OL賛同者の撤回

昨年3月、国際日本文化研究センター(以下、「日文研」と略す)の助教(当時)だった呉座勇一の鍵垢が大炎上した。
翌4月4日、呉座から誹謗中傷された被害者の一人である北村紗衣氏(武蔵大学准教授)を含む差出人たちは、オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」(以下、"OL"と略す)を公表した。
本連載の最終回である本記事では、昨年4月にOLに賛同したものの、今年1月になって賛同を撤回した人たちとその撤回について検討する。

もっとも、すべての賛同撤回者を取り上げるわけでない。
賛同者名簿から消された名前のどれが撤回により消されたものなのか、部外者である私にはほとんど分からない。
撤回だと分かっても、どういう理由で撤回したのかが分からなければ、ほとんど考察しようがない。
そのため本記事では、撤回であることと撤回した理由を自分で公表した賛同者についてのみ取り上げることにする

撤回した賛同者

撤回であることと撤回した理由を自分で公表した賛同者は、本章で取り上げる5人くらいでないだろうか。

その他には、杉谷和哉(岩手県立大学総合政策学部講師)が
昨年1029日に「署名したことを後悔しています」などと連続TWした。
魚拓(https://archive.ph/Sp8DA)
杉谷の名前は今年1191552分取得の魚拓(https://archive.ph/48s9m)
には残っているが、翌20846分取得の魚拓(https://archive.ph/VBr64)
では消えている。
なのでこの間に削除されたのだろう。
だが、今年1月に賛同を撤回した理由が昨年10月に公表した「後悔」(だけ)か
どうか明らかでないため、本記事では除く。

なお、複数の賛同撤回者が言及した「呉座と北村氏の和解成立後もOLをそのままにしておくのはどうなのか」という問題などについては、次章で書くことにする。

棟方龍禅と小池裕敏

前回記事「OLと北村紗衣氏への濁流」(以下、「前回記事」と略す)で紹介したように、いろいろな展開を背景として、今年1月17日にOLは大炎上した。
決め手になったのは、文筆家の古谷経衡氏が同日、自分はOLに賛同していないのに名前が賛同者名簿に掲載されているという氏名冒用の被害を告発し、OLに抗議したことだろう。

18日の昼、OL賛同者の棟方龍禅(垢消し済み)が賛同撤回をTW。
「棟方龍禅」はOL賛同者名簿にあった「棟方草一 会社経営者」の別名らしい。
Nathanの記事「オープンレター差出人・賛同人から離脱・撤回した人らまとめ」は棟方を「自らの意思で撤回の意思表示をした賛同者の中で最も早い人物と思われます」としており、これは私の記憶とも一致する。

なお、本章の事実認識はNathanの同記事とかなり重複するが、
以下はいちいち註記しない。

これは、ぜひ皆さまにもスクリーンショットをむしろ取っていただこう。今回のオープンレターに署名をさせていただきましたが、呉座先生に対する処分が重すぎるということ、その後の状況を鑑みたうえで署名を撤回させていただきます。そして呉座勇一先生に心から謝罪を申し上げる次第です。

棟方龍禅

2022年1月18日 12:23(魚拓

ぼくも自分でスクリーンショットを撮影して証拠保全しておきますから。呉座先生に対して失礼だと感じる。余りにもそれこそ不当というものです。ぼくの中にも倫理観はしっかりとあるのです。己の正義を忽せにしてはならない、絶対に。

2022年1月18日 12:25(魚拓

謝罪すべきときは明確に謝罪しなければダメだ。

2022年1月18日 12:31(魚拓

これもスクリーンショットを撮影していただいて、構わないです。呉座勇一先生に対する集団リンチは明らかな間違いですよ。民主主義をもう一回やり直すべきです。ぼくは正真正銘のリベラルとして「自由と寛容」を傳えていく所存です。

2022年1月18日 12:41(魚拓

棟方は賛同撤回の理由として「呉座先生に対する処分が重すぎるということ」を挙げたが、呉座への処分が『京都新聞』により報道されたのはこの3か月前の昨年10月のこと。
棟方は後に垢消ししたため今や検証しようがないが、棟方は今年1月中旬になってはじめて呉座への「重すぎる」処分を知ったのだろうか。
また、たとえ呉座への処分が「重すぎる」ものだったとしても、何故それがOL賛同撤回の理由になるのか私には理解できない。

