呉座勇一と国際日本文化研究センター(その2)

(記事「呉座勇一と国際日本文化研究センター(その1)」から続く)

今回の記事を書くことにした動機などについては末尾あたりに書きます。
何か(感想とか分かりづらい箇所への説明要望とか)あれば、その下にあるGoogleフォームから私宛に送ってください。
すべてに目を通すことは多分ないでしょうが、善処したいです。

日文研との接触(第1次)

3月に記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その1)」を公表した直後、Googleフォームにこういう反応があった。

差し出がましいですが、これだけ呉座氏から誹謗中傷された証拠があるのであれば、日文研に提出したり、弁護士に相談の上で訴訟を検討されてもよろしいのではないでしょうか。

実は私は、当初から一貫して国際日本文化研究センター(日文研)に通報するつもりがなかった
そんなことをするよりも、日文研助教の呉座勇一は鍵垢で森新之介のことを「本当にバカだね」「馬鹿」「バカ」「クズ」「本当に卑劣だよな」「バカ」などと何度も誹謗中傷揶揄罵倒し、その証拠もきっちり保全公表されているのに、日文研は無能にも調査でそれを見付けることができませんでした、という結果になった方がこの業界の腐りっぷりや救われなさがより明白になり、今後の人文学のためになるのでないかと思われた。
また、「日文研は森からの通報があったから仕方なく呉座を処分した」みたいな結果になることも嫌だった。

「無能にも」と、私の日文研への評価が当初から冷たく辛かったことには理由がある。
次回くらいの記事で書くつもり。
というか、本来はそっちを「その2」として書くつもりだったが、予定を急遽変更した。

しかし私は、不本意ながら日文研と水面下で接触せざるを得なくなった。
第1次接触はできれば説明を省略したいところだが、そうすると第2次接触以降の説明に支障があるので省略できない。

同じ記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その1)」で書いたように、私は今年5月10日〆切の『日本研究』第64集(日文研)に論文を投稿する予定でいた。
そして投稿直前の4月下旬になって、はたと気付いた。
『日本研究』は投稿時に個人情報満載の原稿送付状を添付しなければならず、これでは自分の住所とかが最新(当時)の第62集(2021年3月31日刊行)で編集委員を務めていた呉座に知られてしまいかねないな、と。

一部の雑誌では、編集委員会の代表メールアドレスにメールすると、それが編集委員長だけでなくすべての編集委員に自動転送されるように設定されている(そうでない雑誌ももちろんあり、『日本研究』がどういう設定になっているのか私は知らない)。
当時はすでに呉座の問題が露見し、日文研の所長と副所長が呉座に厳重注意したという3月24日付の発表も出た後だったが、それでも日文研は呉座に編集委員を継続させるとか、編集委員の任から外すつもりだったが自動転送設定をまだ解除していないとかいうことも有り得た。

慎重になり過ぎるということはないので、いつもはあまり使っていない早稲田大学ドメインのメールアドレス(フリーメールだと先方も対応しづらいだろう)から日文研の代表メールアドレスに、次の画像のメールを送った。

ちなみに、「お世話になっております」と書いてはいるが、これはただの定型句であり、
私はそれまでに日文研のお世話になった記憶がほとんどない。
数年前に『日本研究』(日文研)に研究ノートを投稿して落とされたことがあるという程度。

第1次接触_1

当時、私の記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その1)」が公表されてから、すでに1か月くらいが経っていた。
さすがに日文研も私のことは知っているだろうと思ったが、でももし無能にも知らなかったら「何でこいつはこんな問い合わせしてきてるんだ」と思われてしまいそうだったので、「実は私は2年前から」云々とも書いた。

すると、日文研の事務方の某職員から返信があった。
そういう危険はないので安心してほしいけれど、差し支えなければあなたのその告発のブログ記事について教えてほしい、とのことだった。
それへの私の返信が次の画像。

第1次接触_2

先方からの返信はなく、第1次接触はこれで終わった。
当時は第2次接触があるとは思っていなかったが、あった。

日文研との接触(第2次)

4月下旬の第1次接触からしばらく(かなり!?)経ったある日、日文研の同じ某職員からメールが届いた。
現在呉座についての調査結果報告書を作成しているところであり、その報告書にあなたのことを記載したいので承諾してほしい、というものだった。

それへの私の返信が次の画像。

第2次接触

(メール後半省略)

これに日文研の某職員から返信があり、私がメールで書いた「悪質な非対称性への言及が記載文案にはありません」ということについても簡潔明瞭な回答があった。
その簡潔明瞭な回答を読んで、私は「なぁんだ、報告書案全体から切り取られた一部分であるため私が誤解しているだけだったか」と思った。

