OLと北村紗衣氏への濁流

昨年3月、国際日本文化研究センター(以下、「日文研」と略す)の助教(当時)だった呉座勇一の鍵垢が大炎上した。
翌4月4日、呉座から誹謗中傷された被害者の一人である北村紗衣氏(武蔵大学准教授)を含む差出人たちは、オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」(以下、"OL"と略す)を公表した。
そしてOLやその差出人たちは、後述するように今年1月、大炎上した。

私は昨年3月以来の一連のnote記事で、人名は原則呼び捨てにし、
被害者(と私には考えられる)人にだけ「氏」を付けてきた
(例外は多分「西村玲氏」のみ)。
本記事では「誹謗中傷などの被害者である北村紗衣」に多く言及しつつも、
時に「OL差出人の一人である北村紗衣」にも言及する。
上述の原則からして後者には「氏」を付けたくないのだが、
同一記事で同一人物に「氏」が付いたり付かなかったりすることは煩わしく、
また一文で両者に言及することもあるだろう。
そのため、北村氏については「氏」付で統一することにした。
なお、引用文では原文ママ。
また地の文でなく、他人からの北村氏理解などに言及する時は、
必要に応じて呼び捨ての「北村」とも表現する。

前々からOLを批判してきた私に言わせれば、OLやその差出人には批判されて当然のところがあった。
ただ、今年1月の大炎上が「批判されるべきところが正しく批判されただけ」だったとは思われない

そこで本記事では、今年1月にOLや北村氏が大炎上した問題について検討する。
昨年3月の最初の記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その1)」と同じくらいのとんでもない長さになってしまったが、分割できなくて1本にした。
よかったら通読してみてほしい。

なお、前回記事では次回記事(つまり本記事)での連載終了を予告していたが、あともう1本での連載終了に変更した。

(必読)注意事項

なるべく注意して執筆したが、それでも本記事には時系列の誤認などが含まれているかも知れない
その原因は、展開が複雑で記事が長大だからというだけでない。

第1に、呉座はブログ記事を何度も消したり戻したり書き変えたりした。
私は、魚拓に残っているすべての版を比較精査するようなことはできていない。
また、もしかしたら魚拓の世界標準時や米国太平洋標準時(-8時間)を、日本標準時(+9時間)にうっかり換算し忘れているところがあるかも知れない。
単純な「午前」と「午後」の見間違えなども、ないとは言い切れない。

第2に、今年1月の北村氏は代理人弁護士と協議しながらTWしていたので、その事実説明は(完全にでないが)かなり信用できる。
だが、当時の呉座は代理人弁護士がいなかったので、ブログ記事の事実説明は曖昧または不正確なことがある。
この評価は、残っている魚拓や第三者のTWなどと比較して得たものだ。
ただし、そうは言いつつも私が呉座のブログ記事の不正確な事実説明を誤信していたり、その事実説明が正確なのに誤りだろうと誤認したりしているところがあるかも知れない。

もし本記事に誤りらしい記述が見付かったら、(できれば根拠を添えて)末尾のGoogleフォームから送ってほしい

大炎上までの展開

今年1月の大炎上は、同月に何があったかを見るだけで正しく理解できるものでない。
その半年以上前まで遡って、展開を分析する必要がある。

本章では、時系列順に「この時期にこういう事件があった」という簡潔な記述を繰り返していく
同時に考察までしていくと、文章が繁雑になるためだ。
そして本章での整理を前提として、次章以降でそれら展開について考察することにする

2021年12月まで

昨年4月4日に公表されたOLは、同月30日で賛同者募集を締め切った。

(2022年10月10日 13時20分ごろ追記)

当初の「昨年4月4日に公表されたOLは、予告通り同月30日で賛同者募集を締め切った」という文から「予告通り」を削除した(記事「OL賛同者の撤回」参照)。

(追記ここまで)

その後、呉座が北村氏と代理人を介して行っていた交渉が決着したらしく、7月19日付で呉座の正式な謝罪文が公表された。
厳密に言うと、「北村紗衣様への謝罪文.pdf」というPDFファイルがGoogleドライブで公表され、そのURLが呉座の新設ブログ「ygozaのブログ」(後に「呉座勇一のブログ」と改題)の記事「北村紗衣様への謝罪文」(魚拓、削除済み)で公表された。
2日後の21日、北村氏もTW。

呉座のブログ「ygozaのブログ」は、記事「北村紗衣様への謝罪文」を公表する
ために新たに開設されたもののようで、北村氏がTWするまでほとんどの人は
記事どころかブログの存在にすら気付いていなかった。
そして、記事「北村紗衣様への謝罪文」が後に削除されて記事が何もなくなった
ので、しばらくの間このブログの存在は忘れられた。

呉座は2か月後の9月末に失職し、翌10月付で日文研の機関研究員(非常勤)になった。
そして同月15日付で日文研魚拓)とその上部法人である大学共同利用機関法人人間文化研究機構(以下、「機構本部」と略す)から研究教育職員(呉座)の懲戒処分についてそれぞれ発表があった。
5日後の20日付で日文研のある京都の地元紙『京都新聞』は記事「日文研の元助教に懲戒処分 長期にわたりSNSで不適切発言繰り返す」を報道した。

5日後の25日、呉座はブログ記事「懲戒理由」(10日ほど後に削除)を公表し、懲戒処分の理由についてこう述べた。

色々取沙汰されていますが、ジェンダーに関する不適切発言が最大の理由となっています(北村氏との和解前は北村氏への誹謗中傷がかなりの比重を占めていましたが)。
職場が女性蔑視的発言と認定したものは100件近くにのぼります(一例を挙げておきます)。
〔画像省略…引用者註〕
一連の発言を深く反省し、皆様に心よりお詫び申し上げます。
現在、職場の紹介でジェンダー・フェミニズムに関するカウンセリングを受けております。
ジェンダーに関する理解を深め、認識を改められるよう努力してまいります。

魚拓
なお、この
「現在、職場の紹介でジェンダー・フェミニズムに関するカウンセリングを
受けております」
という一文により、
「呉座さんが日文研から思想改造されている」みたいな臆測も広がった。
しかし(今は根拠を伏せるけれども)実際には、昨年3月の大炎上直後に
呉座がカウンセリングを日文研に希望したようだ。