同18日の夜小池裕敏もnote記事「「オープンレター」への賛同の撤回と謝罪」(垢消し済み)で賛同撤回。
なお、小池の肩書きはOL賛同者名簿で「個人投資家」、noteのbioで「個人投資家/公営ギャンブラー/AFEE/表現の自由/日本国憲法/PC/二次元」。

 私、こいひろこと小池裕敏は、キャンセル・カルチャーに加担し呉座勇一氏を始めとする研究者の方々に御迷惑おおかけした「オープンレター」(https://sites.google.com/view/againstm/home)に、まさかこうなるとは知らずに、軽はずみな気持ちで賛同してしまいました。現在、この「オープンレター」が、特定の方々の「表現の自由」を侵害するために利用されていることに対して、とても驚いています

 「オープンレター」に署名後の現在は、エンターテイメント表現の自由の会(https://afee.jp/)に所属し、自分にとって不快な表現であっても、守ることを目指して、微力ながら活動しております。

 この度は、私の未熟で軽はずみな行為により、呉座氏を始めとする多くの皆様に、ご迷惑をおかけいたしましたことを、心から謝罪し、オープンレターへの賛同は撤回させていただきます。誠に申し訳ありませんでした。

魚拓

「「オープンレター」が、特定の方々の「表現の自由」を侵害するために利用されている」とは、同月13日に呉座がブログ記事「番組出演のご案内」でOL差出人の一人でもある北村氏の代理人弁護士からの通知書の画像を公表し、17日の昼に弁護士の高橋雄一郎が「北村紗衣先生の代理人の弁護士から,オープンレターに言及しないでほしいとの要請をいただいた」とTWしたこと(前回記事参照)を背景としていただろう。

棟方も小池もどういう人物なのか私はよく知らないが、研究者や教育者、編集者ではなさそうだ。
「研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へ」(OL)差し出されたOLに、研究者などでないのに何となく賛同してしまったのだろうか。

同18日くらいは、賛同撤回を表明したこれら2人のことを「誠実だ」とか「勇気がある」とか評価する声が多かった。
きっと私とは「誠実」や「勇気」についての考え方が違っていたのだろう。

翌19日、OL差出人の一人である小宮友根(東北学院大学准教授)が氏名冒用の被害者たちに陳謝するとともに、こうTW。

1時間ほど後、棟方がこれを引用RT。

いちいち、細かいことは云いたくないのですが、さっさとぼくの名前を削除しなさい。これは依頼ではありません。小宮友根先生に対する命令です。ぼくの名前を削除しなさい

2022年1月19日 20:21(魚拓

ちょっとどうかしていたのでないだろうか。

この後も棟方は、OL賛同者名簿から自分の名前を削除するように、小宮に引用RTで「命令」していく。

小宮友根先生が若しも、ぼくの署名を削除できないのであれば、ぼくが自分で削除しますから。単簡ですよ、削除するだけで事足りるわけですからね。率直に云いますけど、随分と不誠実な対応ですよね。直ぐに削除するように。管理者は誰なのですか。きっちりと云いましょう。それが最低限の誠実さですよ。

2022年1月20日 18:38(魚拓

棟方が自分でOL賛同者名簿から自分の名前を削除する、とはどういう意味だろうか。
OLのGoogleサイトのパスワードが分からなければ、そんなことは不可能だろう。

小宮友根先生、こういうときに逃げてはいけません。改めてオープンレターから「棟方草一」というのは、ぼくの名前なのですが削除をしてください。逃げてはいけないですよ。學者であるまえに、ぼくらは同じ人間ではありませんか。ぜひ、勇気を出して実行してください。お願い申し上げます。

2022年1月21日 18:14(魚拓

小宮友根先生「最善の相」はどうしましたか。常にそういう風に解釈すべきだと問うたのは先生です。ぼくはひとりの人間としてきっちりと話しております。殺害予告もありました。しかし、逃げる心算は微塵もありません。「棟方草一」という名前をきちんと削除すべきなのです。それこそが誠意ある対応。

2022年1月21日 21:47(魚拓

小宮友根先生、物凄い単簡なことを云っているわけです。オープンレターから「棟方草一」を削除するようにお願いしているだけですよ。別にぼくなんて削除しても関係ないでしょう。あなたに権限がなければ上の人を出してくださいよ。それこそが「最善の相」ですよね。おわかりですよね?