第2次接触はこれで終わり。
先方へのメールでは細かいことまで(ある意味ネチネチグチグチと)書いたが、当時の私は「何だよ、日文研やるじゃん。やればできんじゃん。無能とか思っててごめんね」と思っていた。

期待と失望

当初から私は、呉座が処分されるか、もしされるならどのくらい重い処分になるか、ということに(全くというわけではないが)あまり関心がなかった。
それよりも、日文研などが今回の一件を呉座問題として片付けず、研究者業界のより広くてより根深い問題として受け止められるか、そしてどのような教訓を共有できるか、ということに関心があった。

第2次接触で日文研の某職員から一部分だけ提示された報告書の草案は、私の期待にかなり応えてくれそうなものに見えた。
呉座のテニュアトラック期間が終わる2021年9月末前後までに、日文研から何か発表が、それも私にとって好ましい発表があるのでないかと期待していた。

実は日文研とは今月(2021年10月)に入ってから第3次接触もあったのだが、
とりあえず今回の記事では省略する。
今後どうするかは未定。

そして先日の記事「呉座勇一と国際日本文化研究センター(その1)」でも書いたように、今月15日付で、日文研は「国際日本文化研究センター研究教育職員に対する懲戒処分等について」を発表した。
これを読んで、私は「お前らふっざけんなよ」と思った。
第2次接触で日文研の某職員から一部分だけ提示された報告書の草案とは、あまりに懸け離れた内容だった(後述)。

私は当初、2つの可能性があるなと思った。
第1は、私に報告書草案の一部分だけを提示した後、日文研はその草案を大きく書き変えて報告書を確定させた、というもの。
第2は、私に報告書草案の一部分だけを提示した後、日文研はその草案を(多少の修正や推敲はあっても)大きくは書き変えずに報告書を確定させたけれど、外向きにはそれと懸け離れた内容を発表した、というもの。
そして私は今、これら2つのどちらでもない第3の可能性が有力だろうと思っている(後述)。

日文研と機構本部

私はつい数日前まで、呉座についての調査結果報告書を作成している主体は日文研であり、9月13日付で呉座に停職1か月の懲戒処分を行った主体もまた日文研だ、と単純に思っていた。
今でも「呉座は日文研から懲戒処分された」と思っている人は数え切れないほど多くいるようだ。
しかし、この「呉座は日文研から懲戒処分された」という理解は間違いなのでないだろうか

日文研の10月15日付「国際日本文化研究センター研究教育職員に対する懲戒処分等について」には

人間文化研究機構は、国際日本文化研究センター(以下、本センター)研究教育職員(当時)に対し、9月13日付けで停職1ヵ月の懲戒処分を行いました。

と明記されている。
そして、日文研のある京都の地元紙『京都新聞』は10月20日付「日文研の元助教に懲戒処分 長期にわたりSNSで不適切発言繰り返す」で

国際日本文化研究センター(京都市西京区)の助教だった呉座勇一氏が会員制交流サイト(SNS)上で不適切な発言を繰り返していた問題で、人事権を持つ人間文化研究機構(東京)が停職1カ月の懲戒処分を行っていたことが、20日までにわかった。

と報道している。

そもそも日文研は国からの交付金で運営される6つの大学共同利用機関の一つであり、これら6機関の上部法人として大学共同利用機関法人人間文化研究機構(以下、「機構本部」と略す)が存在する。
私は、これら6機関と機構本部の関係などについてほとんど何も知らないので、「6機関はそれぞれほとんど完全に独立しており、機構本部は6機関が相互に連携するための連絡組織でしかない」と思い込んでいた。
しかし実際には、6機関はそれぞれほとんど完全に独立してなどおらず、(『京都新聞』の記事にもあるように)人事権などはあくまで機構本部にあるのでないだろうか

こう考えると、いろいろなことが整合してきそうだ。
日文研は今年3月24日付「国際日本文化研究センター教員の不適切発言について」で

本センターは、性別・国籍はもとよりいかなる差別も厳しく禁ずる組織であり、今後、引き続き経緯を精査し規則等に照らし適切な対処を行います。

と書いている。
「処分」でなく「対処」だ。
これは、当時の日文研には呉座を「処分」する意思がなかったというよりも、そもそも日文研には呉座を「処分」する権限がないのでないだろうか。

