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2023/10/07(土)の日記

大名ジュンクで本2冊買った

 閉店30分前のジュンクへ。入り口すぐの平積み本をパラパラ見たあと、完全なオモコロ買いをした。『君のクイズ』と『STONER』。あとは雨穴さん本の近くで積まれてた『近畿地方のある場所について』も買いたかったけどやめた。家にでかくて白い本棚がほしいなー。

ちょっといい画角

「日本文芸評論」棚の間横に雨穴さんのでかパネルがあった。

雨穴さんは大男

 『君のクイズ』はちょい前に気になっていた&オモコロウォッチやウロマガで話題になっていた&パーッと読書がしたい気分だった、の3本立てで購入して、そのまま天神北の大きくて静かなベローチェで22時まで読んだ。読後、面白くてスレッズにも投稿しちゃった。

題材の引きは言わずもがな、主人公の語りに思い当たる節がいっぱいあって、どこを読んでてもつい内省がスタートしてしまう!(楽しい)
BUT 社会人が無理なく楽しめる範疇の尺。
総じて、読書体験が楽しい本でした!
なので軽率に誰かに貸したい気持ち。ルン

ワイのthreads

 実際、後日すぐ友人に布教したし、紙の本で買ってくれた。この波及の感じも含め、いい読書体験をさせていただいて・・・という気持ち

学生時代の先輩と長電話

 そしてこの日(土曜日)は帰宅後23時くらい?から、学生時代から仲良くしてもらってる先輩と長電話。11時から明け方4時くらいまでしゃべっていて、すごい時間だった。1人だと到達できないところに、先輩と一緒だと行き着くことができる、と思った。

  • 思考の型(フレーム)の話

    • 世界の認識方法に『実家設定』と『現実設定』があって、我々はかなり頑張って『実家設定』を脱ぎ捨ててきた(調子が悪いと巻き戻ったりもしながら)

      • 大前提、親は私本体を個人として肯定・認識してくれなかった(見てくれなかった/ 興味がなかった)。

        • =>「役割としての子ども」の振る舞いを求められた

        • =>「自己の延長としての娘」として同一視が起こり、行動への制限や干渉が激しかった

          • 自己 = 親は1人しかいないので、許容される幅が激狭。狭いのではみ出すと制限がかかる

          • 「娘は自己(の延長)」なので、実際には娘(他者)だが、自分のことのように活動しようとする(これが「干渉」)

      • 私は「就職」に求めるものが、「ちゃんと自分本体を肯定・認識してくれる人々がいる場所に自分を置く」だった

        • なぜか?それまでの人生で十分に得ていなかったから。

        • お金と同じで、この感覚が不足すると安定して生きていくことができない。この感覚の不足は心の不安定に直結し、次にはうつになったり、人間関係が破壊されたり、最終的には社会的な機能すべてに悪影響し、仕事だって失う可能性もある

        • つまり、この感覚の安定を求めて職場を選んだ状態(当時はここまで言語化できなかったが)だった

      • 逆に「地元に残る / 親が指定する人生(職業)を全うする」は「自分本体を肯定・認識しない人々(親、親と類似した価値観を持つ人々)がいる場所に自分を置く」ことと同義。選択肢外だった。

        • なぜならそれを選ぶと自分を守ることができないから。好みではなく、死活問題。選択の余地がない状態。

      • まとめると、経済的に独立する&安定した心を守るには、「自分本体が認定・肯定されること」「自分を生かす収入の確保」を両方getする必要があった。これからもそう。

    • けど、気分が落ち込んだりショッキングなことがあると、世界の捉え方が『実家設定』に戻ってしまう(絶望的な展開)

      • そうなると、『自分はやるべきことがやれてない』とか『他者が自分に興味・関心を向けてくれるわけがない(それが自分を安定して生かすためには必要なのに)』などの感覚に陥り、生活上のいろんなことが機能不全に陥る

    • 私のための補足

      • 「こっち(自分本体)を肯定・認識しないコンテンツ」= 親

      • 「こっち(自分本体)を肯定・認識するコンテンツ」= 弟、恋人、友人、職場含む自分で選んだコミュニティ、私だとオモコロ界隈、芸人さんのラジオ周辺の文化圏


 morちゃんはずっとがんばっていてえらいしたくましい、と言ってくれるこの人と話すと、「確かにずっとがんばっているしたくましいのかも」と思う。先輩はいつも私と話すと視界がひらけてご機嫌になれるし、元気が出るよ、と言ってくれるけど、完全にお互い様なんだと思う。私からすると、こんなに深く思考するきっかけなんて、日常生活を送っているだけだとそうそうあらわれない。

 そして単純に、「めちゃがんばってふつうに暮らしてるけど、家庭で緊張感なく幼少期を送った人たちと比べたら、ものすごい大変な思いをしてここまで生きてきてるよな」ってことを、先輩との対話は思い出させてくれる。

 つまり、「比べる必要がないし、比べようもない」って思い出させてくれて、だからすごく楽になるんだな。ここまでの、他の誰でもないわたし(たち)の歴史そのものを見て、「かなりがんばってるよ」「よくやってる方だよ」と自然に思えるから、ほんとにありがたいと思う。そして、コレは同じ体験をしてきてる人どうしがしゃべることでしか発覚しない事実(当人にとっては)なんだよな、とも思う。

 この点、わたしには兄弟がいて、ものすごく高い同期度で当時の感覚や今感じることについて語り合えるので、そこは相当恵まれていると思う。自分だけじゃゲットしようもない仲間だ。

 これ書いてて、言語化することでこのあと何したら(できたら)いいか&何がゆずれないのか、ってことの解像度が上がってきた気がする。miroか手書きで、いま形にできかけてるスキームをイメージングしてみようかな。

 書いてて思ったけど、自分の思っていることや置かれている状況を構造的にとらえる技術って、ほんとにわたしのことを助け続けてくれているな。
 コレがなかったら、人生に起きているいろんなイベントが消化不良だし、生きていくためにはどんどん「選択を迫られる」イベントがじゃんじゃかやってくるのに、その優先度付けもうまくできないしで、詰んでたんじゃないかと思う。
 というかある意味、学部生のタイミングで一回詰んだから、自分の思考を構造的に捉えるようになっていったんだろうか。そのへんはわからないけど。だからもっとこのあたりは得意になりたいし、なんならこれをなんかの形でアウトプット化して、親しい人た同じような人たちの役にたてたらいいな〜、いつか、と思っている。

 なんだか対話の本が読みたい。半端に積読になっているけど、心当たりの本がいくつかあるので、今夜はそれ読もうかな。

お腹すいたから何か食べよ!

食べないよ

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