エヴァの話。

新劇場版四部作、最終話のシンエヴァンゲリオンがこの間公開されて、劇場に観に行きました。とても感動して、観てからしんみりしてしまって、今も大きな感情の余韻が続いています。それはとても優しい気持ちです。

僕が小学校高学年のころ、エヴァンゲリオンというアニメが夕方やってたらしい。らしいというのは、夕方そんなアニメやってたこと知らなかったから。大して話題にならなかったんだけど、深夜に再放送されたときに、「なんだこれは!?」ということになり、瞬く間に社会現象になった。どこ行ってもエヴァがどーのこーの。テレビをつけるとエヴァが社会現象になっているというニュース。エヴァを放映してたTV東京以外の局でもしきりにやってた。いい大人がアニメに夢中とかマジキメーな。

テレビの続きを映画でやるというので、自転車で駅前の映画館まで行って観に行った。エヴァの戦闘シーンがかっこよかったので、映画館で観たいなあと思ってわくわくして行った。そしたらアスカの乗ってる弐号機が量産機に食われて内臓ぐちゃぐちゃになって、ネルフになんかよくわからん兵隊が攻めてきてみんな撃たれて死んで、巨大綾波がでてきて、世界が終わって、シンジとアスカが赤い海に横たわってて、劇場にアスカの「気持ち悪い」という言葉が響いて映画は終わり。

「は?」

エヴァってどういうお話?と聞かれたら戦闘シーンがやたらかっこいい意味ワカンネー話と答えてた。

大学生になりました。社会学を学んでいて、卒論のテーマに悩んでました。3年生の頃、ゼミで「サザエさんがムカつく」というテーマで家族論を研究したことがあります。いろんな家族の形があります。お父さんがいない家族、お母さんがいない家族、他にもいろいろたくさん。「お父さんがいないなんて、まあかわいそうに」なんていうババアが目の前にいたら殴ってしまうと思います。僕はサザエさんが「幸せな家族とはこうゆうものだ」ということを押し付けているように思えて、そしてすべてのテレビアニメの中で最も視聴率が高いことが許せませんでした。サザエさんも、それを見ている人も許せませんでした。とても多くの人たちに、理想の家族像が刷り込みで共通認識されてしまっているから。ところでサブちゃんって昭和のウーバーイーツだよね。あといつもサザエさんとのじゃんけんに勝てない。どっかのメンタリストかよ。許せねえ。

そんなこんなで、卒論もアニメにしようかなーと。アニメ好きだし。でも社会学的な視点でアニメを論文にするってどうすればいいんだ?めちゃくちゃ苦し紛れに教授に、社会現象になったアニメなので研究します。という、理由になってない理由で、今更そんなに興味のないエヴァンゲリオンのDVDボックスを買って、家でじっくり観ていました。いや、これ研究のためです。このイミフアニメをじっくり観るのって、そういえば初めてかも。

ハナから何が言いてえんだよこのアニメ。って思いながら観てたんですけど、第四話で、シンジと一緒に住んでるミサトさんが赤城リツコ博士に、シンジくん、なーんか心を開いてくんないのよねー。ってシーンがあって、その後のりっちゃんのセリフが、

「ハリネズミのジレンマって知ってる?ハリネズミは身を寄せ合おうとすると互いのハリで傷つけあってしまう。シンジくんもそうなのかもね」

え?これもしかして、このアニメのメインテーマなんじゃないか?第四話のりっちゃんのこの短いセリフで全部説明しちゃってないか?もしかしてめちゃくちゃ難解なのってディティールで、このアニメの言いたいことってこのことなんじゃないか?

なぜここでピンときたかと言うと、僕はこのアニメの中でもっともすごいなあと思った設定というか、概念があって、それが「ATフィールド」なんですね。

使徒っていう怪獣とエヴァは戦うんだけど、使徒って強いんだよね。中々倒せない。あいつらATフィールドを持ってるから。使徒の持ってるバリアのこと。

んで一回よくわかんないままテレビ版は終わる。シンジくんが一人で勝手に「僕はここにいていいんだ!」って気づいて、みんなが拍手してくれる。おめでとうおめでとう。なんだこれは。自己啓発セミナーか。

んで、すんません、テレビ版の最後の二話、ちょっとあんまりなんで、あれ一回ナシにして作り直していいですか?でできたのが旧劇場版二作。

エヴァのメインテーマを理解したのは、「ハリネズミのジレンマ」「ATフィールド」「テレビ版最終二話を作り直したこと」、この三つでやっとわかった。

人類補完計画っていうなんだか規模のでかい話が極秘に進んでる。内容はテレビ版観ても結局最後までわからない。意味ワカンネ。

んで、旧劇場版で人類補完計画がなんなのかわかる。人は心が欠けている。欠けた心を補完するために、すべての魂を一つにする計画。じゃあどうするのっていうと、「すべての人類のATフィールドを解き放つ計画」だった。

ちょっとまて、ATフィールドって使徒だけじゃねーの?カヲルくんは使徒だったからATフィールド持ってたけど。っつーか、ATフィールドってただのバリアでしょ?なんでただのバリアを無くすとすべての魂が一つになんの?