前述のように、日文研の某職員から私に、現在呉座についての調査結果報告書を作成しているところであり、その報告書にあなたのことを記載したいので承諾してほしい、というメールがあった(第2次接触)。
しかしあのメールでも、その報告書を作成している主体については言及がなかった(日本語では主語が省略されやすい)。
当初から報告書を作成していた主体はあくまで機構本部であり、日文研の某職員は4月下旬に私とメールでやり取りしていた(第1次接触)から報告書記載の承諾を得るための交渉役になった、というだけでないのか。

また、財務状況を調べようとすると、機構本部については財務諸表や決算報告書、決算概要が簡単に見付かる(「財務に関する情報」参照)。
文部科学省所管の組織として当然のことだろう。
しかし、日文研については(私の探し方が悪いからか)なかなか見付からず、こんな「総務課の業務」なるよく分からないスライドが見付かる程度だ。
これも、日文研の財務は独立しておらず、あくまで機構本部の一部となっているからでないのか。

あまり気付かれていないようだが、機構本部も同じ10月15日付で「職員の懲戒処分について」を発表している

これらのことは、人間文化研究機構職員就業規則第23条及び第26条第2号に違反し、同規則第36条第1項各号に該当することから、懲戒処分を行ったものである。
ちなみに、「人間文化研究機構職員就業規則」(令和020127日 改正)は
公表されているので参照できる。
https://www.nihu.jp/sites/default/files/regulation/kh-1.pdf

そして、あくまで私個人の(しかし文献読解を専門とする研究者としての)印象でしかないが、

当該研究教育職員の行為は、本機構職員としてあるまじき行為であり、かかる行為は決して許されるものでなく、厳正な処分をいたしました。

という箇所などは、第2次接触で私に一部分だけ提示された報告書草案と論調がほぼ同じだ。

この機構本部の10月15日付「職員の懲戒処分について」と日文研の同日付「国際日本文化研究センター研究教育職員に対する懲戒処分等について」を比較すると、性格が懸け離れている
前者は「本件の詳細については、個人に対するプライバシー等の侵害や更なる二次被害を与える恐れがあることからこれ以上の公表を差し控えます」と慎重なのに、後者は「ジェンダーバランス等に配慮した多様性を尊重する研究環境の実現にむけて尽力します」などという被害者への二次被害を生じさせかねないことを書いている(そして、実際に生じたようだ)。
また、前者は「人間文化研究機構職員就業規則」のどこを根拠に懲戒処分したのか明記しているのに、後者は言を濁している。

では何故、日文研は機構本部の「職員の懲戒処分について」と懸け離れた「国際日本文化研究センター研究教育職員に対する懲戒処分等について」を発表したのだろうか。

日文研の印象操作

結論から言うと私は、日文研の10月15日付「国際日本文化研究センター研究教育職員に対する懲戒処分等について」は組織防衛のための印象操作だったと考えている。

推測するしかないが、機構本部が作成し確定させた呉座についての懲戒審査報告書はかなり出来の良い、まともなものだったろう
呉座が複数の女性たちを誹謗中傷していたことだけでなく、そもそも学術論争は対等かつ公開された場で行われなければならないという原則を呉座が無視して鍵垢で学説批判していたことや、呉座のTWには学説批判ですらないただの人身攻撃もあったこと、呉座が年下の若手研究者をも誹謗中傷していたことなども、「人間文化研究機構職員就業規則第23条及び第26条第2号に違反」(前引)する行為の具体例として記載されていただろう。

現在、「呉座は女性研究者1人を批判しただけで停職1か月の懲戒処分になった」と思っている人も少なくないようだが、文科省所管の機構本部にとってそんな無茶苦茶な処分は不可能だと考えられる。
また、日文研との第2次接触で某職員から私に、懲戒審査になった事由は呉座本人にも(「森新之介氏」などの箇所をイニシャルにして)説明書で説明する必要がある、との説明があった。
仮に機構本部が「停職1か月の懲戒処分の理由は、女性たちについて不適切なTWをしたため。以上」というようなクソ雑な説明書を出したら、呉座から処分無効の確認を求めて訴えられ、敗訴してしまいかねない。
機構本部の懲戒審査報告書(と呉座への説明書)には、停職1か月という重い懲戒処分は妥当だと主張できるだけの理由説明があったに違いない

(2021年10月25日18時ごろ追記)

人間文化研究機構職員懲戒規程」(令和02年09月28日 改正)第8条に「機構長は、職員に懲戒処分書及び処分説明書を交付して、懲戒処分を行わなければならない」とある。

(追記ここまで)

