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わたしのルックとの馴れ初め(?)備忘録


2024年もルックの日、おめでとうございます!!!!


 今年はなんらかの気持ちを表明したくて、私がルックを好きになっていった過程とその感情を書き出しました。
 狂ったオタクの姿を見るのは好きですか?
 わたしは大好きです。
 文章は書き出してみれば、6000字弱の駄文となりました。
 大変にウェッティな文章ですので、その覚悟で読んでくださいますと幸いです。
 わたしの狂った姿がだれかの娯楽に繋がりますように。



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 私とルックの出会いは中学生のころ。

 家族の勧めで幻想水滸伝1をプレイし、「ルックは強くなるからパーティに入れとけ」との助言によって、仲間になってから彼はすぐレギュラーメンバー入りを果たしました。
 謂わばネタキャラ。特に思い入れもなく、強いならいいなあ!序盤使い物にならない感じがゲームとしてとても良い味を出してるな😊という気持ちだけがありました。
 しかしある日、家族が私のプレイ画面を見つつ、いまどれだけ仲間を集めているかの確認をしていたときのこと。
 その時に私が、「この石板ってなんで仲間が増えると名前が刻まれるの?」と他愛のない質問をし、家族は、「さあー、掘ってるんじゃない?ルックが。」と適当な返答をくれました。

 その瞬間、私の胸に、溢れ出た、愛おしさ!!!


 ルックが、夜な夜な、坊ちゃんが仲間を連れてくるたびに杭とトンカチでカンカンカンと石板に文字を打ってる姿を想像した!そんなん…………とっても可愛い!!!!!!!
 こんな小生意気なおぼっちゃんが、まめまめしく人目に付かないところで、やってもやらなくてもいいようなことを細々と頑張ってくれてるのかと思うと……可愛くて仕方がなかった。
 私は一気にルックが好きになりました。
 そしてルックはみるみる強くなっていった。一気に愛着が湧きます。
 私は当時、幻想水滸伝のあまりの面白さに、全ての事物に脇目も振らず、クリアまで突っ走りました。それはなんと“幻想水滸伝のストーリー”すらも振り切って…。
 クリアして、とても満足感に包まれました。こんなに面白いゲームをクリアしちゃった……という満足とドキドキ感。ただ純粋に“面白かった”。
 そして私はすぐにいろんなひとのゲームのレビューを読みました。そして目の当たりにした「ゲームにここまで感情移入したことはなかった」「坊ちゃんのことを思うと涙が出てきます」という感想群。

 ぼっ、ちゃん……???(ふと私の頭に過ぎる様々な疑問)

 私は幻想水滸伝のシナリオをろくに理解しないまま本当に馬鹿みたいに、ワハハおもしろ〜〜い!すーーげーーーいーーゲームだ〜〜〜😊😊😊という阿呆丸出しでゲームをプレイしクリアしたことに気づきます。
 まじで幻想水滸伝のシナリオ、全然理解してなかった。
 その瞬間、私はなんて…なんて勿体無いことを………という喪失感に苛まれました。
 素晴らしい感情体験の機会を、無碍にしたのです。
 こんな失態を…私は…………。という後悔のもと、私の目は幻想水滸伝2に向けられます。
 私はこの後悔を絶対に無駄にはしない。
 次の、次の挑戦で絶対にモノにしてみせる!!!!

 そんな熱い決意とともに、私は幻想水滸伝2のディスクをプレステに入れました。
 もちろん、幻水1のクリアデータをコンバートして。
 目の前に映し出される2主少年。この少年に私は成り切るんだ。この少年は何を見て、何を考え、どんな気持ちでこの物語を歩んでいくのか。全ての感情を想像し、2主とはどんな少年なのか、何を思ってこの選択をするのか、絶対に絶対に1ミクロンの隙もゆるさずにやり込むぞ!!!!!という熱量たっっぷりに、幻想水滸伝2の物語が始まりました。