ここからATフィールドがなんなのかがわかる。ATフィールドは「自我の壁」ATフィールドがあるから、自我、個人のアイデンティティが保たれている。でも心が完璧な人間は存在しない。みんな何かが大なり小なり欠けている。それを一つにする。一つにするとみんなの心の欠けた部分は他の人と互いに補完できるよね。ハリネズミのジレンマからハリを無くそうという計画だということがわかる。もう傷ついたり、傷つけたりしない。理想の世界だ。

その後、なんでテレビ版最終二話を作り直そうってことになったのかがわかる。人類補完計画がサードインパクトとともに始まる。綾波の声がする。これはあなたが望んだ世界なのよ。でもシンジくんが、これは違う。違う気がする。欠けた心を一つにまとめて補完するのってなんか違うなあってことで人類補完計画は失敗する。サードインパクト後の世界。赤い海に横たわる、シンジとアスカ。アスカの「気持ち悪い」。

シンジが自我を保つためにはアスカという他者の存在が必要で、それはハリネズミのジレンマから逃れられない。傷ついたり、傷つけたりする。そうゆうこと。で終了。あらためてメインテーマがわかると、わりとキレイに終わってたんだなと。

テレビ版のラストはシンジくんが勝手に自我を確立する。うんうんいろいろ考えてから急に「僕はここにいていいんだ!」んでみんながパチパチおめでとう。これは他者からの全受容であって、ハリネズミのジレンマのハリがなくなっちゃってる。この作品がシンジくんが自我を確立する物語を描いているのなら、たしかにこれは違うよなあ。

哲学の世界で有名な言葉で「我思う、ゆえに我あり」って言葉があるんだけど、あまりにも有名でムカついたのか、社会学者がそれは違うと言い始めた。「他者思う、ゆえに我あり」。我があるのは他者がいるからである。他者がいなければ、我は存在しない。自我の話だね。

だから旧劇場版でアスカという他者につっぱねられて終わり。ハリネズミのジレンマから人は逃げられないのでした。完。なるほどー。

んー。でもなんかちょっともやっとする。けどもう終わったし、いいか。

大学卒業してから、エヴァのリメイクが劇場四部作でやるってさ。へー。予告観たけど絵がキレイ。観に行ってみようかな。ヒマだし。

うおー。絵がキレイだなー。絵がキレイ。絵がキレイだなー。やっぱヤシマ作戦熱いよなー。あーよかったなー。んで予告。エヴァがいっぱい。式波アスカラングレー。式波って誰やねん。次回もサービスサービスぅ(ミサトさん)。

は?

この後何年経ったか忘れた。とりあえず二作目やるらしい。また映画館で観るか。ヒマだし。

うおーすげー。かっけえー。マリ?誰?は?かわいい。シンジくんモテモテ。カヲルくん。これには腐った女の子たちもにっこり。

僕はこの新劇場版「破」を観てキレちまった。クソったれだなこの劇場版。

テレビ版と旧劇場版はちゃんとテーマがあって、わりとキレイに終わったのに、今回の新劇場版、ただのリメイクかと思ったらリビルドの完全新作で、今度こそ本当にマジのイミフ作品だった。とにかく絵がキレイで、戦闘シーンがかっこよくて圧倒された。そこがめちゃくちゃムカついた。

庵野監督は今回の新劇場版では特に言いたいことなんてなくて、昔稼いだエヴァ使ってオタクがいかにも喜びそうなエンターテイメントを作った。これはただの金もうけだ。クソったれだな。こんなもんやめちまえ。

でもエヴァファンは次回作はまだかまだかと待っている。バカみてーだ。本当に頭来てて、新劇エヴァにはもう興味が失せてた。

んでなんかまた数年経って三作目の「Q」が放映されたんだけど、二度と観るかバーカ。

四作目の最終作の前に庵野監督はエヴァから一度離れて、シンゴジラという実写映画を作った。僕ももうエヴァ飽きてたし、でも庵野監督はずっと特撮を作りたいって言ってた特撮オタクだということは知っていたので、シンゴジラはとても気になって、劇場に観に行った。ヒマだったから。

圧倒された。久しぶりに泣いてしまった。僕は感動するとよく泣いてしまうんだけど、そうじゃない。本当にこわくて、絶望して泣いた。姿の見えない怪物が海からどんどん近づいてって、日本で暴れまくる。背中が青く光って、何かが起ころうとしている。ゴジラが放射能火炎を吐き出したとき、とてもおそろしかった。こわすぎて、圧倒的で、劇場でとてつもない絶望感に包まれて、こわくて泣いてしまった。本当にこわかった。庵野監督の作ったシンゴジラは大ヒットした。庵野監督のアニメじゃない、エヴァじゃない、大ヒット作。素晴らしかった。

これで完全に理解した。新劇エヴァはシンゴジラ作るための資金調達だったんだな。オタクども、乙!

