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なめられたらいけない

バケモノみたいなオーラをまとった親父に小言を言われて、危うく顔面を殴りそうになった。しかし俺の魂のレベルは非常に高いので、負の感情の終着点になってあげることにした。そもそもで中途半端になんか言ってくる輩というのは不幸なのだ。マウント気質の俺は思った。ああいう奴より、俺のほうが圧倒的に幸せだもんな。

絡まれたときにちょうど彼女が隣にいて、理性が働き、反撃せずにいられることはできたが、カッとしたのは確かで、その出来事の直後に彼女に愚痴を聞いてもらった。一緒にプリプリ怒って、俺は正気を取り戻した。

久しぶりに否定性を真正面から向けられ、改めて自身の最近を振り返ってみると、本当に満たされているなと感慨深くなった。いいことがありすぎる。楽しいことが多すぎる。日々平和で、かつ楽しさや愛に包まれている。だからきっと神様が少し試してくれたのだと思う。

若い自分だったらキレ散らかしていただろう。今回は心のベクトルがいつもと違う方向を向いている感じがする。苛立ちを、より生産的な行為に向けていけるような、そんな気がしている。これは自信になる。だって今後も同じように腹が立つことは起こるわけだ。その度にスルーを決め込むことができるようになる。昇華させることができるようになる。

とはいえ、俺だって人間である。許すとか、無視するとか、そういう高次元のことばかりもやっていられない。シンプルになめられたらいけないなと思う。まずは見た目を変えようと思った。もう夏だ。坊主にして、ヒゲをガンガンに伸ばすというのはどうだろう。見た目は大事だ。だって、みんな見た目を気にして生きている。俺はいつも髪型も服装も無造作だ。たまには考えすぎる理性を脇に置き、「なめられたらいけない」をそのまま見た目に具現化させるという方法を試してもいいんじゃないか。弱い犬ほどよく吠える。上司にしたくない男ナンバーワンみたいなしみったれた親父に絡まれないためには、見た目を変えるというのは結構、本質的な対策になると思う。女性が金髪にするとナンパされにくくなるのと同じ原理だ。ちなみに髪を刈り上げている女性はかっこいいと思う。

人のために疲弊する(できる)人と、自分の都合しか考えずに邪気を放つ人間は比べてはいけないくらいの差がある。前者には「お疲れ様でした」と言いたい。後者にはバカヤローと言いたい。

先日、「あなたが裁かなくても他の誰かが裁く」と、そうメモ帳に書きつけた。数日が経ち、俺が手を下さなかった人間に天罰が下った。実際にそれが起こった。ざまあみろと思った後で、まあ当然のことかとも思った。自分では手を下さない。これが大事だ。世の中には因果応報という言葉がある。己の手を汚さなくても大丈夫。地獄に堕ちる奴は勝手に堕ちていく。これに関しては確信がある。自分は防衛だけする。なめられたらいけない。髪を刈り上げるのと同じように、近づいてくる邪気も刈り上げてしまえばいいのだ。

生きてます