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私とライブハウス(SR-BOX閉店に寄せて)

諸行無常、栄枯盛衰。
いつまでも、あると思うな親と金とライブハウス。
宮崎SR-BOXというライブハウスが、2022年3月末をもって20年に渡る歴史に幕を閉じることが決まり、3/26-27に最後のイベントが行われました。

**SR-BOXをご存知ない方への注釈として、経営不振による閉店ではなく、新店ラザロへの希望のある移転のための閉店であることをここに記載しておきます。

ライブハウスが閉店する

私、現在宮崎県にてサムタイム時々というバンドをやっております。その前にも多くのバンドを渡り歩いて今に至るのですが、当然ながら地元のライブハウスとは懇意にさせていただいておりまして、 SR-BOXも私を育ててくれた場所の一つでした。

その場所が閉店する。新しいライブハウスにその意思は継がれるとはいえ、やはり悲しいというか切ないというか、感傷的になります。いい歳なので、いろんなものが生まれては消えて(そしてまた生まれることもある)いくのをすでにある程度目の当たりにしているにしても、です。
ただ、私はそのことについてこういう場所で触れようとは思っていませんでした。私が書かずとも、もっともっとライブハウスを愛しているであろう様々な人が発言してくれるからです。

というのも、ちょっと後悔していることでもあり、自分らしいと感じることでもあるのですが、私はライブハウスにどっぷり入り浸っていた人間ではなく、ある意味一歩引いて見ていた人間(もちろん自分なりの方法では全力で関わっていたつもりではあります。これは他の方々の行動や発言と比較して自分はこういう位置だろう、と考えている立ち位置です。)なので、私がそのことについてなんらかの感傷的、情熱的な発言をすることは何か違うような気がしてしまうのです。もっとそういうことを言うのにふさわしい人がいるだろうと。

今までもいくつかのお世話になったライブハウスが移転したり閉店したりといったことがあり、その度にそれなりに色々なことに思いを巡らせてはいたのですが、特にそれをこういった場所に書くようなことはしませんでした。

しかし、今回こうやってここに記録を残しているのは、今回のSR-BOX最後のイベントにお誘いいただき、出演する予定だったにも関わらず、それが叶わなかったからです。じわじわと悔しさが込み上げてきているので、文章に残したるわ、という気持ちで今これを書いています。

こんな世の中(2022/3/30は、2020年から始まった”コロナ禍”と呼ばれる暗黒時代の真っ最中)なので、もちろん出演できなかった理由は例のウィルスによるものです。ライブ直前に、濃厚接触者と判定される状態になりました。(もし私と濃厚接触したあなたがここを見ている場合のために書きますが、あなたが責任を感じる必要はありません。悪いのはウィルスですからね!)

ということで勝手にSR-BOXの思い出、ひいてはライブハウスと自分との関わりについて語っていこうと思います。

私と宮崎のライブハウス

ライブハウスって、どのくらいのサイズの都市に何店舗くらいあるのが理想なんでしょうか。人口や人口密度や都市の規模に関わらず地域性みたいなものもあるとは思いますが、、、宮崎が、他県と比較してライブハウスが多いのかどうかわからないですが、こと宮崎市内に関しては、十分な数のライブハウスがある(あった)と思います。それらの数あるライブハウスの中で、私は主に3つのライブハウスで活動をしてきました。
今回この記事を書くきっかけになったSR-BOX、私が一番お世話になっているFLOOR、そしてWHEATHER KINGです。他にもちょこちょこライブさせていただいた場所はありますが、バンド人生の9割はこの3箇所でライブをしているはずです。

私とSR-BOX

初めてSR-BOXに立った時のことはもはや覚えていない(20年くらい前のことを鮮明に覚えている人はきっとあまりいないと思います、それが初めてのステージでもなければ)のですが、一番SR-BOXでライブをしていたのは、2007年まで精力的に活動していたSWEETERというバンドの時だと思います。

探した限り最も古いSR-BOXでのライブの時の様子(2007.01.27)

非常によく覚えているのは、曽我部恵一BANDやArt-Schoolとの対バンですね。・・・とここまで書いて”本当にあれはSR-BOXだったっけ?”となったので頑張ってインターネット上に情報が転がっていないか探しましたが、見当たりませんでした。流石のインターネットもそんなに昔の情報はすぐ出てこないですね。(多分Volcanoっていうイベントだったと思うのですが・・・)

田舎のライブハウスは都会よりも、そういった有名なバンドと対バンできる機会が多いです。これは田舎のライブハウスの魅力ではないでしょうか。対バン組まれる有名なバンドの人がどう思ってるのかは私には分かりませんが・・・曽我部さんは大変優しい方でした。

ふと思ったんですが、”対バン”って言葉、ダサくていいですよね。

何かの略というわけじゃなく、バンド同士が対決するみたいなイメージから来ている言葉のようですね。そのうちこの言葉なくなるんじゃなかろうか。

とにかく、そのSWEETERというバンドでは、西日本ツアーファイナル をSR-BOXでやらせてもらったり、主催のイベントをやらせてもらったり、前述の通り、とても魅力的なかっこいい、(かつ知名度のある)バンドと対バンさせてもらったりしました。
今は活動休止して10年以上経過しています。最後にSWEETERでライブをしたのももう何年前だか覚えていないのですが・・・そのSWEETERも、今回のラストライブで久しぶりにSR-BOXのステージに立つ予定でした。しかもタイムテーブル上とても良い位置に置いていただいてました。なので余計に悔しい!