4日後の29日付で『京都新聞』の記事「ベストセラー「応仁の乱」著者が日文研を提訴 SNS不適切発言で「准教授取り消し」巡り」が報道された。
これらを背景として同10月後半以降は、呉座の失職とキャンセルカルチャーについての議論も盛んに行われた。

翌11月1日、呉座はブログ記事「オープンレター」(2、3日後に削除)で、懲戒処分説明書の一部を画像掲載してこう述べた。

オープンレターが処分に影響を与えたか否かという議論が盛り上がっていますが、あまりにも自明のことのように思います。

魚拓

また、呉座は翌2日にはてなブックマークでこうコメントした。

このオープンレターが個人糾弾ではない、敵か味方かを迫る踏み絵ではない、と言われても納得できませんね。
「文化環境」の改善が目的なら、個人名の連呼も所属組織の名前も不要では。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4710585019787068450/comment/ygoza

そして呉座は同日、ブログ記事「訴訟について」を公表し、機構本部を相手取って訴訟を提起した理由について説明した。

翌3日、評論家の與那覇潤は『アゴラ』で連載「呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える」を開始し、翌12月29日の最終回までの記事13本でOLやその差出人、賛同者などを批判していった。
これら與那覇記事には、批判されたOL差出人や賛同者からの反論もあって注目された。

やや前後して同年1217日、新世紀ユニオン(個人加入労働組合)の
ブログ「委員長の日記」が
記事「本日ある東京の研究機構に団体交渉を申し入れました!」を公表し、
「Aさん」(明らかに呉座を指している)のために
「ある研究機構」(明らかに機構本部を指している)に団体交渉を申し入れた
と述べた。
http://shinseikiunion.blog104.fc2.com/blog-entry-3478.html
新世紀ユニオンは後にOLも批判(というか攻撃)するようになるが、
この時期はまだそうしていなかった。

やや前後して同年12月23日、東浩紀が代表(当時)の動画配信プラットフォーム「シラス」の「ゲンロン完全中継チャンネル」が、翌年(つまり今年)1月14日に呉座勇一×辻田真佐憲×與那覇潤「歴史修正と実証主義――日本史学のねじれを解体する」(以下、「鼎談配信」と称す)を生配信すると告知した。

後述するように4日後の27日、北村氏は代理人弁護士に呉座の元代理人へ通知書を送らせた。

2022年1月あたり

年が明けて今年1月は、あまりにも多くのことがあり、極めて複雑な展開となった
私も執筆しながら頭がパンクしそうになったので、ほとんどの読者は頭がパンクするに違いない。
同月の展開は非常に重要だが、ここを読んでいて力尽きられても困る。
もしかしたら一旦は本節を読み飛ばし、まず次章「言論抑圧はあったか」以降を読んでから最後に本節に戻ってきてもよいかも知れない。

同月13日、呉座はブログ記事「番組出演のご案内」(同月24日削除)を公表し、翌14日の鼎談配信への出演を告知しつつ、こうも述べた。

なお、昨年12月27日付で北村紗衣氏の代理人から下掲の文書をいただきました

画像省略…引用者註〕
↑北村氏代理人からのご連絡(私の代理人とされている方は委任事務を終了しているので、黒塗りにさせていただきました)

北村氏代理人が的確に理解されておりますように、上記番組の趣旨は北村氏に関連する事柄と一切関係がございません。
また私は北村氏との和解時の合意事項を今に至るまで遵守しております。
したがいまして私が番組内で北村氏に言及する予定はございませんし、仮に他の出演者や視聴者から質問等を受けたとしても応答は致しません。
北村氏はじめ皆様にはどうかご安心いただきたく存じ上げます

魚拓

肝心の画像を省略したので説明を補足すると、通知書の趣旨はこういうことだった。
鼎談配信の内容は北村氏と無関係なものになるだろうと予想されるものの、共演者の與那覇は以前から北村氏やOLを批判しているため、一部の視聴者は北村氏への誹謗中傷の問題やOLの問題も取り上げてほしいと希望するだろうとも予想される。
北村氏としては念のため、呉座が和解結果としての謝罪文の趣旨に反し、北村氏を鼎談配信で直接間接に誹謗中傷することのないように、念のため連絡する、と。

画像では実際に「念のため」が1文で2回使われていた。

呉座のブログ記事で通知書の画像が公表されるとすぐに、こんな通知書を送り付けることは悪質だという声が多く出た。
そして翌14日、告知されていた鼎談配信が行われた。

3日後の17日、弁護士の高橋雄一郎が、北村氏の代理人弁護士から「オープンレターに言及しないでほしいとの要請」があったけれどそれを拒否することにした、とTWした。

これを直後の13時12分、シラス代表の東(垢消し済み)が引用RT。

何を根拠に要請しているんだろう。 弁護士から内容証明が来れば一定数はビビるという目算で、とにかくたくさん出しているのだろうか

魚拓

高橋が追加TW。

1時間後に北村氏は、ある垢からの「ピンとこないといえば、この「オープンレターに言及しないでほしいとの要請」を弁護士を通じて出されているという話は本当なのでしょうか? オープンなのに言及を抑制するってピンとこなくて...」というリプ(魚拓)を引用RTした。

数十分後、高橋がまたTW。

数十分後、北村氏がこうTW。

その30分ほど後から、ハッシュタグ「#北村紗衣先生への二次加害に強く抗議します」が用いられていく。
これは昨年3月に拡散されたハッシュタグ「#北村紗衣さんへの二次加害に抗議します」に「強く」を加えたものだ。

その直後、文筆家の古谷経衡氏が、自分はOLに賛同していないのに名前が賛同者名簿に掲載されているという氏名冒用の被害を告発し、OLに抗議した(本連載第2回記事「OLの賛同者名簿と氏名冒用」参照)。

この1月17日は、ハッシュタグ「#北村紗衣先生への二次加害に強く抗議します」が用いられるようになった日であるとともに、OLの大炎上が始まった日でもあると言ってよい