2022年1月21日 23:37(魚拓

なお、小池の名前は23日16時36分取得の魚拓には残っているが、同日23時30分取得の魚拓では消えている。
棟方の名前は1月26日6時53分取得の魚拓には残っているが、同日19時27分取得の魚拓では消えている。
なのでこの間に削除されたのだろう。

平井美帆

OLに賛同した平井美帆(ノンフィクションライター)は今年1月20日、ブログ記事「個人間で和解したなら、相手の氏名を消すとか?」(削除済み)を公表した。

「記憶にないといっている人の名前があったからこそ、中立性を感じて署名した経緯があります」あたりは、どういう意味なのかよく分からない。

平井の名前は同月30日日0時45分取得の魚拓には残っているが、翌31日19時59分取得の魚拓では消えている。
なのでこの間に削除されたのだろう。

大橋直義

OLに賛同した大橋直義(実践女子大学教授)は、今年1月21日の昼に賛同撤回を表明した。

なお、私は大橋と2015年くらいから付き合いがあり、
何度か酒席で杯を交わしたり何年か同じ学会の同じ委員会で働いたりもした。
しかし、そのことと本記事とは関係がない。

同日の夜、大橋は連続TWで事情を説明した。

「今、振り返って考えてみますと、当時の私の置かれた状況によって、署名をするか否かの判定がやや甘くなってしまったのではないかと問われると、そう認めざるをえません。どなたかが書いておられたようにまさしく覆水盆に返らずですが、特に後悔も反省もし…」「ておりません」というのは、なかなか凄い。
恐れ入らざるを得ない。

大橋が「オープンレターそのものへの自由な言及を抑圧する動向があることを知るに…」「いたりましたので、賛同を撤回します」とTWした21日の昼は、雁琳が事実誤認により「北村氏は私個人にではなく勤務先のトップの方に内容証明郵便にて告知しました」などとTWした20日の夜の翌日で、雁琳が甲南大の学長と文学部長に呼び出された時の音声データ(私には雁琳でなく北村氏の主張を裏付けるものであるように聞こえた)を公表した21日の夕方の数時間前だった(前回記事参照)。
大橋は雁琳の事実誤認による説明を信じ、慌てて賛同撤回を表明してしまったのでないだろうか

さて大橋は、呉座と「数年間にわたる研究上の友人」だったという。
2人は2015年度に開始された日文研の共同研究「説話文学と歴史史料の間に」に共同研究員として参加していたため、この共同研究で知り合ったのだろうと推測できる。
当時の大橋と呉座は数多くいる共同研究員たちの2人だったが、3年後の2018年度開始の共同研究「応永・永享期文化論――「北山文化」「東山文化」という大衆的歴史観のはざまで――」では共同で研究代表者となった。

私が前々から気になっているのは、大橋は呉座の鍵垢をフォローしていなかったのかということだ。
大橋は、上掲の連続TWで呉座について「私の知る限り、研究会の席上、その後の酒席およびメール等のやりとりにおいて、マイノリティの立場に置かれている方や…」「女性・若手の研究者に対して差別的な言動をとったことは一度もありませんでした」と述べている。
これが、「自分は呉座の鍵垢をフォローしていなかったので、呉座による鍵TWの内容を昨年3月まで知らなかった」ということを意味するのか、それとも「自分は呉座の鍵垢をフォローしていたけれど、鍵垢ではともかくとして研究会の席上、その後の酒席およびメール等のやりとりに限って言えば、呉座がマイノリティの立場に置かれている方や女性・若手の研究者に対して差別的な言動をとったことは一度もなかった」ということを意味するのか、どちらなのかよく分からない。

私は別に、「呉座の鍵垢をフォローしていた者は全員呉座と同罪だ」とか「呉座の鍵垢をフォローしていた者は全員名乗り出るべきだ」とかいうことは考えていない。
しかし、もし大橋が数年前から呉座の鍵垢をフォローしていていながらそのことに言及せず、自分はあくまで「研究上の友人」でしかなかった、と読者に誤解させるような文章を公表したのであれば、それは不誠実だと考える

呉座は大炎上2年前の2019年4月、「いつの間にかフォローリクエストが1000件を超えてしまったので、時々見て大丈夫そうな人だけ許可しています」とTWしていた(魚拓)。
当時のフォロワー数は約3,700。
このTWへのリプを見るに、呉座は知り合いでない「大丈夫そうな人」からのフォロー申請をも承認していたようだ。
2015年からヒを利用している大橋が、晩くとも同年までに呉座と知り合って、2018年からは2人で共同研究の研究代表者となっていながら、その鍵垢をフォローしていなかったとは考え難い。

