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私は、雨が好きになった。

私は、雨がずっと嫌いでした。

ここ最近、ネパールの首都Katmanduは、1日のどこかで必ず雨が降ります。

もう春だというのに、雨が降ると冬のような冷たさの風が吹いてきます。

標高が高いからなのか、頭から雲の位置が低く感じます。

この文章をタイピングしている最中も、雨が地面を叩きつけるように落ちてきます。

窓から見えるのは、
屋根の軒下に身を寄せ合って、必死に体を埋めているハト諸君。
取り込み忘れたであろう、水が滴り落ちるびちょびちょの洗濯物。
そして、灰色で何も見えない空。

1人で過ごす空間に、雨の音がどんな音楽よりも大音量で響いてきます。

でも、心は何だか穏やかなのです。
視覚・聴覚・触覚からの情報は、ネガティヴなものはないのです。

・・・

ネパールは、雨を大事にします。

特に、私の住む地域は水の供給が難しい地域であり、蛇口をひねって水が出てくる訳ではありません。

水を購入し、屋上のタンクに溜めて、そこから生活用水使います。

シャワー、洗濯、トイレ、調理...
暮らしの水は、極力節約してやっております。

だから雨が降ると、屋上に桶やバケツを広げて、雨水を溜めます。

この雨水もまた、私の生活用水として利用できるのです。

汚れた洗濯物の1回目、掃除用、トイレの洗浄、油汚れの粗流し...
口や肌に触れる、ちょっと手前まではこの雨水で十分対応できます。

だから、雨がとても有難く、恵の水だと思うようになりました。
(日本では感じられない価値観です。)

・・・

正直なところ、雨は嫌いです。

外に出かけるのに、濡れる衣服にサンダル、傘をさしたり持ち運んだり、風に乗ってくる寒さを感じるのも、不本意です。

でも、ネパールでは、この雨が多くの人の生活を支える“源”となっていることを感じます。

さらに、ネパールは第一次産業の農業大国。
9割以上の人口が、農業で生計を立てています。

農家の皆さんにとっても、この雨はまさに経済を潤すものであることは間違いないのです。

そう思うと、雨降りが一層愛おしく感じられます。

・・・

「止まない雨はない。」

雨降りの後の空は、やたらと晴れ渡ります。

特に、Kathmanduは普段、ホコリの舞う街であるため、雨が降ることで一掃された状態になります。

それを知っているから、尚更雨が好きです。

日本に居る時は、
「晴れ!晴れ!晴れー!」と
いつも太陽を拝んでいました。

だけど、今はどんなお天気でも許せるようになりました。

お天気に罪はない。
変わり行く空模様に、楽しみさえ貰っているような気がします。

ネパールが、私に、雨を好きにさせてくれたんだと思います。

これからは、いつもずっと晴れじゃなくても良いや...

(夕立が去った翌日の朝日は格別です。)

追記:
そう言えば...
「天気って、人の感情みたいね」
と、私が言うと
「人間の感情ほど、移り気じゃないよ」
と、返ってきた会話を思いだしました。

そうね、その通り。

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