 結果、フィールドをただ走ってるだけの2主のドット絵を見て、泣いた。


 ただ2主が走ってる、そんな些細なことで胸が打たれました。
 ものすごく辛かった。彼にとって様々な選択が、状況が、どれだけの負担と苦しみと覚悟と諦念によるものだろうか…と思って…。
 そしてそんな中に、そんな2主の横に、2主に成り切り感情移入しまくる私のその横に、常にルックがいた。ルックは当然、登場時からずっとレギュラーメンバーでした。幻水1から引き続き、ずっと主人公の後ろでりゅういんこうろを掲げ続けてくれています。りゅういんこうろを掲げるルックのドット絵が可愛すぎて私は見飽きることなく見つめ続けました。ボス戦では魔法をぶっ放して私を笑顔😁にしてくれました。
 そして、ティント市の逃亡イベントを見ました。
 そしてロックアックス城が終わりました。
 本拠地のみんなが2主に声をかけてくれました。
 そのなかにルックもいました。(正確には私が話しかけに行くからルックも喋ってくれるだけですが。)

 私は、本拠地の、みんなのセリフが苦しかった。私が2主だったら耐えられないと思いました。みんな優しく、2主を慰めようとしましたが、それが、私が感情移入する2主少年にとっては、心が潰されていく思いだった。
 ゲンゲン隊長の言葉だけは、ただその無責任な元気が、ひたすら純粋な思いが、慰めになることを感じました。けれど、それ以外の仲間の言葉は全部、優しいながらもまるでヤスリで心を撫でられてるかのような感覚でした。
 そのなかで、ルックの台詞だけは、私はとても…、息がしやすくなるような感覚がしました。
 この人の隣に居たいな、ルックが居てくれて、よかったな…。そんな気持ちでいっぱいになりました。
 ティント市の逃亡イベントに続いての、印象的なルックの台詞。(ティントでの台詞を聞いたからこそ、ロックアックス後の台詞も印象深くなったのだと思います。)
 このひとは、なんて優しいひとなんだろう、と思いました。とても繊細で、不器用だった。

 私の幻想水滸伝2は、最後にベストエンドを見て終わりました。
 他二つのエンディングを見たときは、私は、「そう、なるであろうね」という諦観で顛末を眺めていました。ゲーム中ずっと苦しかったから、ロックアックス城が特に苦しくて、そして、ジョウイ…。けれど、そう、なるしかない、という気持ちがすごくあったから。
 けれど、ベストエンドを見て、「よかった!!!!!!」という満漢の思いと共に、とんでもなく絶望感を感じました。私はベストエンドを見たことで、一番心を抉られる結果になったのかもしれない。
 私は、最後、エンディングで流れる、仲間たちのその後の、ベストエンドの2主の「その後」の文章を読んで、涙が溢れ出てきました。
 なんというか、その文章を読んで、だからこそ、ベストエンド以外のエンディングの残酷さが、突き刺さって。
 王様エンドとかを見てる時は、もう本編の苦しさで若干心が鈍化してたから強く感情は揺さぶられなかったのですが、ベストエンドを見たら、そりゃすごく……嬉しくなっちゃったわけで。そしたら…、ベストエンド以外の残酷さが、モロに心に突き刺さることとなり…………。
 2主の「その後」の文章を読んで、じゃあ彼にとって、ベストエンド以外のエンディングは、どれほど救いのないことなの…???という気持ちになりました。それでも2主はきっと、現実を受け止め、呑み込んでいくんだろうと私は思いました。2主にはその強さがあることを、シナリオを通して私は感じていたから…。2主の人間性に、敬愛を感じ敬服し、そしてその残酷さに絶望感があります…。

 幻想水滸伝2をプレイするなかで、私は確かにルックに救われていました。2主に成り切って幻想水滸伝2をロールプレイしていた私は、確かに、ルックに救われていました。なんだか、心の支えでした。
 私の人生で一番の推しは永遠に2主なんですが、ルックも、ルックもかなり特殊な立ち位置として私の心に刻まれています。


 幻想水滸伝2の初見プレイ時の感情体験は、本当に得難いものとなりました。絶対に"ロールプレイ"をするぞ!という強い覚悟を携えて、とんでもないゲームをやってしまって、とんでもなく感情をむちゃむちゃにされることとなりました。(後に十二国記の最新作で、幻水2を超える感情体験をすることとなりましたが…。)