2日後の19日の朝、高橋が要請の内容とそれへの対応を説明。

翌20日の夜、若手研究者の雁琳が勤務先に北村氏から文書を送り付けられたと連続TW。

雁琳は一応は匿名だったが、翌21日に北村氏がTWしたように、
実際には容易に本名を特定できるようなTWや言論活動をしていた。
なので私も、これ以前から雁琳の本名を特定して知っていた。

直後に、雁琳のTWを高橋が「これがオープンレターの闇だね」と引用RT。

翌21日の朝、北村氏が雁琳への対応について説明。

北村氏によれば、雁琳の「北村氏は私個人にではなく勤務先のトップの方に内容証明郵便にて告知しました」などの主張は事実誤認だったらしい
同日午後、雁琳は自分の事実誤認を一部訂正した後、昨年12月20日に自分が勤務先である甲南大学の学長と文学部長に呼び出された時の音声データ(18分20秒、恐らく秘密録音したもの)を公表した。

同日の夜、北村氏が雁琳への文書送付について追加説明TW。

3日後の24日(時刻未詳)、呉座のはてなブログ「呉座勇一のブログ」が凍結され、臆測が広まった(後述)。

同日昼前、北村氏が高橋への文書送付について趣旨説明TW。

同日昼過ぎ、高橋が北村氏の代理人弁護士から受け取った要請文の一部を引用紹介TW。

同日の夜、凍結されていた「呉座勇一のブログ」が解凍された(後述)。
ただし、凍結の原因となった同月13日の記事「番組出演のご案内」は再公開されなかったようだ。

翌25日、北村氏が高橋への対応について補足説明TW。

同日、呉座がブログ記事「凍結につきまして」(魚拓)を公表し、「ブログの凍結と一部ブログ記事の削除は、北村紗衣氏の代理人である谷村紀代子弁護士の申請によるものです」と明かした(後述)。

これについて同日昼過ぎ、同月14日の鼎談配信で呉座、與那覇と共演した評論家の辻田が連続TW。

直後、この呉座のブログ記事「凍結につきまして」について北村氏がTW(後述)。
そして同記事も翌26日に非公開となり(魚拓)、またしても臆測を呼ぶことになった(後述)。

呉座は2日後の28日に記事「一連の凍結・削除・非公開・再公開などにつきまして」を、翌2月5日に記事「はてな運営の説明に対して」をそれぞれ公表し、凍結問題について説明した(後述)。

省略したところも多いが、大体はこんな展開だった。

言論抑圧はあったか

以上の展開について、当時は「OLで「自由な言論空間を作っていきましょう」と呼び掛けた差出人の一人である北村が、弁護士を使って陰で言論を抑圧した」みたいな声や、そのような理解に基づいた北村氏への誹謗中傷がかなり多かった。
しかし、(私がこれまで繰り返し批判してきたOL賛同者名簿での氏名冒用などを除いて)北村氏に非は(ほとんど)なかったと考えられる

「(ほとんど)」というのは、後述するように、北村氏の代理人弁護士が
昨年11月9日付で雁琳に郵送した内容証明郵便の内容が十分に明らかでなく、
そこについては判断を留保したいため。
ただし、やはり後述するように、何れにせよこの内容証明郵便はOLに
直接関係したものでなかっただろう。

前提としての和解契約

当初は呉座も北村氏も明かしていなかったが、代理人を介して行った交渉の結果、双方は昨年7月の和解時に和解契約を締結したらしい
和解契約とそこに口外禁止条項があることは、今年4月に北村氏が(呉座の事前承諾を得て仕方なく)公表した。

ただし私は、呉座が今年1月13日のブログ記事「番組出演のご案内」(前掲)で
「私は北村氏との和解時の合意事項を今に至るまで遵守しております」
と述べたので、何か和解後も有効な取り決めがあるんだろうなと思っていた。
ちなみに、北村氏のこの
「呉座さんに、女性に関する基金への寄付をお願いし、実際にそれが
実行されました」
という説明について、「寄付を強要した北村は酷い」みたいな声もあったが、
その臆測もどうかと思う。
もしかしたら呉座が「金銭の支払いで和解したい」と提案して、
北村氏が「私に支払うのでなく、女性に関する基金に寄付してほしい」と
返したのかも知れない。
そういうことは、アメリカのテレビドラマを観ているとたまにある。

私を含む一般人が「和解」「謝罪文の公表」とだけ聞くと、まるで双方は過去を水に流し、すべての関係を解消したかのように考えてしまいがちだ。
しかしそうでなく、和解契約の締結によって、紛争が清算されつつも新たな関係が結ばれたと考えるべきだろう
ここを分かっていないと、その後の展開を「無関係になったはずの北村が済んだ話をいつまでも蒸し返し、呉座を追い詰めている」と誤解しかねないので、要注意

個人間の公表されていない合意条項について穿鑿し、その推測を公にするなんてことは本来、下劣だ。
しかし、展開を誤解している人があまりに多いので、和解契約には恐らく(北村氏の言及した口外禁止条項だけでなく)清算条項迷惑行為禁止条項も含まれていただろう、という推測だけは示しておきたい。

なお念のため言っておくと、私はただの部外者のド素人であり、
本記事の和解条項についての記述は、
田中豊『和解交渉と条項作成の実務
――問題の考え方と実務対応の心構え・技術・留意点――』(学陽書房、2014)
http://www.gakuyo.co.jp/book/b185606.html
を拾い読みして書いたものでしかない。

口外禁止条項や清算条項、迷惑行為禁止条項を含むと考えられる和解契約のため、呉座と北村氏の双方は言動が制約されているだろうと推測できる
例えば、呉座は今年2月25日のブログ記事「債務不存在確認訴訟についてのお知らせ」でこう書いた。

私、呉座勇一は、代理人弁護士を通じて、2022年2月17日にオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」差出人16名及び元差出人に対し、公開された連絡先メールに通知書を送付しました。
通知書では、オープンレターが虚偽の事実を公然摘示した名誉毀損であることを指摘し、削除・謝罪及び損害賠償100万円の支払い請求すると共に、オープンレターの記載が私のいかなる具体的発言を指しているのかを照会しました。

