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ブラックジョークが言えない

そうだ、毒を吐こう。そう決めた。これを強く決心するためにわざわざハロウィンの置物を買ってきた。死神とゾンビとカラス。生まれて初めてフィギュアを買った。こいつらを毎日見ることで自分の中に渦巻いている毒をしっかりと認識したい。今までフィギュアの良さがまったくわからない人生だったが、齢33になって良さが突然わかってきた。間違いない。造形美だ。

人間の中には毒が渦巻いている。前々回のブログで、仲のいい人と一緒にいるときは明るくなると書いた。これは半分正解で、半分意味をとらえきれていなかった。仲のいいと呼べる存在と一緒にいるときは、呼吸と同じくらい毒素をまき散らしている。まったくかっこつける必要がない。仲のいいあいつは毒仲間なのだ。

なので今日から、ポイズン活動を始めたいと思った。略してポイ活。このごろ否定をしないいい人であろうと努めていた。正直、疲れてきた。どこからともなく毒は心に入ってきて、己を蝕む。排出という工程を無視していたせいか、いい人ぶって元気になったんじゃなく、抑圧されて空元気になった。

文章を書く。これが自分にとってのポイズン活動だと思う。一見、成熟や向上や光について書いてばかりいるように見えるかもしれないが、私の文章はどれもこれも根底に恨みがある。抑圧された怒りを希釈しまくって、なんとか読める形にしているだけだ。ちゃんと性格が悪い。皆さんはどのようにして溜め込んだストレスを排出しているのか、とても気になる。

日本人の90%が毒を抑え込んでいるんじゃないか。そんなことを思ってしまう。元気だなあと思う人は基本的に感じのいい毒を会話の中に随所に差し込む。感情をコントロールしながら、嫌味のない毒を面白おかしく言ったり書いたりする。聞いていて不快じゃない。むしろハッとさせられる。

アイロニーもブラックジョークもコミュニケーションスキルなのだと思うのだが、人々はどういう風にとらえているのだろう。毒を抑え込むと病む。体全体から否定性が溢れ出して、発言が刺々しくなってくる。そういう人といると疲れるから、長い時間を一緒に過ごせない。数時間で限界を迎える。

音楽とか絵とか文章とか、もっとみんなやればいいのになと思う。そこで内包しているフラストレーションを昇華さればいいのに。ネットを見ているとどうもストレートな悪口が多くて、この世はディストピアなんじゃないかと思ってしまう。

もう俺はこの世に対してうんざりし過ぎて、自分以外がどうでもよくなってしまった一人である。大切にしたい人を大切にしていこう。もうそこに振り切ってしまった。だから心の底から時事問題とかどうでもいい。こういうことを書いている今ですら、脳みそが妙に朦朧としてくる。一対一で語り合える関係性にだけ興味がある。

生きてます