好きな音楽を語る➀なとり 

こんばんは。MSSさんです。好きなアーティストを語ります。「それは違う!テキトーなこと言うんじゃねえ!」と思っても怒らないでください。ただただ「僕は曲を聴いてそう感じました」という感想文です。第一弾はなとりです。

ポップスの世界はブラックミュージックからの影響を感じるアーティストが令和突入直前(2019年)あたりから多く現れました。要因は2010年代の川谷絵音の数々のプロジェクトの影響が大きいと思います。バンドサウンドだとKING GNUやSuchmosやOfficial髭男dism、インターネットポップスではずっと真夜中でいいのにやyamaなど。

(この日本のポップスの流れとK-POPの打ち込みのダンストラックの流れを高次元に融合させてしまったのがGIGAさんなんですが、今回は触れません。いつか解説できたらと思います。)

そんな中、令和突入後の2022年に第一作目であり大ヒット曲である「Overdose」をひっさげインターネットポップスの世界に出現したのがなとりです。

生々しさのある四つ打ちのHOUSE。そしてその後リリースされたいくつもの楽曲も含め、とてつもない才能を現在進行系で発揮しています。

令和突入前あたりからブラックミュージックの影響を感じるアーティストが多く現れましたが、彼らはグローヴァー・ワシントン・ジュニアの名曲「just the two of us」のコード進行を多用しているのが特徴です。just the two of us進行を使用した日本のポップスだと椎名林檎の丸の内サディスティックが有名なので、丸サ進行と呼ばれたりもします。椎名林檎は今では東京事変でJAZZYな楽曲が散見されますが、デビュー当時はロックンロールの遺伝子を濃く持ったポップスのミュージシャンとして登場したため、丸の内サディスティックは「なんでこんなJAZZYSOULな曲を椎名林檎が歌って違和感が無いんだ!?」と衝撃を受けました。このコード進行は特徴として「JAZZYSOULの文脈で使われたためオシャレに感じる」「浮遊感が生まれる」という特徴があります。オシャレな曲が好きな方はこのコード進行を使用した曲を辿っていくと素敵な出会いがきっとあります。

さて、僕がなとりを天才だと感じるのはバックトラックの完成度の高さもさることながら、その歌詞の世界です。いろんな楽曲を作っていますが、一貫した雰囲気があるんです。「エロスを感じる」って方は多いと思います。愛しあう男女を歌っているので。しかし僕はその先に「死への欲求(タナトス)」を感じます。つまりすべてが心中の曲に聴こえるのです。登場する男女は相手のことがよくわかってなくて、まわりの世界のことも歌っていません。とても美しいですが刹那的なんです。なとりの楽曲は一貫して「この夜は夢なのか現実なのかわからないがとても美しく、そして終わらない」ということを歌っています。明日も無ければ二人のまわりに世界が無いのです。Overdoseではお酒の飲みすぎという自傷行為、愛しあうことをコミュニケーションの過剰とし、その二つを抗精神薬の大量服薬による自殺行為であるオーバードーズになぞらえ、「解像度の悪い夢」が愛しあう二人の、現実なのか夢なのかわからないもうろうとした意識を表現しています。このふわふわした意識を表現するのにjust the two of us進行とバックトラックのシンセ、ループミュージックであるHOUSEが終わらない美しい夜を表現しています。

このなとりの破滅的な思想はどこから来るのでしょう?なんて言うのはおそろしく残酷だと思います。なぜなら今この世界は「確実に衰退していくことがわかっているのに希望が見えない」からです。日本は出生率がどんどん下がっていて自殺率がどんどん上がっている。そんな外の世界にどうやって希望が持てるんでしょうか。なとりというアーティストは、なんとなくみんなが感じているけどうまく言語化できない生きることの絶望感をこんなにも鮮やかに言語化してしまったのです。そしてそれが吸いこまれそうなほど美しいのです。

第二次世界大戦がわかりやすいですが、うんと昔はこの世界は産まれ落ちてからまず生存することそのものが難しい世界でした。赤ちゃんは病気ですぐ死んでしまい、その後成長しても食べるものが無くて餓死してしまう。コミュニティの存続のために間引きが行われたりもしました。今では考えられませんが、生存そのものが難しかったのです。皆生き延びることに必死な世界。それが変化したのは1960年代に突入してからです。医療技術や科学技術の発展やインフラの整備などにより、人類の生存確率は格段に上がりました。その60年代に生まれたのがヒッピーカルチャーです。ヒッピーカルチャーは「自分らしく生きる」というリベラル思想が根底にあります。多くの動物と同じようにどうしたらより多くより高い確率で生存できるかを考えていた人類は、それを獲得してからは「自分らしく生きるにはどうしたらいいのか」という、他の動物ではありえないわけのわからないことに真剣に悩み苦しむことになりました。ヒッピーの若者たちの刹那的な思想を表現するのによく「セックス・ドラッグ・ロックンロール」という三要素が挙げられます。なとりのOverdoseのサビではこの三要素は「君とふたり・解像度の悪い夢・don't stop music」と言い換えが行われて登場します。

今この文章を書いている2023年のこの世界は「自分らしさ」を尊ぶ世の中になっていると感じます。そしてそれは政治的に正しいことでしょう。性別や性指向は虹のようなグラデーションという認識も浸透してきました。僕もこの世界が個を尊重することは政治的に正しい方向に向かっていると感じています。しかしそんな素晴らしい正しい世界には希望が無いのです。なとりはこの生存確率が格段に上がった豊かな生活(しかしそれゆえに悩む内容が生存からアイデンティティに変わり皮肉にも自死に向うようになったこと)について、そして正しいのに正しいがゆえに衰退していく世界の中で生きていく感覚を、「フライデー・ナイト」で鮮やかに言語化しています

“過剰も不足もないはずなのに 
なんか、要らないし
なんか、足りない”

この世界は夕日のように沈みかけています。夜はいつ明けるのでしょうか?

なとりの楽曲はその数時間の美しさを鮮やかに切り取っています。


すべて個人の感想です。まったく見当外れだったらすみません。大好きなアーティストです。長い文章を読んでくださってありがとうございました。

ではまた。

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