こちらがその最後のイベントの二日目の出演者が書いてあるページです。このリンクもいつかは404 not found とかページは見つかりませんでした・・・みたいなことになるんでしょう。悲しいですね。

SWEETERが活動を休止した後、私が一人で弾き語りしてる時も、今のバンド、サムタイム時々でも、何度もステージに立たせていただき、近年では年末の忘年会ライブに出演するのがお決まりになっていました。
この忘年会ライブも毎年いろんな出来事がありました。特に覚えているのは2017年の忘年会。ステージ上でお客さんと喧嘩を始めるバンドマン。その暴走を止めるのに必死になる他のバンドマン。その様子を静かに見守るバンドマン(私)・・・。翌年のイベント名が”暴年会”になるほどの出来事でした。

証拠を貼りますが・・・よくみたら2017年は(暴)で、翌年は暴が昇進しているんですね。

証拠:

昨年2021年もそのイベントには出演させていただき、結果として、私が最後にSR-BOXのステージに立ったのは2021/12/29の忘年会ライブになりました。

3月の最後のイベントには出演できませんでしたが、ある意味この年末のイベントに出演できたのでヨシ!と思うことにしています。だって”最後の””忘年会”だぜ!最高じゃん!

そして、何よりSR-BOX(および新店ラザロ)は、同年代が経営しているという点が、私にとって刺激になっています。
NHK宮崎のニュース番組で取り上げられた際の放送は、宮崎の、いや全国の全バンドマンが、この人かっけ〜!となったはずです。

ただの会社員である私からすると、これだけのリスクをとって行動できることに、ただただ尊敬してしまいます。

SR-BOX、本当にお疲れ様でした。音も照明もバーカウンターも素敵でしたが、特に天井の形が好きでした。

天井の形がよくわかるライブ動画がこちらです。手前味噌ながら。映像が残せていてよかったです。


私とFLOOR

SR-BOX閉店のともない、私より1回り下の年代くらいのバンドマンたちが、”青春をありがとう”といった感じのことをTwitterでつぶやいているのを見かけました。やはり10代を過ごした場所というのは誰にとっても特別なものになるのでしょう。

私がその極めて多感な10代を過ごしたのが、このFLOORというライブハウス・・・・の前身であるZETTONというライブハウス・・・と、さらに前身となる、KR STUDIOです。このライブハウス、同じ経営者の元、三度姿を変えてライブハウスを成長させているのです。すごいですね。
私は、この一連のライブハウスに一番お世話になっています。

初めてステージに立ったのは忘れもしない、KR Studioの、小さな、段差も少ししかないようなステージでした。客席に客電のスイッチがあり、油断して背中を壁に預けると客電を点けてしまう、という事例も幾度となくありました。初めてステージに立った私のバンド名は”コロモガエ”。思春期の男子は何を考えてバンド名をつけたのだろうか、今となっては全くわかりません。
LUNA SEAのコピーをやっていました。おそらく引っ張り出せば当時の写真の一つや二つ出てくるかもしれませんが・・・今でも初めてステージに立った日のことは鮮明に・・・とは言わないまでもふんわりと・・・覚えています。

今もそうなんですが、ギターの指板ばっかり見てお客さんの方をちっとも見れませんでしたが、みにきてくれた友人が”逆にクールでかっこよかった”といってくれたことや、ろくに服を持っていなかったのでボーカルのおしゃれな友人にズボン(パンツ?)を貸してもらったような記憶もあります。なんというか、、根暗だったんで・・・そのKR Studioそのものもすごい怖かったです。テレビゲームばっかやってるオタクだったんで・・・

そして対バンは兄のバンドでした。兄は当時”平成ドカーンズ”っていう勢いしか感じられないバンド名のバンドでギターをやってたんですが、なぜかこの時全然違うバンドでドラムをやっていた記憶があります。なぜ?

KR STUDIOの情報がインターネットで出てこないか?と検索してみましたが、やはり出てこなさそうですね。もちろんもうホームページなんてないでしょう。 ひょっとすると、当時はまだインターネットというものが今のように普及していないので、KRスタジオのホームページというものがそもそもなかったかもしれません。

(やばいな、これは話が長くなるぞ・・・)

とにかく、それからZETTONという新しいライブハウスが生まれ、しばらくはKR STUDIOと並行して経営されていた(はず)です。

ZETTONは、楽屋がすごく楽しかったです。ライブハウスの駐車場の一部に、ガレージみたいなのが建ててあって、その中が楽屋になっていました。
一生懸命探してみたところ、2007年の映像を発見したので、プライバシーに配慮しつつ貼ります。こちらが楽屋の中です。ガレージ感が伝わるでしょうか・・・。

