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歌うことを習ったら・・・

 今年の3月から知り合いのヴォーカリスト(シンガー・ソング・ライターで、ジャズも上手い)にお願いして、月に2回のヴォーカルレッスンを受けている。彼女はまさか私が習おうとは思っていなかったと述べたが、実は私自身も半分まさかである。

 そもそもはギターの他に楽器の習い事をしたくなったのがきっかけである。知人にもアコースティックギターを趣味にしている人がなぜかヴァイオリンを始めて、そこそこ弾けるようになった人がいるし、他にも複数の楽器を操る人を知っている。

 セカンド楽器という言い方があるようだが、芸域を広げるというか、趣味を広げるというか、本音を言うとギターほど難しくない楽器を息抜きを兼ねて習いたいな、という気持ちだった。しかし、ギターすら半人前の私がそうそう簡単に始められる楽器は残念ながら見つからなかった。(以前、オカリナを習っていたこともあったのだが、機会があれば書いてみたい)

 天啓というほどのことではないが、楽器にこだわらなくてもいいではないか、下手でも歌は歌えるだろう、と考え直して知人ヴォーカリストに教わるようになった。ギターもそうだったけれど、人の演奏を聴いているのと、自分でも実際に弾くなり歌うなりするのとでは雲泥の違いがある。

 プロは素人が出来ないことを簡単にやってのけている。ヴォーカルについて言えば、声を出す際の口の形、舌の置き方、喉の広げ方など、素人には目に見えないところで既にプロは技を発揮しているのだった。幸いピッチ(音程)については大丈夫だが、リズム感には自信がない。案の定、ジャズ特有の後のりのリズムを取るのに最初は苦労した。

 初めはOn a slow boat to China、つぎにStardustのレッスンを受けて、そろそろ次の曲を考えましょうかと言われたのが前回、8月のレッスンのことだった。まあまあ、習い事そのものは順調に上達しているような気がする。先生もそのように言ってくれる。

 そして、たぶんクラシックギターだけを勉強していたら見えなかったことに幾つか気づくことができた。ヴォーカリストは基本的にソロピアノ、トリオ、あるいはギターなどにバッキングをサポートしてもらいながら歌うことになる。私はクラシックギターでアンサンブルや二重奏はやらないので、ソロ演奏で完結するところから違いがでる。

 ヴォーカリストは、自分の歌だけではなく、歌をサポートしてくれている楽器から出る音の広がりの世界を意識しながら、歌うことが必要なのである。カラオケとは違って、ライブ演奏は生きものであり、歌と楽器、楽器と楽器の間で化学反応が起こる場合すらある。

 プロが演奏し、歌うライブを聴いていると当たり前に感じていることが、自分がやってみると、なかなか大変なことだと思う。もう一つは歌うこと、そのこと自体の心地よさである。彼女から教わる曲は、ジャズかポップスになるが、心をのせて歌うことはカタルシスになるのだと知った。

 生真面目に一筋にクラシックギターを勉強していると、そういう心地よさを知らずに過ごしてしまったかも知れない。自分自身の年齢など勘案すると、バロックや古典派のクラシックなギター音楽にこだわらないで、ライトミュージックに分類されるような曲を歌うように弾いてもよいだろうと割り切れるようになった。

 これまでもギターの先生には、ポンセのエストレリータ、ブローウェルの11月のある日、マイヤーズのカヴァティーナなど歌曲や映画音楽が元になっている曲を指導いただいている。自分は、そういう曲を楽しみながら歌うように弾けばよいのだな、とこの頃は考えている。

 その流れで、今はノイマンの愛のワルツを自習しているが、ギターの先生には引き続き、当面の間、フランシスコ・タレガの曲を指導いただくつもりでいる。クラシックギターの技術を学ぶためであるが、しかし、タレガの曲がそもそも歌うような曲だし、上に挙げたようなライトミュージック寄りの曲を弾くのにも親和性が高いと思っている。

 そう言えばだが、タレガのスエーニョとパヴァーナを習おうと決めたのは3月で、指導を受け始めたのは4月からだから、歌を教わり始めたことが影響しているのかも知れない。あるいは、自分の内面の何らかの変化が歌やタレガを習うという意思決定を為したのかも知れない。いずれにせよ、歌とクラシックギターは今のところ良い相乗効果を生んでいるように思われる。

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