この「差出人16名及び元差出人」という表現では合計何人なのかよく分からないが、弁護士ドットコムニュースよれば「オープンレターの内容をめぐって、呉座さんは今年2月17日、名誉毀損されたとして、差出人ら17人に対して、オープンレターの削除と損害賠償計100万円の支払いを求める文書を通知した」という(同日付記事「ベストセラー『応仁の乱』呉座勇一さんを名古屋大教授らが提訴 「オープンレターを削除する義務ない」」)。

昨年4月4日のOL差出人は18人だったのに、呉座は誰を何のために除外したのか。
これは、OL差出人18人のうち北村氏にだけは、和解契約の清算条項のため損害賠償金の支払いなどを請求できなかったと考えられる。
和解した昨年7月より前である同年4月のOLについて、呉座が北村氏への債権の存在を主張すると、和解契約の清算条項に違反してしまうのだろう。

呉座からの請求への対応として、OL差出人有志12人が同月25日、呉座への債務不存在確認請求訴訟を東京地裁に提起した。
訴状を確認した呉座によれば、この訴訟の原告は「訴訟提起のご報告」(魚拓)に名を連ねている11人と礪波亜希の合計12人だという(記事「債務不存在確認訴訟についてのお知らせ」追記参照)ので、北村氏は訴訟の原告になっていない。

「あれだけ呉座を批判していたのに訴訟に参加しない北村は卑怯だ」みたいなことを言う人もいたが、そうでなくて和解契約によって言動が制約されているのだろう。
北村氏は、清算条項のためOLについて呉座への債務が存在せず、もしそれなのに債務不存在確認請求訴訟の原告になれば迷惑行為禁止条項に違反してしまいかねないのだろう。

そして口外禁止条項のため、呉座も北村氏もこれら不自然な相互不干渉の理由を公に説明できないのだろう、と推測できる。

鼎談配信への懸念

今年2月以降のことについてもあれこれ述べてしまった。
ここで、元の「今年1月あたりまでの展開については、(私がこれまで繰り返し批判してきたOL賛同者名簿での氏名冒用などを除いて)北村氏に非は(ほとんど)なかったと考えられる」ということに話を戻す。

鍵垢で北村氏を誹謗中傷していた呉座は昨年3月の大炎上時、謝罪しつつも自ら「私の偏見は今さら矯正できないかもしれません」(魚拓)と認めていた。
そして11月には、「このオープンレターが個人糾弾ではない、敵か味方かを迫る踏み絵ではない、と言われても納得できませんね」(前引)などと不満気なコメントをしていた。

12月に告知された今年1月の鼎談配信は生配信で、しかも共演者はやはりOLを批判する與那覇たちだった。
多くの視聴者がいる生配信で話が盛り上がり、矯正困難な呉座がうっかり口を滑らせてまた北村氏を誹謗中傷したりしてしまう、という危険がなくはなかった。
北村氏がそのようなことを懸念しても無理なかっただろう。

なお呉座は今年6月、シラスのある番組で
「軽率なコメント」を投稿して「深刻なトラブルを引き起こし」、
開設予定だった「呉座勇一のワイワイ日本史チャンネル」が中止となった。
https://ygoza.hatenablog.com/entry/2022/06/15/094849
https://ygoza.hatenablog.com/entry/2022/06/15/203258

なので、北村氏が代理人弁護士経由で釘刺しの通知書を送ったことは問題なかったと考えられる
そして通知書を受け取った呉座は、北村氏の代理人弁護士に「どうかご安心いただきたく存じ上げます」と返事だけすればよかった。
あるいは次善の手として、ブログ記事で通知書が届いたことに全く言及せず、ただ「私が番組内で北村氏に言及する予定はございませんし、仮に他の出演者や視聴者から質問等を受けたとしても応答は致しません」とお気持ち表明するだけでもよかっただろう。

もっとも、このようなお気持ち表明では、呉座は
「私の代理人とされている方は委任事務を終了している」ということを
北村氏側に伝えようがない。

ところが呉座は、前述のように鼎談配信前日の1月13日、ブログ記事「番組出演のご案内」であろうことかその通知書の画像を掲載し、全世界に公表してしまった。
実に理解し難い行動だった
森新之介という馬鹿」が元呉座界隈の某個人から代理人弁護士経由で通知書を送り付けられ、その画像を3か月ほど前の昨年10月にnote記事「元呉座界隈の某個人についてのお気持ち表明」に掲載していたから、自分も真似したくなったのだろうか。
その「馬鹿」は、同記事で「こんな記事を公表すれば、私にそんな意図がなくても某個人は挑発行為と解釈してしまうかも知れない」と書いていたというのに。

北村氏側による画像削除要請と呉座ブログ凍結

13日に呉座が通知書の画像を公表したことへの対応として、北村氏側は画像の削除をはてなブログ運営(以下、「はてな運営」と略す)に求めた(同日か翌日か不明)。
そして14日に同運営がメールで呉座に意見照会したが、呉座がこれを放置したため10日後の24日にブログが凍結された(後述)。

同日夜にブログが解凍された呉座は、翌25日にブログ記事「凍結につきまして」を公表し、凍結の事情を一部説明した。
凍結事情の説明は後日の別記事の方が詳しいので、ここでは北村氏の代理人弁護士である「谷村氏」への要望のみを引用する。

なお、谷村氏からは別途、書面協議の要請が出ておりますが、北村氏との紛争については和解で解決しておりますので、今は代理人等はどなたも立てておりません
私は現在に至るまで和解条項を遵守しており、和解後に自分の手で弁護士と書面のやりとりをするのは精神的負担です
現在、心療内科に通院している状況であり、弁護士からいきなり書面を送られることじたい恐怖を感じます
人間文化研究機構との訴訟で精神的に疲弊している中、不必要な書面送付はお控えいただくよう、谷村氏には伏してお願い申し上げます。