大橋は呉座のTW少なくとも3つ(最古のものは2018年7月)にイイネしていたことが、魚拓により確認できる(ただし現在とはアイコンが異なる)。

  • https://twitter.com/goza_u1/status/1020908969722720256(魚拓

  • https://twitter.com/goza_u1/status/1218574228355575812(魚拓

  • https://twitter.com/goza_u1/status/1293423862021939200(魚拓

当然ながらこれら魚拓は、呉座が昨年3月20日に鍵垢を解錠した後に取得されたものだ。
なので、「大橋は呉座の鍵垢をフォローしていなかったが、解錠されて誰でもイイネできる状態になった後(そして魚拓が取得される前)に呉座のこれらTWに何故かイイネした」ということも有り得なくない。

しかしそう仮定すると、何故大橋が呉座のこれらTWを大炎上後にイイネしたのか理解できなくなる。
共同研究代表者だった大橋が、呉座が他人のどのようなTWにイイネしていたかまでも発掘糾弾されていた時期にそのTWをイイネした、ということ自体が考え難い。
また、大橋のアイコンの表示位置が一番端でないため、イイネしたのが解錠後だったとは考え難い。

イイネした垢のアイコンがどういう順番で並んでいったのか、
本記事執筆のために調べてみたがよく分からなかった。
ただし恐らく、イイネした順番で左または右から並んでいった
(つまり左または右にあるアイコンの垢ほど早くイイネした)のだろうと
推測できる。
大橋のアイコンの表示位置が一番端でないということは、
そのTWを最後にイイネした垢が大橋でないということを意味するのだろう。
呉座が解錠した後に何故かそのTWを大橋がイイネして、
大橋の後に別の垢もそのTWをイイネした、などということが
3度も起こり得るだろうか。
しかもこれらTW3つは、大炎上時に注目されていなかったものだ。

なので、大橋は解錠前から呉座の鍵TWをイイネできる状態にあった、つまり呉座の鍵垢をフォローしていたのでないだろうか

なお、大橋は前掲のように今年1月21日にOLへの賛同撤回をTWしたが、その名前は最後まで賛同者名簿から削除されなかった(魚拓)。
恐らく賛同撤回をTWしただけで、OL運営にメールしなかったのだろう。

市川憲人

昨年3月下旬の呉座大炎上時、市川憲人(NPOあいんしゅたいん基礎科学研究所研究員)はこうTWし、北村氏とのレスバに発展した。

翌4月4日にOLが公表されると、市川はこれに賛同した。
そして、前述のように同年10月に呉座の失職と提訴が『京都新聞』で報道されると、同月30日に市川は自分がOLに賛同した理由などについて連続TW。

市川は3月23日に「呉座さんの処分は正直どうでもいい」とTW(前引)していたが、10月30日にはこのように「呉座氏の処分には大反対だ」とTWした。
OLに賛同した理由は「きっちりブーメランが返ってくることが今後のキャンセルカルチャーへの抑止力になると考えて」らしい。
つまりは、OL差出人の北村氏たちにブーメランが突き刺さるようにしたかったということだろうか。

後に見るように翌年2月1日、市川は
「レターへの賛同は北村さんと自分の論争の手段の一環です」とTWする。

市川は数日後の11月6日にもTW。

「呉座さんのキャンセルはやむを得なくもなく度を過ぎていて違法行為に当たると考える」のであれば、市川自身もその「違法行為」に加担したことにならないのだろうか。

同月30日にはこうTW。

そしてOLが大炎上していた今年1月18日、市川は自分がOLに賛同したことを陳謝。

3日後の21日の昼過ぎ、市川はOLへの賛同撤回を表明。

市川の名前は翌23日16時36分取得の魚拓には残っているが、同日23時30分取得の魚拓では消えている。
なのでこの間に削除されたのだろう。

市川は以後、同月25日や27日、翌2月1日にもTWしていった。

6か月後の8月23日にはこうTW。

市川は1月25日に「自分が呉座さんを社会的に追いやる為に署名したわけではない」とTW(前引)し、8月23日にはこのように「オープンレターが呉座さんのキャンセルを目的とした文章であることは明らか」とTWした。
これら2つの説明は本当に整合するのだろうか。

文面修正の要否と賛同撤回の是非

本章では、複数の賛同撤回者が言及した「呉座と北村氏の和解成立後もOLをそのままにしておくのはどうなのか」という問題などについて検討する。

和解成立と文面修正

昨年4月4日公表のOLで名指しされた呉座と、その誹謗中傷の被害者でありOL差出人でもある北村氏は同年7月に和解した(前回記事参照)。
この和解成立はOLの文面から呉座の名前を削除すべき理由にならない、と私は考える。

