ぼっち・ざ・ろっく感想(ヒグチアイさんの歌詞について)

はじめに
死ぬほど長いです。大学生のとき書いた卒論より長いです。

今季アニメで爆発的な人気と感動のムーブメントを生み出したぼっち・ざ・ろっくを観ました。観ましたとか過去形で言ってすみません。本当は10周くらい観てますし、感動してしまって今も何度も観直してます。最終回放送終了後も連日見かける関連ツイートは結束バンドの演奏とアニメへの鳴り止まないアンコールのようです。

作品の演出や楽曲のサウンド面についての感想は多くの方が書いていらっしゃると思いますので、このnoteでは結束バンドのアルバムの歌詞についての感想を書いていきたいと思います。ポップスを研究するようになってからヒットメイカーたちは素晴らしい作曲家であると同時に素晴らしい作詞家であることに気づいたからです。MSSさんもボカロPという名の作曲家なんですよ。実は。みんな知らないと思うけど。

アルバムの中でも特に素晴らしいと思った歌詞は「青春コンプレックス」「あのバンド」「ひとりぼっち東京」「星座になれたら」の4曲です。この4曲の作詞担当ははすべてシンガーソングライターの樋口愛(ヒグチアイ)さんです。他の曲は違う方が担当されています。ぼっち・ざ・ろっくという作品が持つパワーに爆発的なブーストをかけたのはヒグチアイさんの歌詞が素晴らしかったからだと信じています。

一曲ずつ解説に入っていきましょう。

・「青春コンプレックス」

主題歌。劇中で主人公の後藤ひとりが「青春コンプレックスを刺激されるような曲以外なら好き」という発言からの主題歌タイトル。主人公後藤ひとりはこれまでの人生があまりにも孤独だったため痛々しいほど自己肯定感が低いです。だからネガティブな妄想をよくしてしまいますし、人から肯定されるとキモいくらい喜びます。中学一年生のころにテレビで見た人気バンドが日陰者の青春時代を過ごしたことを知ってから彼女はお父さんから借りたギターにのめりこんでいきます。毎日6時間の練習をするほどに。友人は一人もできませんでしたが、高校生になるころには誰にも負けないほどのギターの技術を身につけていました。そんな後藤ひとりがひょんなことから結束バンドに加入し、メンバーとともに成長していく物語が本作品です。

歌詞は自己肯定感の低さから生まれる後藤の情緒を天気になぞらえています。雨や曇など、明るくない言葉が続いた後に「おっ」と思うような展開をします。

「嵐に怯えてるフリをして空が割れるのを待っていたんだ」

嵐の中で空が割れるのは雷です。「かき鳴らせ光のファズで」ファズとは歪むギターエフェクトのことです。ギターヒーローと呼ばれたジミ・ヘンドリックスのかき鳴らすあの音です。テレビの人気バンドに雷を打たれてギターを始めた時点で彼女は本質的に既に「超奔放凶暴な本性」を持っていたのです。8話のライブで突然アドリブでギターソロを始めたことからもわかります。それはつまり「変わりたい」という強い気持ちのことです。雷は晴れているときには発生しません。天気が雨や曇だからこそ彼女は雷になったのです。

・「あのバンド」

劇中歌でありベースの山田リョウがテーマの曲。作中で作曲を務めるリョウは後藤に作詞を託します。後藤は明るく華やかなキタちゃんがボーカルとして歌うことも踏まえてバンドらしさを心がけて歌詞を作りリョウに提出します。リョウは自分らしさを殺してバンドらしい歌詞を作ってきた後藤に「個性捨てたら死んでるのと一緒だよ」と言います。一週間悩んでも歌詞が作れなかった後藤はリョウの言葉を受けてからはたった一晩で歌詞を書き上げてしまいます。自分が書くべき歌詞を理解し、眠ることすら忘れて夢中になってしまったのでしょう。

「あのバンド」とはリョウの以前在席していたバンド。青臭くて真っ直ぐな歌詞が好きだったのに売れるために歌詞が変わって個性が無くなってしまった。だからリョウはいろいろ揉めて以前のバンドを辞めました。

「あのバンドの歌が誰かのギプスでわたしだけが間違いばかりみたい」

きっとあのバンドの歌は誰かの心の支えになっているのでしょう。でもリョウは自分が間違っていてもそれが納得いかなかったのです。後藤は愛されたいと願いながらも孤独ですが、リョウは自ら孤高を選んでいることが表現されています。

