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いま黒が不必要な時期らしいです

理由はわからないが、黒い物が不必要だなと思うようになってきた。プチ断捨離みたいなのを始めていて、なぜだか妙に黒を捨てたくなっている。もともと身につけるものは黒が多かったし、好きな色でもあったのだが、明るい色に囲まれたいなという気持ちが大きくなってきた。

電子機器は色の選択肢が少なくて、必然的に黒になることが多い。その黒すら色として重く感じる。ハードウェアの変更はお金がかかるから、まずはよく見るページの背景色をダークカラーからホワイトに変更した。

黒は死の色でもある言う人もいる。確かに犯罪に手を染めようと思うと、まず真っ先に着るのが黒な気がする。明るい服を着た通り魔とかテロリストとかハッカーとか、イメージしにくい。医者や看護師が白衣なのは治癒力を感じさせるからだと思う。

目立たない色なのかとも思うけれど、妙に目につく。夜、全身黒尽くめの服装の人がスーパーにいた。怖い感じがした。よく見たら、ウーバーイーツの配達員だった。自転車に乗るのだとしたら、なるべく目立った色のほうが危険がないんじゃないかと思うが、最も暗闇と同化する色だ。忍者みたいだなと思った。

人は季節に合わせて無意識に服の色を選んでいるという。夏には明るい色の服を、冬には暗い色の服を選ぶ。天候にも合わせるらしい。晴れなら明るい服を、雨なら暗い服を選ぶ。

黒といえば喪服と同じ色だし、目立ちたくない、個性を消したいときに使われる色でもあるな。クローゼットを開けてみたら、冬物のほとんどが黒一色で微妙な気持ちになった。

ここまで書き出すと、明るい気分でいたいのかなと思った。30代にしてわりと真剣に老いについて考えることが多くなった。このごろ神経質さが取れてきたなと思っていたけれど、これはどうやら自分自身の神経質さに疲れを感じるようになったんじゃないかと思った。

20代まではやたらと人の目を気にしていた。年々、どうでもよくなってきている。そこに使うエネルギーがもったいない。「老いた」と言うつもりはない。マジでテキトーなことを言うけれど、老いは負いだ。背負っているものが大きいから、人は老いる。背負わなければいいんだ。

ゆえに断捨離である。心を軽くさせるためにまず物を捨てる。物には印象がこびりついている。不快な気持ちとセットの物は、その気持ちとともに捨てていく。黒に関してはアクセントカラーくらいにしたい。黒は勝手に集まってくる。自分では選ばないくらいのほうがバランスが取れる。

いま気づいた。字も基本的に黒だ。黒といえば先ほど忍者みたいと書いた。文章というのは人の心に忍び寄るものなのかもしれない。抜き足差し足。これをここまで読んでしまった人は、私から何かを受け取ったのではなく、むしろ奪われてしまった可能性が高いです。たとえば時間とか。

生きてます