また、裁判に影響しかねませんから、弁護士名での日文研への書面送付もお控えいただければ幸いに存じ上げます

魚拓

和解後の現在(当時)、自分呉座は代理人などを立てておらず、「自分の手で弁護士と書面のやりとりをするのは精神的負担」で、「弁護士からいきなり書面を送られることじたい恐怖を感じます」、と。
部外者ながら、私としては「じゃあ、自分のためにも代理人を立てろよ」「そういうことはブログ記事で要望せずに、通知書に記載されていた北村氏代理人の連絡先に直接返信しろよ」「それが「寛大な心で許して和解に応じてくださった」(呉座謝罪文)相手にすることか」と言いたくなった。

このブログ記事について北村氏がTW。

そりゃそうだ

はてな運営によるブログ凍結(読み飛ばし可)

1月25日の呉座ブログ記事「凍結につきまして」は、(北村氏側でなく)はてな運営からの公開停止要請があり、翌26日に呉座が非公開とした(魚拓)。
ただし、公表直後に非公開となった理由が当初不明だったため、またしても臆測を呼んだ。

翌27日、これについて北村氏がTW。

そして呉座は、記事が非公開となったことで北村氏が困惑していると聞き、そのことをはてな運営に伝えたらしい。
3日後の28日、非公開となっていたブログ記事「凍結につきまして」が再公開された(魚拓)。
また、前後未詳ながら同日、呉座はブログ記事「一連の凍結・削除・非公開・再公開などにつきまして」を公表し、近日中にはてな運営から説明があるらしいので自分もそれを待ちたい、と述べた。

翌2月4日に同運営は「送信防止措置およびその経緯に係る情報開示に対する制約」を公表し、翌5日に呉座はブログ記事「はてな運営の説明に対して」を公表した。

話はここから更にややこしくなる。
まず、呉座の記事から引用する。

私の方で時系列で簡単に経緯をまとめると、以下の通りです。
1/13 「番組出演のご案内」を公開。北村紗枝氏代理人(水田弁護士、谷村弁護士)の通知書を引用した。
1/14 谷村弁護士個人の削除申立てを受けて、はてな運営から意見照会のメールが私に届く(著作権・著作者人格権によるもので、プライバシー違反の指摘はない)。ただしゲンロン出演の反動で鬱状態だった呉座は数日間メールチェックを怠っており、意見照会のメールが来ていたことに気づかず。
1/24 意見照会期限を過ぎたためブログ凍結。
   当該記事を削除し、同様の著作権違反を行わないことを誓約して、ブログ再公開。
1/25 凍結につきまして - 呉座勇一のブログ (hatenablog.com)で経緯を説明。
1/26 はてな運営から公開停止を要請するメール(※)が届く。凍結を避けるため、やむなく公開停止。
2/4 公開再開。

※の公開停止要請は、
1/14の意見照会メールに書かれた「要請」に違反することを理由とするものでした。

魚拓

北村氏側からの削除申し立てにより、1月14日、はてな運営は呉座に意見照会のメールを送信した。
だが、呉座はそのメールに気付かず、結果として黙殺してしまったため、10日後の24日に意見照会期限を過ぎてブログが凍結された。
同日、呉座は当該記事を削除し、同じような著作権違反を行わないことを誓約して、凍結が解除された。
翌25日、呉座が事情説明の記事「凍結につきまして」を公表すると、同運営からその記事の公開停止を要請するメールが呉座に届いた。
翌26日、呉座はその要請に従った。
公開停止要請の理由は、1月14日の意見照会メールにあった要請への違反だった、と。

そしてはてな運営と呉座によれば、1月14日の意見照会メールにあった要請とは以下のものだったという。

本メールには一般に広く公開されていない事実が含まれております。
申立の内容および申立を受けた事実について開示を行うことは、
プライバシー侵害や名誉毀損等、権利侵害に相当する場合があります。
みだりに転載を行わないようお願いします。
また、転載を要する場合は、弊社まで事前にご確認ください。

やや出来の悪い説明文だが、何を言いたかったのか私には分かる(と思う)。
今回の意見照会は外部からの申し立てによるものだが、被照会者(呉座)はその申し立て内容だけでなく、申し立てがあったという事実もまた無断で開示してはならない、と。
簡潔に書けばこのくらいで済む内容だが、「開示」を「転載」と言い換えたり、「みだりに」なんて余計な修飾語を付けたりするから分かりにくくなる。

なお当時、「はてな運営は北村による言論抑圧に加担した」みたいな声も見られた。
しかし同運営は、以前からこのような意見照会でこのように要請していたらしい。

呉座は、申し立て内容だけでなく、申し立てがあったという事実もまた無断で開示しない、というはてな運営からの要請に従ったはずだった。
そのはずでブログの凍結を解除された呉座が、解凍翌日のブログ記事で「ブログの凍結と一部ブログ記事の削除は、北村紗衣氏の代理人である谷村紀代子弁護士の申請によるものです」と開示したのだから、はてな運営が呉座に公開停止を要請したのは当然だろう

はてな運営からの要請文について、呉座は2月5日のブログ記事「はてな運営の説明に対して」でこう主張。

前半の「プライバシー侵害や名誉毀損等、権利侵害に相当する場合があります」という注意については、
本件の場合に権利侵害はないと私は判断しました
後半2行は、「転載」を制限するものですが、
ブログ記事ではメールの内容を要約しただけで、転載はしていません
このように、私のブログ記事公開は要請に違反するものではありませんでした〔…〕。

魚拓

呉座に言わせれば、「申立の内容および申立を受けた事実について開示を行うことは、プライバシー侵害や名誉毀損等、権利侵害に相当する場合が」あるけれども、「本件の場合に権利侵害はないと私は判断しました」ので開示した、そして転載せずに要約しただけだ、ということらしい。
だが、あの要請文を、被照会者が申し立てについて開示しても権利侵害はないと慎重に判断した場合は開示してよい、という意味に解釈するのは無理だろう。

もっとも、前述のように、はてな運営からの要請メール文面にはやや分かりづらいところがあった。
同運営も、「送信防止措置およびその経緯に係る情報開示に対する制約」で

制約の趣旨として、開示の制約対象は申立を受けた事実や申立内容に関する情報でありメールの転載のみにとどまるものではないため、今後の意見照会の際には文言を改めることとした