「あのバンドの歌がわたしにはつんざく踏切の音みたい」

この作品は舞台である下北沢のライブハウスを中心に描かれますが、下北沢って小田急小田原線と京王井の頭線が通ってて、駅前を散策すると必ずどこかで踏切を渡る街なんです。下北沢のライブハウスでたくさんのバンドの演奏をリョウは目にしていることでしょう。その中にはリョウが好きではない歌もあるはずです。「つんざく踏切の音」は「リョウが好きではない下北沢のバンドの歌」という、かなり尖った解釈ができます。

・「ひとりぼっち東京」

劇中歌ではないアルバム収録曲。
前半は下北沢駅の改札からライブハウスまでの道を歌っています。ストーリーをなぞってもいますが、よりいろいろな解釈の余地がある歌詞です。ライブハウスが心の拠り所になってる人や音楽やバンドが共通言語になっている人ってたくさんいます。東京って住む所っていうより集まるところなんですよね。ひとりぼっちが集まる場所がライブハウスならば、この曲はなんて優しい歌詞なんでしょう。ヒグチアイさんは歌詞の中で情景や風景などの視覚的表現と感情と情緒の表現を同時にするのが見事すぎるんですよね。外の世界と心の内側で同じことが起きてるんです。

・「星座になれたら」

最終回劇中歌。みんなから愛されるキタちゃんと一人きりの後藤の二人の関係についての歌。11話と最終12話の文化祭編はキタちゃんから後藤への尊敬と信頼がとても感じられる回でした。そんな中の文化祭ライブでこの曲が演奏されるのがすごく感動するんですが、この曲の歌詞が見事すぎて「いったい樋口愛さんはどこまで意図的にこの歌詞を作ったのか?」と考えてしまうのです。
キタちゃんと後藤の関係うんぬんにかんしては他の方がきっと解説していることなので飛ばします。

「いいな君はみんなから愛されて」
「いいや僕はずっと一人きりさ」

ここの歌詞がいろんな解釈の余地があって見事なんです。前者は後藤からキタちゃんへ、後者はキタちゃんからのアンサーと考えられるんですが、キタちゃんがずっと一人きりなのちょっと違和感あるんです。もちろんまわりのコたちと本当は違うことがしたかったとかここもいろんな解釈ができます。しかし、やっぱり一人きりなのは後藤なのではないか?では前者は誰の発言なのか?

これ、前者の発言は視聴者が後藤に言っているのではないか?と考えました。

リアタイしてたんですけど、最終回の25分間はあっという間でした。

「星降る夜一瞬の願い事」
というフレーズ。12月25日0時からの最終回放映。終わらないでほしいと願った視聴者たくさんいたと思います。

「彗星みたい流れるひとりごと」
リアタイ時、感想ツイートがすごい量でした。このフレーズが予言のようにその様子を表現しています。

この曲はキタちゃんと後藤、そして結束バンドのメンバーという星たちが今までは点として存在していたのが線で結ばれて星座になっていく様を描いた歌詞になってるんですが、この作品を盛り上げたのは制作陣だけではなく多くの視聴者たちもそうで、このムーブメントそのものを星座に例えているとも解釈できます。

「変われるかな夜の縁をなぞるようなこんな僕でも」

このフレーズ、後藤のことですが、この作品をきっかけに楽器を始めたり音楽を聴くようになった視聴者の心の代弁だとも解釈できるんです。

この歌詞の曲をクリスマスの真夜中の最終回にぶつけてくるのすごいなと。作詞のヒグチアイさんはこの作品が必ずヒットしてムーブメントが起きると信じていたのかなとか、どこまで意図的だったのかとか。

ヒグチアイさんの歌詞は変わった言葉を使ってないんです。なのに言葉に魂が宿るような。作品への理解だけじゃないんです。解釈の余地を残すためにわざと曖昧な部分があるんです。なんていうんですか、これめちゃくちゃ褒めてるんですけど、

「めっ………ちゃオタクだな!!!!」

って思いました。ごめんなさい、僕は語彙力死にすぎててヒグチアイさんの歌詞の素晴らしさを褒める言葉が他に見つからない…。

ヒグチアイさんのソロ楽曲も聴こうと思います。2022年も終わりなのに素晴らしいクリエイターに出会ってしまいました。

本編を観てない方、わけわからない長すぎる文章だったと思います。こわかったでしょう?とても面白いので興味がわいたらよければ観てみてください。オススメです。


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