もう新劇一作目から何年経ったんだよ。世の中コロナが流行って大変だ。エヴァどころじゃないっていうか、エヴァもう興味ねーよ。でもコロナで自粛自粛でとくにやることない。ぼーっとネット見たりYoutube見たりアマゾンプライム観たりしてたら、今度こそエヴァが完結するらしい。その名もシンエヴァンゲリオン。シンゴジラの後シンエヴァンゲリオンってタイトルにするのめっちゃかっこいいな。観ようかな。いや、新劇エヴァはクソ。

でも完結編の前に新劇がおさらいできますよという、外出自粛期間中ということもあって、庵野監督の会社のスタジオカラーが気をきかせて、アマプラとかのサブスクで新劇三作観られたり、Youtubeでも観られたり、テレビでは日本テレビとNHKで新劇三作を放映した。

うるせーな。わかったわかった。おさらいします。

んであらためて序と破をキレながら観て、Qを観た。Qはキレなかった。なんか、「は?」と思った。起承転結の転がりレベルがぶっ飛びすぎてて、これどうすんの?終わるの本当に?と、心配になってしまった。あと、なんかひっかかることがあった。

登場人物たちがシンジにしきりに言う。「あなたはエヴァに乗らなくていい」サードインパクトを起こしかけたせいでみんなシンジにキレてる。

シンジのアイデンティティってエヴァパイロットであることだよな。これシンジやることなくて途方に暮れちゃうぞ。アイデンティティクライシスだ。

と、ここで新劇ラスト、シンエヴァンゲリオンが何をしようとしているのかがわかったというか、もしかしたら、本当にもしかしたらなんだけど、シンジがエヴァのパイロットであることがアイデンティティでなくなる話なんじゃないか?もしそうだとしたら、エヴァは本当に終わる。もしそうだとしたら、テレビ版、旧劇と言いたいことは一緒だ。シンジの自我の確立。旧劇では何が描き切れてなかったのか?

そしてこうも考えた。シンゴジラが大ヒットした。庵野監督はもはや日本を代表する映画監督で「エヴァの人」じゃなくなってきている。庵野監督はエヴァのパイロットであることを終わらせようとしている。もしこの僕の予想が当たっていたら、どんなラストになろうとも、傑作だ。ずっとずっと、エヴァは一貫したテーマがあって、その物語が本当に幕を閉じる。

シンジ「うまく弾きたいんだ」カヲル「反復練習さ。何度も何度も。」

旧劇による二回目の完結。そして新劇の三回目の完結。三度目の正直。本当の最後。終わりが始まろうとしている。僕は見届けたくなった。庵野監督が何を伝えたくて、そして旧劇で描き切れなかったことってなんなんだろうかと。

息をのむ。目の前の大きなスクリーン。シンエヴァンゲリオンが始まった。旧劇で描き切れなかったこと、それは第三村だった。人々がみんなで協力して生きている。ありがとう、おやすみ、アヤナミレイはいろんな「おまじない」を知る。シンジもひとしきり塞ぎこんだ後、第三村で生活する。こんなめっちゃハードなSFの世界で、アヤナミレイに、第三村のおばちゃんたちが「汗水たらして働くんだよ」と言う。第三村で、いろんな人の営みを知って成長していく主人公。まるでジブリ作品のようだ。

旧劇で描き切れなかったのはシンジの成長だった。

そこからラストは怒涛で、作品のディティールが全部どうでもよくなった。庵野監督のメッセージが、つめこまれていた。物語が終わろうとしている。メタがどんどん重なっていく。本当に、すべてのエヴァンゲリオンが役割を終えた。

感動?もう言葉に表せない。大学生のころのもやもやがすっきりした?青春が終わった?救われた?もっともしっくり来る表現としては「報われた」。
僕は今年で35歳。エヴァンゲリオンが社会現象になったとき、シンジと同じ14歳だった人たちは今40歳くらいかな。碇ゲンドウみたいに、父親になっている人も多いと思う。毎回毎回延期延期でクソ野郎、オレたち大人になっちまったよ。結果論なのかな。大人になったから、めちゃくちゃ感動したし、報われた。

とてつもない大きな感情に包まれて、終わらない余韻。エンドロールで、十年以上前に聴いた、序のテーマソング「Beautiful World」。歌詞に震えた。十年以上前から、庵野監督は本当にこの物語を終わらせようとしていた。

エヴァンゲリオンを、きちんと思い出にできた。この思い出は、心の中の大切なアルバムの中に大事にしまっておきたい。

庵野監督、本当にありがとう。


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