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眉村ちあき『劇団オギャリズム』の構造について

眉村ちあきさんの最新アルバム『劇団オギャリズム』についていろいろ書く。書くにあたってひとまずボーナストラックはいまは除外する。後ほど追加するかもしれないけど。対象はメインの13曲。

歌詞の内容を見ると、7曲目までアイドル(アーティスト)視線の歌詞がないことに気付かされる。すべて個人的/私的な内容のみ。
対して、8曲目以降はアイドル/アーティストとしての「眉村ちあき」の歌のみ。⑧『チャーリー』では曲自体の創作過程を述べるメタな視点だったり、アルバムを聴く子どもたちへのメッセージが含まれているし、⑨『スクワットブンブン』はライブ現場に来るファンの健康を気遣い、⑩『私についてこいよ』では将来ライブに来なくなるかもしれないファンの心配をし、⑪『スーパードッグ・レオン』ではギターを弾く姿があり、⑫『顔面ファラウェイ』ではファンへの惜しみない愛をぶちまけ、⑬『ぬ』は(おそらく)⑧の子どもたちと一緒に楽器を演奏している。
①〜⑦と⑧〜⑬との間で明確な区切りがあるように感じられる。(⑦は私的・アイドル的のどっちにも所属しているようにも受け取れる。くわしくは後ほど)

前半部6曲は隣同士がペア。どういうことかというと、①と②が「普通の人がしていることができない/しない」というテーマ、③と④が「夏」がテーマ、⑤と⑥が「過去の恋愛を振り返る」がテーマというように、隣り合う2曲ずつがペアになっている。

対して後半6曲は対称的な2曲ずつ(最初と最後、前から2番目と後ろから2番目、前から3番目と後ろから3番目)がペアになっている。⑧『チャーリー』と⑬『ぬ』は「子どもたちと一緒に」がテーマ、⑨『スクワットブンブン』と⑫『顔面ファラウェイ』は「結婚したいくらい好き」がテーマ、⑩『私についてこいよ』と⑪『スーパードッグ・レオン』は「愛する対象を失う/失うことを恐れる」つながりでペアになっている。

(前半に対称構造、後半に隣り合うペアを設定することも、まあできなくもなさそうだけど、なんかしっくりこない。要検討かな)

前半の1曲目となる①『DEKI☆NAI』と、後半の1曲目となる⑧『チャーリー』の歌詞内容を見てみると、どうやら対応関係があるようだ。⑧にある「あなたが大人になったら この歌詞の漢字が読めるようになってるなら こそっと苦笑いしてよね」は①の「弊害s(Hey guys)」や「雷火 (like a 〜)」についてのことと思われる。(他にも前半後半とで対応関係があるのかもしれないが、まだ発見できていない)

前半と後半をつなぐ⑦『緑のハイヒール』については、前半の個人的/私的な性格と、後半のアーティスト/アイドル的な性格の両方を含んでいるようだ。つまり、この曲は「男性と女性(相手と私)」「アイドルとファン」のどちらにも解釈できるような歌詞であることにより、全13曲の前半と後半をつなぐように作られている、たぶん。この曲だけ、一人称が混在(私、僕)しているのもなにかしらの意図が感じられる。

これは男女の恋愛として解釈した場合のもの。アイドルとファンという関係を描いたものとも解釈可能で、そこでも上に書いたような主語(主役)の後退が見られ、最初は個人としての私→途中でファン(マユムラー)の僕が登場→最後にまた私が(明確に書かれていないが)が「緑のハイヒールもう履かなくていいや」と呟きアイドルとして歩き出す、というストーリーとなっている。と私は解釈している。

あと、全体の流れとしては、孤独→いろんな人と出会う→いろんな愛を知る→アイドルに→ファンへの愛が爆発、というストーリーになっているようだ。

そんな大枠の中に個々の曲を配置し、対称構造まで構築しているというコンセプチュアルな(傑作)アルバムなのではないのだろうか、と思っている。

おわりに

やっぱり #劇団オギャリズムは最高のアルバム ってことですな。

(あ、ご意見やツッコミや異論反論などお気軽にコメントにどうぞ)

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