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生きてりゃいいはずなのにね

あのちゃんの身長と体重が先日公開されており「166cm・44.4kg」だと言うので、じゃ俺はどうなんだろうと寝起きに身長と体重を測ったら「166cm・43.1kg」だった。多くの人がこぞってスタイルのいい人にアドバイスを求める世の中のようだが、俺も相当シンデレラなスタイルだぞ。どうして誰も俺にアドバイスを求めてこない。俺が男だからか。そうか、俺が男だからか。よく考えなくても一切努力をしてないから、ダイエットのアドバイスなんてできないわ。というかむしろ「もっと食べなさい」とよく言われる。大きなお世話だわ。生まれてこの方ずっとこのBMIで生きてきた。自然とダイエット方法を身につけている可能性はないだろうか。たとえばよく寝る。水もたくさん飲む。スナック菓子も脂っこい食べ物もスイーツもカップ麺もたまにしか食べないし、お酒もここ最近控え気味になった。運動は散歩くらい。ただいつもうんざりするくらい思考に蝕まれている。診断されてないだけで、何かしらの精神疾患を持っていると思う。病めば、痩せるのだろうか。統合失調症の叔母はたぶん俺の倍くらいのBMIがあるな。BMI関係なく健康な人もいるしな。体質なのか。しかしそれを言ったらおしまいだ。ところでどうして痩せる必要があるのだろう。どうして俺はもっと食べろと言われるのだろう。不健康に見えるからだろうか。どうして人は変わりたがる?

「頭わーってなっちゃって瞑想もうまくできないんです」と知人に相談したら「チベットで7年間過ごさないと瞑想はできない、いってらっしゃい」とご指導いただいた。腕時計を見ながら「あ、チベットへ行く時間だ!」と冗談を言った。瞑想は修行しないとできない。じゃあもうできなくて当たり前なんだなと思うと気が楽になった。できると思っていることができないときに人は苦悩する。頻繁に「女性不信・男性不信」という言葉を聞く機会があるのだが、すべての男(女)が自分に危害を加える可能性は限りなくゼロに近い。自分自身の持つ性へのイメージが不信感を募らせている。人はありとあらゆるものに対してイメージを持っている。職業一つとっても保育士とか消防士とかで全然違う。たぶん人は理想のイメージを持っていて、それに近づこうとする習性がある。それがうまくいかないときに悩む。

人は肯定されると嬉しい生き物だ。瞑想ができない。でも瞑想は難しいことだと知るだけで心が軽くなる。なんだかそれでいいんだと肯定されたような気分になる。痩せていたほうがきれいだねとか言われるのだろう。だから、痩せようとする。でも、痩せることが目的なのではない。肯定されることが目的なのだ。不健康に見えるよりは健康に見えるほうが肯定されやすい。人には常に承認されたい性質がある。子供の頃は「夢はなんですか?」と質問される。毎日寝てたいですとか言うとそれは夢じゃないと言われる。親や先生が望みそうなことを言う。人が求めている答えを出せば、いい子ねと言われるから、人はいい子を目指す。結局、願いを叶えても、欲求が満たせないのであれば、人はまた新たに願いを作る。

今朝、中途覚醒しながら、うまくいく恋愛とうまくいかない恋愛の違いについて考えていた。うまくいく恋愛はお互いの肯定的要素でつながることができる仲、うまくいかない恋愛はお互いの欠落を埋め合わせようとする仲。いったんそう答えを出した。欠落を埋め合わせようとするのではなく、欠落をそのままで愛し合う。それが一番続くような気がした。

自分の根底には「何も持っていない俺でも愛してくれますか」という願いがある。金も、何もない。イケメンでもない。最後に残るのは個性だ。その個性でつながりたいという欲求がある。そう言う以上は、相手にも自分がしてほしいのと同じように接したい。欠落だと思っている部分を解消し合うのではなく、欠落を欠落のまま受け入れ合いたい。類は友を呼ぶ。人は自分と同じような人を求めている。同じような人といれば安心するし、考え方の違う人といれば疲れてくる。

哀しいが愛しいなら、淋しいは恋しい。人間にはそういうセンサーがくっついている。ポジティブな感情で何かを選ぶこともできるけれど、同時にその反対側の感情で識別することもできる。より哀しみを、より淋しさを感じる相手のほうが好きだったりする。そばにいるときはそのありがたさがわからないけれど、遠く離れてみると相手の存在の尊さがわかるのと似ている。生きていてわけがわからなくなってきたら、マイナスの感情にこそ目を向けるといい。どこでそれが癒やされているのかを確認する。なんか楽とは違う、本質的な癒やし。生きる気力が湧き上がってくるような癒やし。そこには比較がない。本来はただここに在るということが、絶対的な肯定だったような気がする。死ぬ必要もない、心配もしなくていい。そんな安らぎがどこにあるのか。きっとたぶんここにあるのだろうけど、まだまだずっと遠くにそれはあるような。でも確実にそこへ向かっているような。そんな気がする。

生きてます