聡明なあなたへ
たまには会いたいですね。会ってお喋りしたいですね。オンラインはなんだか嫌です。実際に会って話したいです。そうでなきゃ、話したことにならない気がするんです。
ところでそちらの空はどうでしょうか。こちらはひんやりとしていて着込んできた割には肌寒くて、夜のためにネックウォーマーでも持ってくれば良かったなと後悔しております。
普段から、面白いことが滅多に起こらないので取り立てて話したいことも実はないのですが、それも見方によっては平和な日々だと思うことにします。
昨日、ブックオフに久々に行きました。新書コーナーの表紙をざっと見ていたんです。そしたら、自己肯定感と付くタイトルの本がいっぱいあって、多くの人の心が今、弱っているのだなと思いました。
目がキラキラしている人が減ったように感じます。あなたは違いますね。いつも元気です。つらい顔を見せないだけかもしれないけれど。
一人ひとりの命が軽く扱われている時代なのかなと思いました。昔はもう少し働くことが面白かったのかなと。今は何もかもが効率化してしまい、人間は心を持って働くというよりロボットのように動かなければいけない。
だから、しんどい。昔、聞いた話ですが、子供が自ら掃除をしているのに親が偉いねとお駄賃をあげてしまうと、次からお駄賃目的に掃除をするようになってしまうそうです。
私はお駄賃をもらうと自分のやっていることが認められたような気がして、俄然、やる気が湧いてくるのですが、ただ、気付いたら、報酬を気にしている自分に気が付くんです。
人の役に立ちたい、喜ばせたいと思ってやっていたことが、いつの間にか褒美目当てになっていると気付いたとき、自分の心はどこへ行ってしまったのだろうとげんなりします。
人の役に立ちたくて始めたはずなのに、自分が面白くてやり始めたことなのに、いつの間にか目的がすり替わっている。どう生きるか、が、どう手に入れるかに変わっている。恐ろしいことだなと思いました。
何のためにそれをやるのか。お金は手段であって目的ではない。お金のためではなく、どう生きるか。今一度思い出さないといけないなと思いました。
結果ばかりに意識がいっていると、ほしいものが手に入らなかったときに失敗してしまったという気分になります。そうなってくるとただただ苦しい。
人は何のために生きているのか。経済を回すために生きているのではなく、心と心を通い合わせるために生きている。私は、そう思います。そう思いたいです。
何度も大切なことを見失いそうになる。生きていくためにはやらなければいけないことも多くある。でも、その中にもきっと心は転がっていて、僕らはその心に触れたがっている。
だから、諦めたくないです。生きることを。今まで生き抜いてきたように、これからも生き抜いていたい。何のために。心に触れるために。
では、今日もいい一日を!もし、一日の終わりにこれをお読みなら、この言葉を共有したいです。――今日はとっても楽しかったね。明日はもっと楽しくなるよね、ハム太郎!
苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。