しかしこれは、呉座本人にとってだけでなく、その勤務先である日文研にとっても極めて好ましくないことである。
かなり多くの人が「日文研の呉座のTWで問題になったのはジェンダー関係のものだけだ」と誤解しているのだから、なるべくそのままにしておきたい(簡単に言ってしまえば、罪状を増やしたくない)だろう。
そこで、日文研はあの10月15日付「国際日本文化研究センター研究教育職員に対する懲戒処分等について」を発表したのだろう。

あの文章で日文研は、懲戒理由についてどれだともどれでないとも明言していない。
しかし、文章の中程で

本センターでは、本件を受けて、再発を防止し信用を回復するために、以下のような対応を行ってまいります。
第一に、SNSの利用のガイドラインを全教職員に改めて周知し再発防止に努めるとともに、ハラスメント防止のための教育プログラムを全教職員が継続的に受講することとし、さらにジェンダーバランス等に配慮した多様性を尊重する研究環境の実現にむけて尽力します。
第二に、2021年6月に本センターに設置した「ジェンダーハラスメント防止タスクフォース」での検討をもとに、本センターとしての所信を定め、今後、これを全教職員に周知徹底して、所信に基づく取り組みを推進します。

と書くことにより、まるでジェンダー関係のTWだけが理由の懲戒処分であるかのように匂わせている
ハッキリそうとは書いていなくても、読む人は印象操作されてしまう(私もされた)。

もちろん、日文研の呉座がジェンダー関係の理由で懲戒処分されたと匂わせることは本来、日文研にとって不利益である。
だがそれでも、「あれやこれやいくつもの重大な理由が積み重なって停職1か月の重い懲戒処分になった、そんな研究者を日文研は勤務させていた」と思われるよりは損害が軽くなる。
ほとんどの人が「呉座への懲戒処分の主体は(機構本部でなく)日文研だ」と誤解しているのだから、「日文研はジェンダーの問題を軽んじることなく厳しい処分をした」として、傷付いた評判がいくらか回復することにもなり得る

もし私の以上の推測が正しければ、懲戒処分の説明書を受け取っているはずの呉座は当然、自分が懲戒処分された理由はジェンダー関係のTWだけでないことを知っている。
しかし日文研は、呉座がそれをブログなどで曝露するとは思っていないだろう。
現在の呉座には、「ジェンダー関係のTWだけを理由に停職1か月という不当に重すぎる懲戒処分を受けた」などの誤解による同情が集まっているからだ。

日文研への憤り

まだまだ書きたいことはあるが、今回の記事はこのくらいにしておく。
最後に、今回の記事を書くことにした動機などについて少し書きたい。

今回のような記事を公表するなんて、我ながら正気の沙汰ではないと思う
繊細な人事の、とりわけ繊細な懲戒についての非公開情報を勝手に曝露したのだから、どうかしている。
私のすでに瀕死のアカデミックキャリアが、絶命を通り越して腐敗臭を放ってしまいそうだ。
研究者としてだけでなく、社会人としての信用まで地に墜ちてしまうかも知れない。

こんなことは本当にしたくなかったので、しないつもりだった
日文研と水面下で接触したという事実すらも、数日前までは公言しないつもりだった。

だが私はどうしても、日文研の10月15日付「国際日本文化研究センター研究教育職員に対する懲戒処分等について」が我慢ならなかった。
日文研の「今回の問題はあくまでジェンダー関係です。悪質な非対称性による若手研究者への攻撃なんて知りません」とでも言わんばかりな、あの文章に堪えられなかった(これについては次回くらいの記事で補足説明するつもり)。
日文研が無能にも本当に知らなかったように見えるのであれば黙って済ませることもできただろうが、私は日文研が知っているということを知ってしまっていた。
今は呉座よりも日文研に憤っている

もし誰かが私の代わりにこれをやってくれるなら、喜んでその人に任せたかった。
だが、そのような誰かは存在しないだろう。
機構本部と日文研の部内者には良くも悪くも守秘義務(「人間文化研究機構職員就業規則」第26条第3号)があるので、もしこんな記事を公表したら自分まで懲戒審査対象になってしまう。
守秘義務のない部外者で、この記事に書いたような水面下の事情を知っていたのは私以外に存在しないだろう。

日文研の正門前で、自分の将来にガソリンを掛けて燃やしているような気分だ。
せめて、これが今後の人文学のためになってほしい。

(記事「呉座勇一と国際日本文化研究センター(その3)」に続く)

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多分、送信された内容すべてに目を通すことはないでしょうが。

最後まで読んでくださりありがとうございました。