見出し画像

心は動いているかい

先日、横浜で友人宅に2泊3日滞在した。友人夫妻のもてなしに感謝の気持ちがいっぱいになる一方で、彼らは太陽のような存在で、時に自分が少し陰気な存在に感じることがあった。こんな自虐はもうやめたいと思う。

最終日、友人の奥さんが急にご友人とランチに行くことになり、3人で品川まで移動した。俺と旦那さんは大都会の真ん中に取り残された。3時間をどう過ごそうかと考えていると、ふと旦那さんが以前パチンコをやると言っていたのを思い出し、「パチンコ行きませんか?」と尋ねると「いいね、行こう!」と即答。無料駐車場のあるパチンコ店を目指すことになった。

平和島に到着し、ゲーセンやパチンコ屋、温泉が入った複合施設に車を停めた。今年で34歳になるが、初めての経験なら何でもやってみたいという好奇心があった。以前競馬をやらせてもらって、今回はパチンコとパチスロだ。

パチンコやパチスロにはレートがある。1円パチンコや4円パチンコ、5円スロットや20円スロットなど。レートが低いほうがリスクが少なく、長く遊べる。迷わずレートが低い台で遊びたかった。一回り以上年上の旦那さんがいるので、心強かった。店に入ると音がすごく、相手の話し声も聞こえないほどだった。

まずは5円スロットから始めることにした。「この台なら目押しの必要もないし、やってみたら」と旦那さんが選んでくれた台に1000円札を入れてくれると、受け皿にメダルがジャラジャラと出てきた。しかし、何かおかしい。メダルの枚数が少ない。

「ごめん、これ20円スロットだった」と旦那さんが言った。ゲームがすぐに終わってしまうのではないかと不安になりながらも、スロットのボタンを適当に押していく。やったことがある人はわかるだろうが、5分ほどで1000円が消えた。

「こんなに早く消えるのか!」と驚きを隠せないまま、1円パチンコに移動し、エヴァンゲリオンの台に座った。横並びで打つという体験。少しワクワクしつつ、先ほどの早いお金の消え方に申し訳なさを感じ、自腹を切って自分のケチな心臓を痛めつけるつもりで、威勢よく1000円を機械に投入。

リーチ、リーチ、リーチ。音や演出が凄まじい。当たりそうで外れる、その繰り返し。過剰な演出だけが俺を翻弄する。10分も経たないうちにお互いの1000円が消えた。「続けたい」という気持ちに打ち勝ち、席を立つ。金の消えるスピード感についていけず、すでに消耗しており、体調も悪く感じる。最後に5円スロットにも挑戦したが、結果は言うまでもないだろう。

朦朧としてきたのでベンチに座り、激しく落ち込んでいることを伝えた。落ちていくパチンコ玉がすべて1円玉に見えてしまうこと、スロットが外れるたびに心が痛むことを話すと、彼は笑いながら、「みっつ、それは向いてないよ」と言った。「落ち込むことはないんですか?」と尋ねると、「もう慣れちゃった」と答えた。少し救われた気がした。

暇を潰すために遊びに来たのに、あっという間に4000円が消える。なんて恐ろしい世界なんだろうと思った。フードコートまで来たけれど、俺は「胃が今は小さくなっちゃったんで食べられないです」と言った。

ゲーセンに移動した。子供の頃、ヤオハンというスーパーの端に小さなゲーセンがあったのを思い出しながら、店内を見て回ると、時の流れを感じる。比べる規模ではないが、何もかもが豪華になっていて、競馬ゲームや桃鉄のメダルゲームの出来が圧巻で、これを作っている人たちがいるんだと感心した。しかし、何もやる気が起きなかった。ついさっきまでの威勢は消えた。

プロ野球チップス(箱)のクレーンゲームをプレイしている野球帽を被った少年、お母さんと幼い女の子がいた。お母さんは「もう取れないよ」と言って、別のゲームへ移動した。少年と女の子は諦めきれないのか、PASMOを機械に読み取らせ何度か挑戦するが取れない。その子たちが機械から離れた隙に、旦那さんがそのプロ野球チップスを取ろうとクレーンゲームを始めた。

