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二宮神社(東京都あきる野市の縄文神社)

 武藤郁子さんという方が「縄文神社」という著書を世に出されている。知る限り、首都圏篇と関東甲信篇があるのだが首都圏篇の中で、あきる野市の二宮神社を取り上げて絶賛されていた。縄文神社とは武藤さんの造語なのだが、現在まで続いている神社の起源に縄文時代から崇められていた聖域が直結しているに違いないという話なのである。
 神社が今のように鳥居と本殿、拝殿という形態を伴って創建されたのは古墳時代以降のことかも知れない。だが、今われわれが見る神社という形態で祀られるよりも先に生活に密着した聖域が各地に存在し、それが今も神社という形で存続していると考えられるそうだ。
 なぜなら、そのような神社の近隣には、縄文時代の集落跡が遺跡として発掘され、考古学的な遺物が発見・保存されているからである。そのような縄文集落遺跡の近くに祀られている神社には、いくつか立地上の共通項や特徴があるのだが、二宮神社においては秋留台地上の高台に本殿・拝殿があること、隣接した低地の境内には湧水から成る池があることを指摘することができる。 

階段を昇って高台に上がるとカバー写真の拝殿が見える
湧水が注がれ、どこかから流れ出ているため、水に淀みがなく清明な池

 二宮神社の御祭神は、日本神話でこの世の根源的な神である「国常立尊(くにとこたちのみこと)」と言われているが、人格を持つ神ではなく、宇宙の根源的な原理を神格化した観念だろう。つまり、人格神や歴史上の人物に由来した神社ではないと推察できる。
 二宮神社という呼称については、後述するが、この神社は本来「小河大神(おがわのおおかみ)」または「小河大明神」と呼ばれていたという。武藤氏によれば、大昔は「カハ(ワ)」という言葉で泉や池を指していたという。ゆえに、「オ」を丁寧語の接頭辞と考えれば、この神社はもともと、この湧水による清明な池を神聖視して形成された聖域なのかも知れない。実際に、この池に佇んでいると湧水のせせらぎと、鳥のさえずりに包まれ、脳からα波が出てくるような気がする。
 ちなみに、拝殿の近くには、諏訪神社と荒覇吐(アラハバキ)神社の小さい社が祀られている。どちらも縄文信仰に関係が深いとされている神社である。池とあわせて考えると、日本神話がまとめられ伝承される前から、拝まれてきた聖域に違いないと思えるのだった。なお、二宮神社という呼称は、律令時代に、あらためて武蔵国の古い神社の格付けと再編が行われて二ノ宮とされたことに由来するらしい。ちなみに、武蔵国の一ノ宮は埼玉県大宮市の氷川神社である。武藤氏によれば、こちらも堂々たる縄文神社だそうだ。

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