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劣等感と共に生きていく

おめでとうございます!あなたの記事が合計〇〇スキされました!みたいなポップアップが出てきて、もういいからそういうの、逆にモチベーション下がるんだよと悪態をついて朝が始まった。うんざりするから片目を閉じてバツボタンをポチッと押した。どうせならアルゴリズムで超改ざんして自動的に2万スキくらいしてもらってから通知していただければと思う。そのくらいしてもらわないと元気が出ない。

左目の真ん中辺りが見えない謎の先天的な視力障害を持っているので、見たくない情報を見せられそうになった時に即座に右目を閉じることで魔眼を発動できる。父と暮らしていた頃に散々グロ画像を見せられるという習慣があり、それが嫌でたまならい時期に身に付けた殺法である。障害も使い方をマスターすれば武器(盾)になるのである。

暇すぎてやることが創作活動だけになってしまった、子供に示しがつかない大人ランキング、トップ・オブ・トップに君臨する三森です。子供に会うと漠然ととんでもない悪影響を与えているような気がしてきて、自分の首を締め自害したくなるのでピュアな存在に対する苦手意識が半端じゃないです。会うとアウト!なので一人遊びが大好きです。

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無理はしない。無茶をしよう。

よく男は「昔はバカをしてた」みたいな自慢話をする。往々にしてつまらない話になる流れなのだが、ところで俺もバカをしてた。ただちょっとニュアンスが違う。悪さをしていたというより、単純にバカだった。オンラインゲームでアホみたいに下ネタを連発しながら爆笑してチャットをしていたり、行く先々で悪態しかつかない旅をしていたりと本当におバカでしたね。完。

いやいやいや、こんなこと書きたかったわけじゃないんだよ。俺は、「あの頃はバカだったな」と思い出す時の記憶が一番美しいんじゃないかということを伝えたかったんだよ。気持ちあいみょんの歌詞に出てくるようなフレーズになったが、30歳を超えてようやく、旅先で出会ったおばさま方の「若くていいわね」の理由がわかってきました。

ただここでめちゃめちゃ言いたいことがあるんだよね。謎に行く先々で出会った若者たちに共通している言語があったんだよね。「30になったら死にたい」だったんだよね。それはさすがに、、、、、、、、、、、、わかる!とっても共感したんだよね。将来への不安感とか不透明感とか著しく激しくて、何なら現在進行系で楽しくなくて、これ以上生きている意味が見つからないんだよね。

でもちょっと待った!って言いたいのよ。これが意外にも30を超えたら急に感じてきたことなんだけど、変な話、人の目が気になりにくくなってきたんだよね。完全に気にならなくなったわけではないんだけど、10代~20代に比べると歴然。たぶん、自分が思っていたよりも数字のパワーは強くて2が3になっただけで「もうどうでもいいや」という開き直り感が増した。二郎系ラーメンばりにマシマシた。

もっと言うと30になるともう「楽しむしかないな」という諦めがやってくる。だいたい自分の才能や能力値の限界を悟ってしまい、変に見栄を張るのも疲れてくるし、いい意味で人からの見られ方を気にしなくなってくる。とくに死にたがりの人には伝えたいというか、昔の自分へ伝えたいというか、心が繊細な人であるほどにもう少し生きてみる価値があると思うんですよ。

楽しむしかねえんす。だから、今一度思い出してみてほしいんす。あの頃はバカだったなという時があったなら、その時の記憶を。そこだけ思い出に色がついていたりするじゃないですか。バカな記憶は天然色でしたよ。唇ツンと尖らせてましたよ。あの頃は。偉そうなことばかり書いちゃった感あるけど、そんなことももうどうでもいいや。だってもう30だし。あれ、まだまだ若くね?これからじゃね?

人生100年時代。なんてバカみたいな言葉だろうか。そんなに長生きしたくねえよ。生きても60~70くらいでいいわよ。でもそう考えるともう半分は来てしまっているのよね。しんどい思いをするためにしんどい思いをするみたいな負のループ人生にありながら、なんとか楽しみたいという思いだけは残っている。将来、お年を召した私は過去の自分に対して言えることがあるのなら、それは、「もっと人生は楽しんでもいいんだよ」な気がする。

俺は世界というか人に対する抵抗感がマシマシ鬼次郎なんで、もう一つすでに諦めかけている。劣等感は消えないわみたいな。もう、遺伝子に組み込まれているわみたいな。消そうと思っても消えないし、消そうと思うほどに解像度高めに頭角を現してくるから、もう劣等感と共に生きていくしかねえなと思っているよ。自分を責めたりはしなくなりつつあるけれど、たぶん、自分の弱さを弱いままでいいのだと諦めるのは強さだ。

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劣等感、君は友達だ!

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。