俺は「これは横取りか」と思いつつも、クレーンの動きを見ていると、少年と女の子が戻ってきて、やりたそうにこちらを見ている。女の子が一回やりたいと言ってやってみるが、取れない。お兄ちゃんに向かって「ほら急がないから!」と言う。女の子は地団駄を踏んでいた。それから旦那さんは10回以上挑戦するが取れず、子供たちもどこかへ行ってしまった。ようやく11回目で段ボールが傾いたが、完全には落ちなかった。

俺が店員さんを呼ぶ。女性店員が位置を調整してくれた。しかし、さらに3回試みても取れなかった。旦那さんが「これ取れないよ」と言うと、再び女性店員が位置を調整し、「この角をちょっと引っ掛けるだけでいいです」と教えてくれた。言われた通りにやると、ようやく「ドゴン」という音とともにプロ野球チップスの箱が落ちた。旦那さんは感謝の意を込めて女性店員に握手を求め、彼女もそれに応じた。俺は深々と頭を下げた。

振り向くと、先ほどの親子がちょうど通り過ぎるところだった。旦那さんは親子を呼び止め、「取ったよ」と言ってプロ野球チップスを渡した。子供たちは最初は嫌な大人たちだと思っていたかもしれないが、「これあげるよ」と言った瞬間、仲間だと認識してくれたようで安心した。

女の子は「さっき私たちも取ったよ!」と言いながら自分たちの戦利品を見せてくれた。すでにチップスを持っていたものの、無事にプレゼントを渡すことができた。お母さんは「ありがとうございます」と感謝してくれ、その目には涙が浮かんでいるようにも見えた。

本当にあげるために取ろうとしているとは予想していたが、実際にその場面を見ると、自分でも驚くほど心が温かくなった。腕のほうまでじんわりとしている。特にお母さんの表情が印象に残った。駐車場に戻りながらそのことを伝えると「本当は一発で取ってあげるのが一番かっこいいんだけどね!」と旦那さんは言った。

心が洗われるとは、こういうことなのかもしれない。自分の心がまだ動くのだということを思い出させてくれた。正解というのは頭ではなく、心が知っているものなのだと実感した。かつて聞いた話を思い出す。人助けできなかったときの罪悪感や、助けたときの清々しさというのは、自分の中にいる神様の反応なのだと。

旦那さんにモットーを聞いたところ「感謝・感激・感動」と答えてくれた。その言葉に共感した。心を動かすためには、時にはギャンブルに興じたり、映画を観に行ったりするのだろう。俺も心で動く人間でありたいと思った。頭を使って計画を立てることも大切だが、それだけでは満たされない何かがある。

さらに、「子供が好きなんですか?」と尋ねると、彼は「大好きだよ。実はね、学生時代の夢は保育士だったんだ」と語ってくれた。品川まで車で戻る道中、俺は様々なことを考えていた。なんだか目頭が熱くなった。

奥さんが車に戻ってきて、「何してたの?」と聞くと、旦那さんは「秘密だよ」と答えた。すると彼女は笑いながら、「パチンコでしょ?負けたんでしょ!」と鋭く言い当てた。俺と旦那さんは思わず笑い、クレーンゲームでの出来事を話すと、奥さんは「めちゃくちゃいい話じゃん!」とリアクションしてくれた。

その後はサウナと水風呂で心身を整え、遊び疲れるまで楽しんだ。体に良い食事を選ぶように、心にも栄養を与えていきたい。どんな経験もやがて身になることを願っている。しかし心が消耗することばかりでは病んでしまう。この日のようにちゃんと楽しみたいと思った。

短い時間の中で、心で反応することはとても大切だと学んだ。ずっと忘れていたような感覚が蘇ってきた。生きているとセコい大人に出会うこともあるけれど、問題はいつだって自分自身だ。他人に善い在り方を求める前に、まずは自分がそうやって生きること。損得勘定にとらわれず、心を豊かにしていくことが大切だ。

生きてます