そもそもOLは、題名のように「女性差別的な文化を脱するために」公表されたものであり、呉座と北村氏の和解を成立させるために公表されたものでない。
OLの文面も、「この問題の原因は呉座氏個人の資質に帰せられるべきものではないとも考えています」と明記し、呉座の属していたという文化を問題にしている。

仮にOLが呉座と北村氏の和解を成立させるために公表されたものだったとしても、これは北村氏1人の私有文書でない。
もしOLの文面を修正しようとしたら、18人の差出人全員の同意だけでなく、1000人以上とされる賛同者全員の同意をも得なければならない
(OL運営は賛同者募集のGoogleフォームで「メールアドレス」入力を必須にしていなかったので、賛同者全員の連絡先を把握していないが、たとえ把握していたとしても)1000人以上とされる賛同者全員の同意を得るなんてことは不可能だ
かと言って、もし賛同者全員の同意を得ずに文面を修正したら、それは賛同者氏名の冒用になってしまう。
OLの文面から呉座の名前を削除すべきだと言う人は、賛同者全員から同意を取って削除しろと言いたいのか、賛同者全員から同意を取らずに削除しろと言いたいのか、どちらなのだろうか。

私のOLへの誤解

私は当初、前節「和解成立と文面修正」の末尾にこう書くつもりだった。

そもそも昨年4月4日に公表されたOLは、同月30日まで賛同者を募集すると予告して、予告通り同日で賛同者募集を締め切った。
つまりOLは4月末で更新を終了すると予告していたのだから、3か月後の7月に成立した呉座と北村氏の和解がOLに影響しないのは当然だ。

この理解を前提として、続く本節で「だから本来、賛同者が募集締め切り後に自分の名前を賛同者名簿から削除せよと要求することは不当だ」と批判し、部外者ながら憤りに近い不満をぶちまけるつもりでいた。
しかし念のため確認してみたところ、私のこの理解は大間違いだったようだ

昨年4月4日のOL公表時、運営は賛同者募集を同月30日で締め切るなどと予告していなかった(魚拓)。
同月11日に賛同者数を「4月10日21:00時点1264名」としていたが、この時点でもまだ賛同者募集を同月30日で締め切るなどと予告していなかった(魚拓)。
賛同者募集のGoogleフォームでもそのような予告はなかったようだ(魚拓)。

恐らくOL運営は、恐ろしいことに「いつか締め切る」ということを考えずに賛同者募集を開始し、やがて「いつまでも賛同者名簿の更新を続けなければならないのは負担だな」と考えるようになり、OLが注目されなくなった4月30日くらいになって突如「レターへの賛同募集は4月30日をもって締め切りました」(魚拓)と宣言したのだろう。
前々からOL運営を行き当りばったりだと批判してきた私でさえ、まさかここまで行き当りばったりなことをしたとは思っていなかった
研究者や編集者、メディア・アクティビストは何をするか本当に分かったものじゃないな、という思いを新たにした。

もし私のこの新たな理解が正しければ、OL賛同者の一部は「OLは永遠に賛同者募集を継続する永続の活動であり、そのためいつでも参加できいつでも離脱できる」と誤解して賛同したのかも知れない。
もしそうであれば、賛同者の一部が今年1月になって翻意したことに憤慨しづらくなる。
そもそもOLが先に賛同者募集について翻意していたことになるからだ。
どうして(私の知る限り)誰もこの賛同者募集の締め切り問題に言及していないのだろうか。

本連載の最終回である本記事が、まさかこういうオチになるとは思っていなかった。
ただ、複数の賛同撤回者が言及したような言論抑圧は(ほとんど)存在していなかっただろうこと(前回記事参照)は、ここでも強調しておきたい。

あとがき

本連載「あれから1年」はこれで終了します。
論壇チャンネル「ことのは」や研究者倫理について書きたいこともありますが、次回連載は多分来年です。
数か月間は記事執筆から解放されたいので。

さて私は、前回連載の最終回前篇「余滴あれこれ(前篇)」で書きましたように、Amazonギフト券での研究費を募集しています

100円でも有り難く、匿名可ですので、よかったら投げ銭してください。

連載最終回が予定外のオチになってしまい気まずいのですが、
研究費募集のことは連載最終回の「あとがき」で再び書こうと
予定していたので書きました。
次回以降の連載でも、連載最終回の記事で書くつもりです。

それでは。

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最後まで読んでくださりありがとうございました。