お風呂がSUKI

 あの長かった夏が終わった。

 それはつまり、すなわち、

  おれたちの季節の到来を意味するのだ!!!


 私はお風呂が大好きだ。特にぬるめのお風呂に長時間入るのが好きだ。
  真冬にあっついお風呂に入るのがポカポカして気持ちいいことから風呂のベストシーズンは冬!という人もいるだろうが、我らぬるま湯族からするとむしろ風呂のベストシーズンは春秋である。真冬になるとぬるま湯は入浴中にお湯の温度が下がったり体が冷えたりしやすいので、むしろ春秋の方が適温の湯に長くつかれるのだ。
  体温よりちょっとあったかい、くらいのぬるま湯につかって、湯船の中で身動きをしないでいると、だんだんお湯と皮膚の境目の感覚がなくなっていくのが好きだ。ぬるま湯につかっている時、私は限りなく液体なのだ。そもそも人間は7割水分である。風呂のお湯は十割水分だ。十割そばと七割そばは両方とも蕎麦であることにはかわりない。すなわち私もお風呂のお湯も、割合はともかくとして等しく水であるといえよう(言えない)。でもほら、例えば視覚がないけど水分だけを感じ取れる感覚器官を持った宇宙人から見たら、私なんて水のカタマリにしか見えないよ。らくだのコブの伝承みたいにさ、動く水筒のように見えるかもしれない。
  異物としての感覚が完全になくなったお湯に包まれていると、己の成分がお湯に溶けていくような気がする。それは疲れかもしれないし、怒りかもしれないし、悲しみかもしれない。とにかくぎゅっと凝り固まったものだ。明日にも、夢の中にも、連れていく必要のないものだ。なのでお風呂にとかしてしまって構わない。
  全裸なのもいい。現代人が長時間合法的に孤独かつ全裸になれるのなんて、風呂くらいではあるまいか?家で裸族の人は除いて。お風呂ではみんな裸だ。むきだしの己だ。どんなポーズをしてもいい。シェーだって女豹だってジョジョだってやりたい放題だ。誰にも見られないし、むしろ見ていた奴がいたらそちらの方が裁かれる。
  湯船につかるのは楽しい。お気に入りの歌とか歌っちゃったりして。何か残したままの考え事があれば、それと向き合う。何を悩んでも、閃いても、なにせ全裸だ。メモ帳もない。どうしようもないから、やがて忘れる。
テレビもスマホも持ち込まない。全裸の自分と湯煙と、お湯と湯船と石鹸の匂いと、遠くの家で吠える犬、季節の変わり目の強い風の音しかない。あとは自分で作るしかない。私のおすすめはじっと動かないでいて、水面が静まり返ったところでちょっとずつ、水滴を垂らして広がる美しい波紋を見たり、水滴が水面に落ちる瞬間の水の王冠(ウォータークラウンっていうんだって)を観察したり(その瞬間を肉眼でとらえるのがえらいむずかしい)、意外と質量のある雫の音を聞いたりすることだ。シャボン玉作るのも楽しいし、タオルを沈めてみるのもいい(銭湯でやっちゃダメだよ!)。ステンレスの湯船を爪の先で叩いてみて音を確かめたり、お湯に浮いたごみを掬うことに命を燃やしたり。何をしてもいいし、何もしなくてもいい。
そう、何もしなくてもいいのが風呂の最高すぎるところだ。人って悲しい生き物だから、意識がある限りついつい何かしてしまう。考え事とか、妄想とかね。けれど人が全裸で湯船につかるとき、脳をもって生まれた生き物のサガから解放されるのだ。なぜならお風呂きんもちいいから。頭のリソースが感覚に全振りになるので、思考とか懊悩とかしてる場合じゃないのだ。してもいいけど。お風呂の中では人間は考えない葦になれる。なんていうか、虚無だ。楽しいを越えたところで、小難しいことぜんぶ手放して、人は1個の感覚器官になる。虚無だ。お風呂はインスタントに虚無を与えてくれる。最高すぎる。寝るのと同じくらい楽しい。

 あと、風呂上がりの時間もいい。人間って社会でもみくちゃにされてると、なかなか自分を大事にできないじゃないですか。無理したっていいことないよ。ご自愛ください。そう言葉にすれば簡単だけど、実際に毎日自分を大切にしてますか? 価値あるものとしてきちんと扱っていますか? これって結構むずかしい。
  でも風呂上がりにドラストのやっすい化粧水をパシャパシャやって、ニベアの青缶クリームを手足に塗り込んでいる時、思うのだ。私は私を大事にしてる。私の皮膚を、体を、価値あるものとして丁寧に扱ってる!と。
  今が令和だからスキンケアなんて老若男女当たり前にやってるけれど、大正だったらこんなお手入れできるの華族のご令嬢くらいですよ?もっともっと昔だったらお姫様だってできないよ?
  ああ~、ご自愛してるよ。私いまご自愛してるよ~!!!と自己満足にひたりながら、いい匂いのするヘアオイルを髪に染み込ませ、10年ぶりに新調したパ〇ソニックのドライヤー(最近のドライヤーは熱くない!)で髪を乾かしていると、日々の疲れが癒され……はしないけど、細かく分解されていく。分解は消化の準備だ。食べ物だって口で砕かれて唾液アミラーゼで混ぜられてから消化器官への旅を始める。寝ている間に肉体疲労やモヤモヤを、きちんと消化するための予備動作だ。

  そうやって長湯して、お湯と戯れ、虚無になり、ご自愛していると、あっという間に寝る時間になってしまう。社会人の貴重な帰宅後時間がゴリゴリ削られていく。しかしそれでも、お風呂はとってもいいものだ。せっかく形ある肉体をもって生まれてきたのだから、今後もいっぱいお風呂に入りたいものだ。だって風呂って最高だから。


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