と認めたくらいなので、呉座の主張を詭弁だと断じられなかったのだろう。

また、呉座は同記事でこうも続けた。

この公開停止要請は、はてな運営の「勇み足」にすぎず、北村氏や代理人の申立てによるものではないそうです。
〔…〕
北村氏が、拙記事「凍結につきまして」について、プライバシー違反などの権利侵害がないにもかかわらず、ブログの削除を要求するという恥ずべき言論弾圧を行ったという風評は、事実に基づかない誤解でした
はてな運営は、私が要請に違反しておらず、北村氏や代理人が削除申し立てをしていないにもかかわらず、規約に基づかない独自の判断でブログ記事を公開停止させました。
このはてな運営の措置は、北村氏の名誉を害し、迷惑をかけたものと考えます
これは私にとっても不本意な結果でした。
私は、はてな運営に対し、自らの誤った判断でこのような混乱を招いたのだから、
私はさておくとしても、北村氏に対しては謝罪すべきだと再三申し入れました
〔画像省略…引用者註〕
はてな運営の説明文は、誰が読んでも理解困難なものでしたし、北村氏や私に対する謝罪の言葉もありませんでした
このことを遺憾に思います。

魚拓

まるで自分がフェイクニュースを暴いて北村氏の名誉を守ったかのような書き振りだ。
しかし、はてな運営からの公開停止要請は呉座が言うような「規約に基づかない独自の判断」でなく、1月14日の意見照会メールの要請に基づいたものだったと考えられる。

また、元はと言えば、通知書の画像をブログ記事に無断で掲載するという呉座の「勇み足」のため、北村氏は「和解した当事者として、私信を一方的に公開され、辛い思いをしている」「私はこの文書がこちらの知らないうちに公開された後、かなりひどいことをたくさん言われました」とTW(ともに前引)することになったと考えざるを得ない。
呉座ははてな運営を北村氏に謝罪させようとする前に、まず自分が北村氏に謝罪すべきだった。
当時も現在も呉座のこれらブログ記事で北村氏に詫びる言葉が全く見えないのは、私が見落としているからだろうか。

(2022年9月27日 22時ごろ追記)

何故呉座が北村氏に詫びなかったのか、本記事の執筆公表時は普通に分からなかった。
しかしよくよく考えてみると、和解契約に迷惑行為禁止条項があるからこそ詫びなかったのでないだろうか。
つまり、もし自分が北村氏に迷惑を掛けたと詫びると、和解契約の迷惑行為禁止条項に違反したと認めることになってしまうため、詫びずにいるのでないだろうか。

(追記ここまで)

なお、呉座ははてな運営をこのように酷評していたので、
私は「呉座はきっとブログをよそに移転させるだろうな」と思っていた。
しかしその後も、呉座ははてなブログの利用を継続している。

北村氏側から高橋へのOL不言及要請

前章で紹介したように、北村氏は代理人弁護士経由で弁護士の高橋にもうOLに言及しないよう要請し、そのような要請のあったことを高橋が今年1月17日にTWした。

そもそも高橋は、以前から呉座とある程度の付き合いがあったろうと推測できる
晩くとも2018年3月までに、高橋は呉座著書の熱心な愛読者になっていた。

そして、呉座の鍵垢は翌2019年5月24日に凍結され、翌6月26日に解凍された(過去記事「呉座勇一と国際日本文化研究センター(その3)」参照)。
呉座は当時、解凍は「弁護士の高橋雄一郎先生 @kamatatylaw」などの尽力によるものだと感謝した、というTW(翌27日午後1時25分)のスクショ(2021年4月22日投稿)がある。

魚拓でなくスクショであり、しかもURLが不明なので断言できないが、恐らくこの呉座TWは実在したろうと推測できる。
27日午後1時27分以降、10数の垢が高橋垢(@kamatatylaw)を捲き込みつつ呉座鍵垢(@goza_u1)に解凍祝福のリプを送っていたことが確認できるからだ(魚拓)。
ある垢は「べ、弁護士案件に発展されてたとは。。」とリプしていた。
これらのリプは、スクショのような呉座TWがなければ生じ得なかったものだろう。

昨年3月の呉座大炎上の直後、高橋は「自分は呉座先生をフォローしていて」云々とTWしていた。

高橋の呉座やオープンレターについてのTWは、(一部削除されたかも知れないが)今も数多く残っている。
今年1月18日(世界標準時)以前のものだけでも次の通り。

さて、今年1月17日の高橋TWについて、当初からこういう声はあった。

当時の構図を逆転させるものかどうかは分からないが、前章で紹介したように同月24日、北村氏は高橋への文書送付について趣旨説明TW。
このTWからリンクの張られていた「趣旨説明.pdf」で、北村氏はこう説明した。

1月14日付で、高橋雄一郎氏に対して書面をお送りした趣旨は、高橋弁護士が行っていた複数のツイートについて、職務倫理上の問題点を主張し、削除、あるいは訂正してほしいというものです。
高橋氏は、弁護士の立場から、オープンレター署名者について、名誉毀損に言及しながら署名撤回を求めるツイート、個人名を取り上げて追及するツイートなどを繰り返していました。
高橋氏の関連ツイートは多数あり、削除・修正に要求に応じられた場合でも、また同様の行為が繰り返される恐れがあると思い、今後、オープンレターに言及しないことも求めました。

(「削除・修正要求に」ママ)
なお、高橋はこの北村氏の趣旨説明について同日、「かなりニュアンスが違う」
とTW(前引)したが、説明に虚偽があるとは述べていないようだ。

そして同PDFでは、1月14日付の書面で北村氏の代理人弁護士が指摘した高橋のTWの一部として13のURLが列挙された。
高橋は同月19日、「ツイ消しの一部には応じる。違法なツイは一つもないが,一週間以上前のツイをわざわざ残しておく必要もないし,これまでも頼まれたら全部消してきたからね」とTW(前引)していた。
本記事執筆時現在では13のTWがすべて削除されているので、魚拓へのリンクを張っておく。