 しばらく私は幻水2の余韻に浸っていました。
 そして1年後、満を持して幻水3に取り掛かります。
 実は私は幻水3のネタバレを見てしまっていました。だから、幻水3には覚悟が必要だった。
 なんでだったか忘れたけれど、私は、コミカライズ版を先に読むこととなりました。

 そして絶望した。
 苦しくて苦しくて堪らなかった。

 頭を鈍器で殴られるような感覚。私は、あの時、確かに彼に救われていたのに、当のルックは、ただ独りで、孤独に、この苦しい人生を歩んで、戦って、そして、こんな。

 嘘でしょ………。ルックに、どうしてルックに人を殺させる、やだ、絶対、そんなのダメだよ、ルックに人を殺させちゃダメだ…!!!!無理…辛い……嘘でしょ………。
 そんな荒れ狂う気持ちで幻水3のコミカライズ版を読みました。

 読んで撃沈しました。
 これは無理だ……。
 とんでもない絶望感と喪失感、後悔と苦しさとルックへの愛、悲しさ、辛さ…。ルックの孤独を思うと、眠れない夜がありました。(←ガチです。)
 そこからさらに1年間、幻水3には触れませんでした。辛すぎて。
 でも1年後の春、そろそろ幻水3と…ルックと…向き合うか、と立ち上がります。

 そして私は辛すぎて、コントローラーを投げ出して、床に突っ伏して泣いた。


 もうこの物語の主人公をしたくなかった。辛かった。ルックの話を聞こうともしない目の前の少年になりたくなかった。悲しかった。
 ゲームで語られるルックのセリフは、ことごとく私の心を抉っていきました。
 ルックがそんな辛い思いをしてるなんて知らなかった。それなのに、私は18年前の貴方と、15年前の貴方と旅をして、一方的に救われていた。
 これを、「ルック自身の選択」とすることは、私には出来なかった。
 彼に選択の余地があったか?潤沢に選択肢があるなかで、覚悟を決めてルックがこの道を選んだというのなら、そうか、それが貴方が選んだ道なんだね、と肯定することもできたでしょうが、私にはとてもそうは見えなかった。“それしか選べなかった”が正しい表現のような気がしました。
 なぜルックには選択肢がなかったんだ。なぜルックを安心させてあげられる存在がこの世になかったんだ。私はレックナート様を恨みました。貴方こそが、ルックに無類の愛を注ぎ、彼の魂を慰めて、安心させてあげて、世界の生命の和に、この悲しい魂が溶け込めるよう橋渡しとなるべき立ち位置にいただろうに、貴方は!!!!!!という気持ちになったんです…。
 わかってる…。レックナート様もルックを愛していたと感じます。ただレックナート様は他者との距離の取り方を…彼女もまた恐らく健全ではなく…。傷ついた魂をしているように私は感じます…。レックナート様もまた、それしかできなかったんだと思いました…。だからレックナート様を真っ向から責められるかと言ったら、責められないし、それでも責めたいと思うこの心はただの八つ当たりで…。ルックが最期の最期にならなければその魂が救われることがなかったというのが悲しすぎて、私が受け止められないから、レックナート様を責めてしまうんです…。
 最期…。私はセラちゃんに心から感謝しました。私は、ずっとルックを抱きしめてくれる腕を欲していたんです…。セラちゃんが最期に、ルック様のことを抱きしめてくれた。暖かい腕のなかで、ルックの魂は自由になった…………。
 セラちゃんが居てくれてよかった。本当に、最期に、セラちゃんの存在があったおかげで、私が…ほんとうに少しだけ、救われる部分がありました…。
 セラちゃんの存在がなければ、もっともっともっと打ちひしがれていたと思います…。いや十分打ちひしがれて傷ついてるけど………。

