく丁寧なことが苦手なのです。小さい頃から、人と同じようにできない自分がダメだと思ってきました。でも、そんな自分でも、とりあえず大丈夫。存在していてもいい。と、自分で自分に言ってあげる。何度も言い聞かせるように。
それだけですこしラクになります。

「できない時」、「どうしてもやれない時」は、諦める!
自分のために、やらないと決める。人に素直に頼ってみる。

そうしたら.... 押し出されるように、私の得意な分野である、企画実行力や速さや勢い、発信力などが活かされるようになってきたような気がします。

2.  自分がやる(やりたい)、やらない(やりたくない)を判断すること

※自分を整える。

「やらなければならない」ことを、私がやることが当たり前だからと、無意識にやってはいませんか?自然にやれるならいいけれど、やっている時、ルンルンしますか?イライラしながらやってはいませんか?

「やらなければならないこと」= 自分がやること
では、ありません。やらなくてもいい。誰かにお願いしてもいい。
自分でやらないと、いつの間にか誰かがやってくれていることもある。

大事なのは、やらなければ (思考) → やる (実行) の間に
やらなければ (思考) → **やろう(意志) **→ やる (実行)と
自分自身の意思決定があるかどうかが大事です。そのために、これは自分がやることなのか、と判断する癖がつくと、自分の人生の操縦席に座れるようになります。

すこし余談ですが、得意なこと・自分に必要なことをやっている時は、楽しいし、疲れない!!わたしはこれを、判断基準にしています。
子ども達をみていると、脇目も振らず目を輝かせて遊びに集中している時がありますよね。そんな風に取り組めることって、人によって全然違うと思うのです。ちょっとしたことでも、これは楽しい!これは自分がやりたい!と思えることをやれている時って、自分も嬉しいし、分かりずらいかもしれないけれど周りの誰かも幸せになっていたりするのです。

3.  自分で決めること

やること、やらないこと、やりたくないけどやること、やりたいけど今はやらないこと。判断できるようになってきたら、あとは決めてやるだけ。

時には、「これは、わたしがやることではないな」と判断しながらもやることはあります。(実際、無理してやるのでどっと疲れるw) はじめは、それでもいいんです。やらなければならないと思ってやるよりも、自分で「わたしがやらない方がいいことだけれど、いまはわたしがやる」と自分で決めてやっているから。
※小さい頃から親や先生に言われたことに素直にしたがってきた優等生ちゃんは、案外これが苦手なのです。自分で決める、ということを忘れている。

それと、タイミングもあります。
つい5分前までは絶対にやりたくないと思っていたれけど、今は「やってみようかな!」と思っている、なんてことはザラにあるのです。

だから、苦手だから一切やらない!というわけではなく、その瞬間瞬間の自分自身を感じて、臨機応変に自らの意思で「やる」「やらない」を決める、ということです。

この世に「やらなければならないこと」って一つもない!

自分でそう思い込んでいるだけ。

今思い浮かんだソレ、やらなくたって死にゃしないでしょ?

死ぬか、生きるか、の状況になったら、人は必ず「〜しなければならない」ではなく「〜したい」を選ぶのだから!

それぞれが完璧な丸の世界に生きると?

「自分のことは自分でやる」という価値観の中で生きることになります。実は完璧になんてできない人も、さも、できるかのように振舞わなければなりません。

みんなで丸になる世界で生きると?

「欠けている部分こそ個性!ありのままで大丈夫!」という価値観の中で生きるので、いま現在の等身大の自分と向き合い、できることできないことを認めた上で、できないことは人に頼ったり、頼った分人を助けたりという共助が生まれます。
自分の欠けているところが、誰かの活躍の機会になり、助けてもらう方も、助ける方も嬉しい。そんな幸せの循環が生まれていきます。

私はこんな世界に生きるということを決めてから
世界が色鮮やかに変わっていきました。

結果、なにがいいたいかというと

自分で決めるだけなのです!

環境などの外的要因は関係ありません。自分がそう在ると決めるだけで、周りの世界が変わっていくのです。

なんどもなんども、現実に飲まれそうになるけれど
その度に、深呼吸して本当の自分自身と対話して真ん中に戻ってくる。
昔の癖が戻ってきて、いつの間にか完璧な丸を求めて初めてしまうとまたツラくなってくるので「ちがうちがう、本当の私のカタチはこっちだった」って軌道修正していけばいいのです。

辛くなってしまう時は、ちがう方向に頑張ってしまっているだけだから。


そんな想いで、

#けせんぬま森のおさんぽ会
#けせんぬま旅する学校
#あなただけのメッセージリーディング
#まなびのカタチ
#抱っことおんぶと姿勢の話

などなどをやっています。
今年2020年はもっと具体的に事業化していこうと思います。


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