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1465774655122202628(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1465776106976382976(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1465777918655668227(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1465791220890812416(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1466254705613369345(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1467015264349069314(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1470901091294650369(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1471258193141825545(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1466253002512035841(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1466985310991306755(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1467016087909052416(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1469152484879126532(魚拓

  • https://twitter.com/kamatatylaw/status/1469799082172743682(魚拓

私は(研究者倫理などはともかく)弁護士倫理には疎いので、高橋のこれらTWの適否などについては判断を留保する。
読者各自が判断したり判断しなかったりしたらよいのでないだろうか。

ちなみに、こういう声もあった。

また、やや前後して同月24日、高橋はこうTW。

高橋は、7日前の17日に自分が「北村紗衣先生の代理人の弁護士から,オープンレターに言及しないでほしいとの要請をいただいた」などとTWすれば、それが「北村紗衣先生への個人攻撃(いわゆる「二次加害」?)」を誘発するだろうと予見できなかったのだろうか。

私にとってよく分からないことはもう1つある。
OLの差出人は18人なのに、OLに言及しないよう高橋に代理人弁護士経由で
要請したのは、何故(差出人たちの連名でなく)北村氏1人だったのか。

北村氏側から雁琳と甲南大への対応要請

本章でこれまで説明してきたように、北村氏が代理人弁護士経由で呉座の元代理人に通知書を送ったのは、呉座が和解契約に違反して北村氏を誹謗中傷しないよう釘を刺すためのものだった。
他方の高橋に通知書を送ったのは、そのOL関連の過去TWに弁護士としての「職務倫理上の問題点」があると主張し、たとえTWの「削除・修正に要求に応じられた場合でも、また同様の行為が繰り返される恐れがあると思い、今後、オープンレターに言及しないことも求め」たものだった。

つまり、北村氏が代理人弁護士経由で呉座に要請したことと高橋に要請したことは、内容も理由も大きく異なる
一方の呉座に要請したのは今後とも北村氏を誹謗中傷しないことであり、その理由は和解契約。
他方の高橋にしたのは過去のTW削除と今後OLに言及しないことであり、その理由は弁護士としての職務倫理。
これら混同されるべきでない2者への要請だけでなく、自分への要請をも混同したのが雁琳だった

前章で紹介したように雁琳は1月20日、北村氏が自分宛でなく自分の勤務先宛に内容証明郵便を送ってきた、その内容は北村氏への批判を止めろというものだった、これは呉座や高橋が受けているのと同じ仕打ちだ、だから自分もまたOLについての案件の当事者だ、という趣旨のことを連続TW(前引)した。
しかし、これら主張はかなり多くの事実誤認が含まれていたようだ。

北村氏によれば、代理人弁護士経由で甲南大気付雁琳(実際にはその本名)に11月9日付の内容証明郵便を送り、北村氏について(批判の域を越えて)「職を失わないとオカシイ」「キチガイ」「うんこ学者」などとTWしないことを求めた。
この内容証明郵便について雁琳からの反応がなく、また北村氏の勤務先である武蔵大が甲南大と連携校だったことから、甲南大のハラスメント窓口に相談した。
すると先方が対応に前向きだったため、北村氏へのハラスメントについて雁琳に注意するよう依頼した、と。

つまり、北村氏が雁琳について問題としたのはOLや自分への批判でなく、北村氏個人への侮辱やハラスメントだったと考えられる。
これが自由な言論の抑圧だとは、私にはとても思われない。また、1月21日に雁琳が公表した甲南大の学長と文学部長に呼び出された時の音声データも、雁琳でなく北村氏の主張を裏付けるものであるように、私には聞こえた

ただ少し気になるのは、北村氏の代理人弁護士からの昨年11月9日付雁琳宛内容証明郵便を今年1月24日に受領したらしい雁琳が、その内容に重大な問題があるとして、北村氏の代理人弁護士への懲戒請求を翌2月10日までに弁護士に依頼したということだ。

(後略)

雁琳は北村氏側の言動について説明を二転三転させてきたので、これらTWの真偽については判断を留保する。
流石に懲戒請求を依頼したこと自体は事実だろうから、いつか答え合わせできる日は来るだろう。

ちなみに、弁護士ドットコムニュースの
記事「武蔵大准教授の北村紗衣氏、甲南大非常勤講師を提訴 
「ツイッターで名誉毀損された」」(今年225日)の末尾に掲載された
雁琳のコメントを見ると、懲戒請求の対象行為について雁琳に事実誤認が
あるようにも思われる。
https://www.bengo4.com/c_23/n_14165/

押し寄せた濁流

昨年3月の呉座大炎上については、鍵垢という密室に溜まりに溜まった燃料に引火して大爆発し、そこから鍵垢のフォロワーなどにまで燃え広がったという意味でも、「大炎上」と呼ぶに相応しいものだったと考えられる。
ただし、今年1月のOLや北村氏の大炎上については、(後述するように燃料への引火と言い得るところはあったが)少し違うものも感じられる。
方々から押し寄せる濁流に呑み込まれた、という印象もある。

情報の先出しや小出し

今年1月13日、呉座はブログ記事で北村氏の代理人弁護士からの通知書の画像を無断で公表した。
畳み掛けるかのように4日後の17日、弁護士の高橋が「北村紗衣先生の代理人の弁護士から,オープンレターに言及しないでほしいとの要請をいただいた」とTW(前引)。
そして3日後の20日、雁琳が「昨年末、勤務先宛に北村紗衣氏より内容証明郵便が届けられました」とTW(前引)し、これを高橋が「これがオープンレターの闇だね」と引用RT(前引)。

これらについて、北村氏はヒで随時(可能な範囲で)事情説明していった。
しかし、内密にしていた情報を相手から先出しされてしまったので、まるで北村氏が陰で疚しいことを(昨年3月までの呉座のように)していたかのような印象が生じ易くなった
また、独断でなく代理人弁護士と協議しながらだったため、どうしても対応に時間が掛かり、説明に窮しているようにも見え易かった。

そして、140字の制限があるヒを利用する高橋と雁琳からは特に、情報が小出しにされた。
一連の情報がいくつもの、時には数日にわたるTWに分割された。
ヒではよくあることだが、情報が小出しにされると全体を通覧することが困難になり、偏った印象が生じ易くなる。

