92-93
92年。大学4年生になった。バブル崩壊のあおりを受け、就職氷河期に突入。昨年まで新卒採用していた企業が採用を控えるなど、厳しい状況が続いていたが、本人はいたって能天気なままであった。
就職活動の準備をなにもしないままマスコミ業界に臨み、ただの会社説明会だろうと思って白Tシャツ1枚とシカゴで買ったリーバイスの古着で参加したVapレコードが、説明会後に面接を実施。周りが全員スーツの中、焦りながら面接を受けたら、最終面接まで進むなど、舐めきった就職活動を続けていた。
当時、フジテレビ(まだ河田町にあった)でカルトQというクイズ番組が放送されており、テーマが「YMO」で開催されるというので、予選突破して自分に箔をつけ、アルファレコードにでも入社してやるかというイージーな気持ちで臨んだが予選落ち。何故か予選問題のほうが難しく、本選のほうが簡単だったことは予選に参加したYMOファンなら知るところである。 ※本選優勝は砂原良徳氏
就職活動をしながらバンド活動も続けていた。サウンドはあえていうならデジタルロックだろうか。対バンからはジーザスジョーンズのようなバンドだと言われたこともあるが、私としてはPRODIGY+ROCKを意識していた。メンバーからは色々注文があったが、私がプログラムをしていたため、サウンドは当時好んで聞いていたテクノ寄り。プログラムといっても貧乏学生はオールインワンシンセのKORG T3-EX1台で凌いでいた。T3はEXキットを増設することで市販のサンプルキットが読み込めるようになり、ようやくTR-909のサンプル音が出せるようになるのだった。同時発音数の制限やエフェクトも2系統しかかけられないなど、制約が大きかったものの、その分工夫はできたといえる。当時、リアム・ハウレットがROLAND W-30 1台、ケン・イシイもKORG M1 1台で作っており、プロと素人が使用する機材の境目はほとんどなくなっていた(もちろんありますよ)。当時、ソニーにSD制作部という部署があり、ディレクターに無理やりデモテープを聞かせて、ライブに足を運んでもらったこともある。
結局、自主留年して再度就職活動を続けることとした。有効求人倍率は1を割り、昨年まで採用活動をしていたレコード会社にも採用を控える会社が増えてしまった。昨年、最終面接まで進んだVapレコードは採用試験を実施せず、アルファレコードも採用試験を実施せず、それでもレコード会社以外の3社から内定をもらったが、同時に、当時、TMネットワークやFence Of Defenseのシンセサイザーマニュピレーターをしていた高校時代の先輩が仕事をやめて実家へ戻るというので、仕事をそのまま引き継がないかという話もあった。私は悩んだが、普通の人生を送ることを選択した。
私は相も変わらず、六本木WAVE、CISCOテクノ店、HMV渋谷店、タワーレコード渋谷店など毎日のように通い、貧乏学生にもかかわらず、新しい12inchやCDを資料のように買い漁っていた。ほとんどがテクノと新旧問わず漁りはじめたサントラだった。サントラは60年代〜80年代の古いものばかりだが、何故か90年代初頭の東京と私の空気感には合っていた。サントラについては後日noteできればと考えている。
YMOの文脈と全く関係なく聴いていたTHE ORBがYMO再生の前座だったことが93年を象徴する出来事だった気がする。
この頃聞いていた作品を振り返り、いくつか紹介したいと思う。
You Can't Stop The Groove / Coco Steel & Lovebomb
Garaxy 2 Garaxy / Garaxy 2 Garaxy
Hardtrance Acperience / Hardfloor
Selected Ambient Works 85-92 / Aphex Twin
Experience / The Prodigy
Midnight Cowboy / John Barry
Betty Blue / Gabriel Yared
Sette uomini d'oro / Armando Trovaioli
Blow-Up / Herbie Hancock
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