ライブ前に緊張をほぐすために談笑する女性3人組の様子
1枚目と逆の方向から撮影された別の日の写真

客席の構造も、何度も変化していて、最終的にステージ前がボコって沈んでる感じになっていて、遠くからはステージと同じ高さで見えるようになっていたと思います。あれはあれで面白かったなぁ。形状的にPAはやりにくかったのかもしれない、って今なら思いますが、当時は面白いなぁ〜遠くからもよく見えるぜ!くらいにしか思っていませんでした。

アリーナ席がボコって沈んでて遠くから見るとステージと同じ高さの様子

ZETTONはFLOORができたあとはしばらくはスタジオとして営業していましたが、今はその跡地が楽器屋になっています。この楽器屋でレッスンを行っている場所が、当時楽屋だった場所になります。この楽器屋も素晴らしいので、まだ足を運んだことがない方は是非足を運んでみてください。
https://www.veryape.co.jp/

そして2009年よりFLOORという今のライブハウスがオープンするのですが、ここがまた面白いのは、映画館の跡地だっていうことです。映画館の跡地にライブハウス、ってだけでもなんだかワクワクするのに、ステージや受付になんとなくその映画館の面影が残っているのもとてもワクワクします。

これ以上書くと長くなってしまう。
Floorは大ホールと小ホールがありまして、小ホールはこんな感じです。といってまた自分のバンドの動画を貼って終わります。


私とWEATHER KING

WHEATHER KINGは、2020年末に閉店してしまいました。ホームページも閉鎖されていますが、何やら個人のブログのようなものでそのことについて書いている方がいらっしゃいました。

WEATHER KINGは電圧高めで、ここでやるときはいつもよりハリのある音が出て気持ちよかったです。そしてステージが広い!あまり動き回るタイプのバンドマンじゃないので、毎回ここでやるときは恐縮していました。
また、ここでも当時好きだったOCEANLANEというバンドと対バンさせていただいたりしました。
その時の記事がまだ残っている。・・・

あれ、 ArtSchoolと対バンしたのこっちの記憶だったかしら・・・まぁいいや。いずれにしても、とても良いイベントに出演させてもらいました。
また、WEATHER KINGはとても広く、メジャーどころのバンドが来るときは大体ここにきていました。

広いWEATHER KINGの様子とSWEETER(2007.02.26)

何しろ、私が世界で一番好きなバンド、GRAPEVINEも、ここにきたのです。3回くらい。その時は2-3年連続くらいできてくれていたのですが、いつの間にやらきてくれなくなったので、いつか自分のバンドがGRAPEVINEを呼んで、対バンするんだ・・・とオーナーのTさんに話していました。それももう叶わぬ夢となってしまいましたが。

確かあれはDeracineやFrom a Smalltownのツアーの時でした。懐かしいですね。今聴いてもGRAPEVINEのアルバムは名盤しかありません。

また、この頃私は女性シンガーのサポートでギターを弾くことがよくありまして、それも感謝しかありませんが県内外問わずいろんな場所でギターを弾かせていただきました。
ちょうどWEATHER KINGでやらせていただいた思い出深いライブがあったなぁと思ったら記事がまだ残ってました。インターネットスゲェな。

そして先日、元WHEATHER KINGのオーナーである方と二人で5時間ほどお酒を飲むということがあったのですが(ハイボールのみ、食べ物なし)、ライブハウスの成り立ちから宮崎のライブハウス事情、およびライブバーとライブハウスの違いなど・・・たくさんお話をしてくれました。めちゃくちゃバイタリティに溢れており、今もどんどん新しいことをやろうとしていました。尊敬しかないですね。
※近いうちに某所のセブンイレブンに店員として現れるかもしれないそうです。知っている方は是非買い物に行きましょう。

バンドマンとライブハウスの関係

どういう形でこの記事を締め括るのか何も考えておらず見切り発車してしまいましたし、このタイトルもそれっぽいけど特に何か書きたいことがあるわけではありません。
色々あると思います。これまでもこれからも。現実と理想が乖離していることもたくさんあるでしょうしライブハウスが一般的遊び場として浸透することはまだまだ難しいのかもしれません。

いや違うなこんなことを書きたかったんではなくて、まず私の根源的なこの文章への思いは、”COVID-19のクソ野郎”です。
バンドマンとライブハウスの関係とかこれからのライブハウスとか置いといて、せっかく貴重なステージに立てる予定だったのにそれが叶わなくて本当に悔しいし、各方面には迷惑をかけて申し訳ないし、わりかし心持ちはぐしゃぐしゃになりました。

過ぎたことを考えても仕方ないし切り替えが早いのでこういう文章を書くきっかけになってまぁよかったか、と考えることにしていますが本当は全然よくもなくて・・・まぁいいや。
自分が、音楽を好きでやっているのかどうなのか何度もわからなくなっているし、今もなぜ音楽を、バンドをやっているのかさっぱりわからないのですが、そうやって迷いながらもだらだらやめずに続けていられるのは、結局は音楽が好きなんだろうし、この文章で挙げたライブハウス(もちろんこの3つだけではないんですが)のおかげだと思います。

今までありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。

おわり


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