同じことはある程度まで北村氏にも言える。
北村氏は時に画像やPDFも用いて説明したが、それら画像やPDFもまたTWに添付またはリンクされたものだったので、北村氏の説明全体を通覧することが困難になった。

このように情報が先出し小出しされたことで、全体の把握が困難になり、北村氏が陰でいくつもの疚しいことをしていたかのような印象が生じ易くなった。
そして、北村氏への臆測や攻撃が拡散された。

悪い時期と悪い反応

余りに多くの情報が整理されることなく混ざり合い、濁流のようになりつつあった同月の17日、前述のように古谷氏がOLによる氏名冒用の被害を告発し、OLに抗議した。
この告発と抗議は被害者である古谷氏にとって当然の権利だったものの、時期が時期だった。

翌18日以降、OL差出人の北村氏や小宮友根(東北学院大学准教授)、隠岐さや香(当時、名古屋大学大学院教授)がTWやリプしていった。

実に酷い反応だった(あまり詳しく語りたくない)。
これでは大炎上して当然だったろう

OL差出人たちのクソみたいな対応によって、それ以前から押し寄せてきていた濁流はより勢いを増し、OLや北村氏をほとんど呑み込んだ

2021年3月と2022年1月の相似

北村氏への誹謗中傷が激化してハッシュタグ「#北村紗衣先生への二次加害に強く抗議します」が拡散された今年1月は、やはり北村氏への誹謗中傷が激化してハッシュタグ「#北村紗衣さんへの二次加害に抗議します」が拡散された昨年3月の再来のようでもあった。

また、呉座と同じく日本中世史研究者でその鍵垢と相互フォローだった亀田俊和(国立台湾大学助理教授)は、昨年3月16日に北村氏のTWを「私はどちらかと言えば情熱系だと思いますが、とりあえずこの方に関しては以前からろくな噂も聞きませんし、ブロックします」と引用RTし、7日後の23日に「何度も言いますがそもそも私、北村さんと論争してませんから。「冷笑系かなあ???」って言っただけだし」云々とTW(魚拓)していた。

そして、今年1月17日に北村氏が「二次加害がひどくなりすぎて、何もしてないといきなり泣き出したりするようになった」とTW(前引)すると、翌18日に亀田は以下のように連続TW(削除済み)した。

まああれだな。本来は、“女の武器”とか批判する側のお方ではありませんでしたっけ?(ぼそ

おれが同じことしたら、さぞかしキモいであろうことだけは確かだがw

とりあえず、「卑怯」という単語が頭に思い浮かびました。思い浮かんだのはしょうがないですよね。

次に思い浮かんだのは「不誠実」、それから「語るに落ちる」という言葉も浮かびました。

イタズラなんちゃらですか?「無責任」という単語が浮かぶなあ…。

そして最後に、「詰んだ」という単語が想起されます。

魚拓
「イタズラなんちゃら」とは、北村氏のTW(前引)にあった
「「無断で他の人を記載」って、これはイタズラだということがわかりました」
を暗に指していただろう。

容易に想像できるように、これら亀田のTWは批判されていった。

そして(昨年3月ほどではないものの)再び、不信は日本中世史学などへと広がっていった

本来なら当時、9か月ぶり2度目のOLが研究者たちによって企画されてもおかしくなかった
それくらいには酷い状況だった。

2021年3月と2022年1月の相違

しかし結局、次のOLは出されなかった。
それは何故か。

1月17日以降は、すでにOL賛同者名簿での氏名冒用が発覚していた。
もし次のOLが公表されて、その賛同者名簿でもまた氏名冒用が発生したら堪ったものでない、という危惧は多くの人にあっただろう。
OL差出人たちも当時、発覚した氏名冒用問題への対応やOLの今後の運営方針についての協議に追われていたのだから、次のOLを企画するなんて余裕はなかっただろう。

また、別の理由もあったと考えられる。
昨年3月に北村氏への誹謗中傷などに憤慨した人たちの多くは、当然今年1月にも同じように憤慨しただろう。
しかしそれと同時に、「でも、OLで「自由な言論空間を作っていきましょう」と呼び掛けた差出人の一人である北村先生が、代理人弁護士を経由して他の弁護士にOLに言及させないようにしたらしいとか、OLを批判した若手研究者の勤務先に内容証明郵便を送ったらしいとか、ああいう疑惑は何だったの」という思いの人も少なくなかっただろう。

何しろ高橋や雁琳からの情報がTWで小出しにされるので、全体像を把握しようとしてもよく分からない。
流れが速すぎた。
北村氏は可能な範囲で事情説明していたが、それ以外のTWも多くしていたので、肝心の事情説明TWが見付けづらかった。
なので、「いろいろな疑惑は何だったのか」という思いはなかなか解消されず、次のOLは待望されなかったのだろう

もちろん北村氏は和解契約に制約されており、特に今年1月中下旬くらいは相次ぐ誹謗中傷に心が弱り、氏名冒用問題にも対応しなければならなかったのだから、私は「北村氏が何とかすべきだった」とは思わない。
何とかすべき人がいたとすれば、それは他の人だったろう。

今年1月17日以降、「#北村紗衣先生への二次加害に強く抗議します」というTWが数え切れないくらいあった。
ハッシュタグデモみたいなことも結構だけれど、そういう何百、何千ものTWだけでは、北村氏に向けられた疑惑や悪印象、不信感が解消されることはない。
それどころか、声の多さで不都合な疑惑を掻き消そうとしているようにも見られかねない。
もっと事実の整理や問題の検証を、ヒでなくブログなどでやるべきだった

不思議なことに、ブログやnoteでOLについての記事を書く人は、大体みんなOLを批判(または攻撃)する。
斯く言う私も、note記事でOLを批判してきた。
しかし逆に言えば、OLを支持(または擁護)する人は、何故かOLの正当性などについて長文記事を執筆公表することがほとんどないように見える
それが健全なことだとは、私にはあまり思われない。

予告

次回こそ本連載最終回にするつもり。

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多分、送信された内容すべてに目を通すことはないでしょうが。

最後まで読んでくださりありがとうございました。