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ホセ・フェレールというギタリスト

 ホセ・フェレール(1835−1916)はスペイン近代ロマン派のギタリストであり、作曲家である。タレガ(1852−1909)よりも17歳年上であり、1860年頃にホセ・ブロカ(1805-1882)からギターを教わったというので、当然にギター界でもタレガより先輩である、と思っていた。
 ところが、手塚健旨「フランシスコ・タレガ伝」を読むと、フェレールは初めはカメラマンの仕事をしていたのだという。しかし、ある日、タレガの演奏を聴く機会があり、そこで感銘を受けたフェレールはギタリストに転身することを決めたのだそうである。
 彼は子どもの頃に父親からギターを習っていて、その上でブロカに師事したわけだから、既に素地はあったのだろう。それが、どうしてカメラマンという職を得て、また、タレガの演奏をきっかけにプロのギタリストを目指すことにしたのか疑問が湧く。

 これは推測でしかないが、カメラマンが新興の華やかな職業だったのに対して、ギターはあまり魅力的な楽器ではなくなっていたのだろう。クラシックギターは19世紀初めの古典派の時代にフェルナンド・ソルやマウロ・ジュリアーニなどの名演奏家にして名曲を遺した人たちが活躍し、パリのサロンを中心に人気を博していた。
 しかし、その後、ピアノが改良され中産階級の家庭に普及していくとソロ演奏できるコード楽器としての地位をピアノに奪われていったと言われている。フェレールがカメラマンをしていた時分にはスペインにおいてさえ、ギターは酒場の伴奏楽器というイメージしかなかったらしい。
 ところが、そこにギター音楽を一新したタレガが登場した。ギターの新たな可能性に開眼したフェレールは、自らもギタリストになったのであろう。フェレールはタレガを敬い自分より年下であるのにマエストロ・タレガと尊称したという。タレガに献呈した作品があることが不思議だったが、なるほどと思う。

 1882年というからフェレールが47歳くらいのことだったろう。彼はパリに出てギターの教授などをつとめて作曲家としても名声を得た。女性の生徒がけっこういたらしく、彼女たちの練習のために易しい曲を遺している。
 私はレッスンで水神の踊りという曲を習ったが、他にタンゴとノクターンなどを自分で譜読みしてポロポロ弾いている。素人の趣味ゆえに人様に聴いていただかなくても自分自身の楽しみになればよいのだ。余談だが、水神というと男の神様かと勘違いしそうだがゼウスの娘の水辺の妖精である。
 フェレールの曲のよいところは、弾きやすい曲がけっこうあって、しかも分かりやすい点ではなかろうか。それらは、なかなかスペイン的でエスニックであり、土臭い感じすらする。タレガの曲のような優美さはないが、リズミカルでエネルギーを感じられる佳曲だと思う。

 それにしても興味深い人生ではないだろうか。ギターに才能があったのにカメラマンになってから、ギターを革新した天才に遭遇して自らも大家になったのである。日本語で読めるフェレールの詳しい伝記が見当たらないのが残念である。

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