 私はルックに幸せになってほしかった。私はルックが大好きだった。ルックの優しい魂が本当に、本当に心から大好きでした。幻水3のルックの言動は全て、ルックの魂の優しさの証明だと私は思う。それ故に悲しい。こんなにも優しい人が、優しいからこそ、これしか選べない未来があった。
 ルックの主観を考えれば、じゃあ他にどうするべきだったんだ!!!!!って素直に思います。彼は全てに追い詰められて、もうルックの目の前には選択肢と言える選択肢はなかった。孤独なルックに選べるものは、なんにもない。そのなかでルックは最善を、自分ができる中でいちばんのこととして、目の前の道を歩く覚悟を決めたんだ。「自分で選んだ道」なんていいもんじゃない、そこしかなかったから、血まみれになって茨の道を歩いたんだと感じます。一縷の希望に縋って崖を登ったんだろうな、と。
 私たち(主人公たち)から見たら、何を馬鹿なことを、と一蹴しちゃうような選択。
 だってルックの手は誰とも繋がれてなかったから…。どうして彼に孤独感を植え付けたままで育てたの?レックナート様…。もっともっと対話の時間を持って、もっともっとスキンシップを取って、もっともっと、彼を孤独にさせないで、ルックとてこの世界の一部で、大切な存在なんだよって、もっともっと言い聞かせて愛情たっぷりに育てて欲しかったよレックナート様…。たぶん貴女もまた、孤独で哀れな人なんだろうな、とルックの姿を見て思います。

 幻水3をやって、私は打ちひしがれて、そして、幻水1のOPの台詞がルックのセリフだということを何かのタイミングで知りました。

 「おしえてください。運命とはさだめられたものなのでは……。」
 それに答える、レックナート様の台詞。「いかに無力を感じようとも、人は意味なき存在ではありません。」

 そしてティント市の、「逃げてもいいんじゃないか」という言葉にも思いを馳せて…。
 すごく、ワーーーーッと、私の中で繋がるものがありました。

 幻水1からの話の流れ的に、幻想水滸伝シリーズ全体のシナリオのターニングポイントが、このルックにあるんだろうな、と感じて…、そう思ってから、やっと、ぎりぎりルックの死を受け入れる心の余裕ができました。
 幻想水滸伝シリーズがエターになって、村山さんもご逝去なされて…。今後、もう、本当に、当時の村山さんが想定していた幻想水滸伝の全ては永遠に知ることができないまま私も死ぬんだろうな、と思うのですが、それでもやっぱり、ルックの死後の世界がどうなっていくのか、心から、知りたかった………。

 彼の孤独な人生が、戦いが、死が、どんな世界の礎となるのか、知りたかった……。



 年数が経った今でも、全くもってルックへの感情は収まることなく、永遠に同じ熱量で、当時の感情のまま語れてしまうのが、恐ろしいです…。

 私はルックに幸せになってほしかった………。

 なんかルックにしても2主にしても本当に本当に人生で一番好きなキャラで居続けるわけだけど、それでも、村山さんに”彼らを生み出してくれてありがとうございます“っていうのはすごい、感覚に齟齬があって、複雑な心境があります。
 彼らが辿る運命がとても苦しいものだから…。哀れな魂を生み出すのは祝福と言っていいのか?みたいな……冥王さまみたいな感覚がしちゃうな…。神が命を運び怯える仔等に痛みを与え続けるのは残酷ではないかと…、生まれなければ苦しむこともないのに的なね…。

 でも本当に幻想水滸伝という神ゲーをこの世に生み出してくださって、本当に本当に本当に本当にありがとうございます。私は、このゲームが心から大好きです。
 こんなにも感情移入をしてしまえるゲーム作品は、いまのところ幻想水滸伝以外に出会ってません。私は永遠に幻想水滸伝が大好きであり続けるのだろうな、という確信を抱き、今日もオタクライフを満喫しております。

 こんなにも感情移入させてくれてありがとう。こんなにも世界に没入させてくれてありがとう。こんな感情体験をさせてくれてありがとう。

 幻想水滸伝への感謝と愛を確認したところで、2024年の6月9日、ルックに日の作文を終わりにしたいと思います。

 読んでくださった方、ありがとうございました!
 早くリマスター版が発売されて、また多くの人の目にこの傑作が留まり、その方々もまた素敵な幻想水滸伝経験ができればいいのになと思うんですが、一体どうなってるんでしょうか、KONAMIさん!!!!!

 Switchで手軽に幻想水滸伝がプレイできるととってもハッピーなので、早く発売してくれますように。
 (でももう後継機の情報が出てるんだよね…。)

 それでは!




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