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「デジタル技術は社会をどう変えるのか」ですって。なんかすみません

インタビュー記事が公開されました。掲載されたのはデジタル政策フォーラム『デジタル政策の論点2024 デジタルガバナンスの未来』というKindle出版の書籍でして、私は第2章「デジタル技術と社会変革 デジタル技術は社会をどう変えるのか」に登場しております。聞き手は慶應義塾大学の菊池尚人先生です。

それにしても。「デジタル技術は社会をどう変えるのか」って、壮大すぎるテーマですよね。私がそんなことを網羅的かつ適切に語れるはずはなく、あくまでも私からはこう見えていますということに過ぎません。こういうテーマについて様々な角度から話し合うことには大きな意義があり、ぜひそういうことはやっていきたいと思うので、呼び水となるべく管見を披露したということです。隗より始めよってやつですね。

で、せっかくなので強調したい部分について、自分で自分の言葉をいくつか引用してみようと思います。

 私たちの社会を、技術レベルが高いほど人口が少なく、技術レベルが低いほど人口が多いようなピラミッド構造でたとえてみましょう。今までの地域情報化のアプローチは、注目を集めている先端的なテクノロジーを適用することでピラミッド全体を上部から引っ張り上げるようなイメージでした。そうした挑戦には一定の意義があることを認めつつも、このやり方では社会は変えられなかったと反省しています。
 そもそも先端技術を適用すれば社会を変えられるというものではありませんし、先端的だからこそ使いこなすのが難しく、失敗する可能性もある。そのリスクに対する便利な言い訳に使われたのが「実証実験」だったという側面が否めません。失敗するかもしれないが、とにかくやってみる。そのチャレンジスピリッツは素晴らしいし、社会イノベーションを起こすために必要なことですが、多くの場合において単発の実験で終わってしまい、ピラミッド全体に技術を広め、本当に社会を変えるところまで粘り強くやり切ろうとするケースは少なかったのではないでしょうか。実証実験で「やってる感」「やった感」は出せますが、それで社会がトランスフォームすることはありません。
 本当に必要なDXというのは、先端テクノロジーを試しに使ってみるということではなく、社会ピラミッドの底の部分、つまりテクノロジーレベルとしては低いところ、ここを下から押し上げる「底上げ」のアプローチだと思います。いまだに紙にハンコを押さないと仕事が進まないとか、ファクスを惰性で使い続けているといったことがありますが、まずはそういう時代錯誤な非効率を社会全体で是正すべきです。新型コロナウイルス禍でオフィスに出社できない状況が長く続き、リモートワークを強いられたことで、多くの人たちがその必要性に気付きました。コロナ禍でマイナンバーカードの普及率が一気に上がったことは成功例です。一部の人だけが最先端の技術を使うというのではなく、全員を巻き込んでいくことが社会変革の必須条件です。

庄司昌彦「デジタル技術と社会変革 デジタル技術は社会をどう変えるのか」デジタル政策フォーラム編『デジタル政策の論点2024 デジタルガバナンスの未来』より

これは、自治体DXについて講演などする際に、最近強調していることです。新しもの好きでそういうプロジェクトにカネを使ってきた議員や首長の皆さん、公務員や研究者の皆さん、それに乗っかってきた企業の皆さんとともに反省したいところです。

次に、ソーシャルメディアについて。最近はすっかり「行政デジタル化の人」となってしまっている気がしますが、私は地域社会と情報通信技術の関係(地域情報化)を専門としており、2006年からは「地域SNS研究会」を立ち上げ、本を書き、科研費もいただくなどして長らくソーシャルメディアと社会のかかわりについて自分なりに研究・考察してきました。そういう背景を持ちつつ考えていることです。

先ほど少し触れた「群衆(mob)」がひとつのカギを握っているように思います。ある主張や趣向、同じ考え方を持つ人たちが、インターネットを介して繋がり合い、大きな集団、すなわち群衆(mob)を立ちどころに形成し、社会に対する影響力を持つようになってきています。Twitter、Xは“オワコン”と言われながらもいまだに生きながらえ、群衆(mob)を生み出す場として機能しています。ソーシャルメディア総体で見ても、そこに繋がる世界人口はどんどん増えています。かつて情報流通の主役だったマスメディアが、ソーシャルメディアに頼るようになってしまいました。影響力はますます強まっています。
 危うさが高まっていると言ったほうがいいかもしれません。一発の銃弾が第一次世界大戦をもたらしたように、一つの誤解や一つのデマが世界を揺るがす事態を引き起こすのではないか。それがアメリカで起こるのか、中国で勃発するのか、はたまたロシアか・・・。かつて人々は新聞やテレビの報道、すなわちジャーナリズムを信じていましたが、最近はネットの情報を信じ切ってしまう人たち、そこに自由かつ真実の情報があると思い込んでしまう人たちが増えているように思います。フェイクニュース、ディープフェイク、AIにアシストされたコンテンツなど、人を欺くような情報が急増している中で、どこで何が起きるのか分からない不安で不安定な状況にあります。
 「トラスト」の確立がとても難しい時代なのです。地域情報化に取り組んできた経験がそう思わせるのかもしれませんが、「手の届く範囲」「知り合いの範囲」という手触り感のあるところからトラストを組み立て直していく作業が必要なのではないかと感じています。いきなり、グローバルなトラストを確立するというのはかなり難しいことだと思います。

庄司昌彦「デジタル技術と社会変革 デジタル技術は社会をどう変えるのか」デジタル政策フォーラム編『デジタル政策の論点2024 デジタルガバナンスの未来』より

そして最後に、これからの10年についての引用です。「情報社会学徒」である私は、この移行期に社会科学の研究者としてかかわることに、非常にやりがいと楽しさを感じています。ぜひ、一緒に議論したり研究したりしてくれる仲間が増えてくれたら、と考えています。

「移行期のジレンマ」にたくさんぶつかることになると思います。先ほども少し触れましたが、デジタル技術は加速をつけて進化していきますが、社会変革には時間がかかります。技術革新が社会に与えるプラスの要素は大きいはずですが、もしかしたら技術に人類が振り回されて社会を混乱に陥れてしまうかもしれない。AIのマイナス面の可能性について人々は既に薄々感づいていますよね。
 移行期のジレンマの多くは、人間の社会が一足飛びにデジタルに移行できないことに起因しています。例えば、自動運転車だけの世界になれば万事うまくいくかもしれませんが、自動運転車と人間が運転する車が混在する移行期が一番難しいのです。
 今後の10年は、デジタル技術の進化を見据えながら、社会経済システムを修正、あるいは再構築する歴史的な転換点になるのではないでしょうか。おそらくいろいろな事件や問題が起こり、変革の引き金を引くのかもしれません。それは変革の「スタート」かもしれませんが、もしかしたら「ラストチャンス」になるかもしれません。

庄司昌彦「デジタル技術と社会変革 デジタル技術は社会をどう変えるのか」デジタル政策フォーラム編『デジタル政策の論点2024 デジタルガバナンスの未来』より

※ちなみに使用した画像は、本文とは何も関係ありません。単にターナーの絵が好きなので使ってみたというだけです。ターナー、いいよねぇ。

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