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須田一政 追悼写真展「Issei Suda: A Personal Retrospective」に行ってきました。

2019年3月7日、写真家・須田一政が逝去されました。
私は2004年から2006年にかけて、某学校で須田先生のクラスに在籍していました。
須田先生からは、写真に対する向き合い方だけでなく、その後の人生の選択に関わる様々なインスピレーションをいただきました。
感謝してもし切れません。
当時、須田先生の元で学んだ友人らとともに禅フォトギャラリーに追悼写真展を見に行きましたので、その所感等を記します。

展覧会概要

須田一政 追悼写真展「Issei Suda: A Personal Retrospective」
2019年5月24日~6月15日
ZEN FOTO GALLERY

鑑賞方法

①作品1点1点に正対する形で鑑賞、印象を咀嚼し、特に印象に残った作品に目星をつけておく。
②印象に残った作品をスケッチ、感じたことを言語化してメモを取る。
③作品とメモを照らし合わせ、最初に感じた印象を的確に言語化できているかを確認する。できていないようであれば、さらに加筆する。

鑑賞ノート

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網膜直結指先目カメラ(1991-1992)より

110フィルムカメラのようなもの(アグファマチック?)で、鏡に写った自分自身を撮影している。
あまり自分自身を撮影している写真を見たことが無いので珍しく思った。
須田一政の写真は、対象に正面から向き合うことが特徴かと思う。
かと言って写真にはその被写体の「正面」が写っているかと言うと必ずしもそうではなく、「裏側」のようなものが写っているところに妙技があると思う。
普段正面から写真に写らないように思っていた須田一政の、写真に写った姿は、裏の裏の正面のように思えた。


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網膜直結指先目カメラ(1991-1992)より

大きなとんぼが須田一政の鼻っ柱にとまり、それが面白かったのか、カメラを自分に向けて撮影している。
おどけた様子でカメラを覗き込んでいて、非常に面白みがあった。
写真に写った須田一政は、不思議と写真の向こう側にいる気がしない。
カメラのこちら側と向こう側の、狭間にいるのかもしれない。


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網膜直結指先目カメラ(1991-1992)より

ガラス戸か何かごしに、耳を塞いだようなポーズでおどけた表情の子どもを撮影している。
写っているのはお子さんだと思う。
リラックスした雰囲気で、須田一政の頭の中に入って、世界を覗いているようであった。
写真を撮るということと、写真を見るということが、一つに統合されているような感じがする。
End to Endである。


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網膜直結指先目カメラ(1991-1992)より

画面の左側から覗き込むような姿勢の女性の顔の上に、花弁の大きな花が重なっていて、奇妙な雰囲気の写真であった。
地面に生えていたのであろう花を使ってポーズを取らせたのであろうが、なぜこんな不気味な構図になるのだろうか。
須田一政の写真には、「写ってはいけないもの」が写っていることがある。


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わが東京100(1976-1977)より

暖簾から頭を突き出して、手元の雑誌か何かに視点を落としている。
よく見ればあり得るありふれた光景だが、どのようにこの瞬間を写真に収めたのか不明である。
こうゆう日常の中に発生する異様に不気味な光景を写すことは容易なことでは無いし、須田一政だけに見えている世界の裏側の時間のようなものが存在するのでは無いかと考えてしまう。


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わが東京100(1976-1977)より

全くよくわからない瞬間。
右側には白衣を着てゴム手袋をつけた女性が写っており、白衣には血のようなどす黒いシミがある。
左側のメガネをかけた次男性は、よそを見て笑っているように見える。
街角で頼んで撮らせてもらった(男性は照れて視線を外している)のかもしれないが、だとしてもよくわからない。
どうゆう状況だったのだろうか。そしてまた、須田一政はどのようにこの状況に出会い、写真を撮ることになったのだろうか。


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わが東京100(1976-1977)より

塀の向こう側にある何かの物体に蔦が絡まっており、こちら側を覗き込んで手を振っているように見える。
何が写っているのかよくわからず、何か大きな生き物に見える。


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ALBUM 惜春島 より

左側に、奇妙な表情の男性が写っている。斜視で、右目はこちらを見ている。
店先に立っていたのを撮ったのか、頼んでポーズを撮ってもらったのかはわからない。
ガラス面にストロボの反射が変な位置で写り込んでいるので、トリミングしたのかもしれない。
そうであれば、意図して奇妙な視線を我々に見せているのだろうと思う。
もしくはストロボが明後日の方向を見ていたのか。


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ALBUM 惜春島 より

一見すると、通りすがりの麦わら帽子をかぶった老人を、ただ撮らせてもらったように見える写真。
よく見ると、右手に持っている農具のように見えたものは、自作のよくわからない道具で、有刺鉄線が巻きつけられていて、随分物騒である。
その道具を持った右手に異様なほど血管が浮き出ていて、表情もよくわからないし、すごく気味の悪い感じがする。


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CUT より

頭部が写っておらず、人格の感じられないヌード。
肉体に人間性があり、裸が顔である、と言っているようである。
人間、壁にかけられた絵画、ランプシェード、全てがいがんでいて雑然としている。
無造作で無味乾燥なこの瞬間に、美しいと感じた何かをピンナップしているようである。


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天井桟敷 創生季(1969-1970)より

国会議事堂の前で、筋骨隆々の浅黒い男性がポーズを撮っている。
何か破壊的な、アナーキーなメッセージともとらえられるし、ただ劇団員のふざけたアイデアによるプロフィール写真なのかもしれない。
やけにハイコントラストで、ただのプロフィール写真にしては灰汁が強い。


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恐山へ(1963-1980)より

恐山のイタコであろうか、真っ黒なフードをかぶった老婆が、岩陰に腰掛けてこちらを見ている。
岩肌はわりあい白く、黒い衣服だけが風景の中でやけに目立っている。
アレハンドロ・ホドロフスキーの「エル・トポ」を連想した。


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恐山へ(1963-1980)より

着物を着た若い女性5人が、缶に入った水のようなものを地面に蒔いている。
恐山ではよく見られる、何かのおまじないなのかもしれない。
風が強い日だったようで、着物の裾を抑えたり、額を見せて目を細めている姿が非常に活き活きとしている。


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浮雲(1973)より

木造のガラスケースの中に、小さな観賞用のかぼちゃが数個転がっている。
色はすすけていて、乾燥した昼間の雰囲気。
かぼちゃが肩を寄せ合っている妖精か何かのようで、非常に愛らしく、また寂しい雰囲気を出している。


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浮雲(1973)より

漆喰の壁の間の木の柱の根元から、萎びたピンク色の花が伸びている。
葉は垂れて元気がないが、生々しく人間くさい生気を感じる。


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わが東京100(1976-1977)より

壁際に停められた自転車の荷台に盆栽の桜がおいてあり、光が射している。
盆栽の足元には緊張感があり、うごめくような生命力を感じる。


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釜ヶ崎(2000)

釜ヶ崎といえば、大阪の西成である。
大阪芸術大学に教えに来られていたころで、須田一政からハーフサイズカメラというものを教えてもらったのもこの頃なので、ちょうど自身がハーフサイズカメラで撮影していたのではないかと思う。
おそらくはノーファインダーで撮影していて、フラフラと道をそぞろ歩きしている様が眼に浮かぶようである。


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恐山へ(1963-1980)より

この頃はキヤノンの25mmの広角レンズに赤いフィルターをつけていたそうで、黒が強く重たいハイコントラストなトーンで、低い位置からパースをつけて撮られており、のちの対象にまっすぐ正対するような写真から考えると珍しく感じる。


所感

須田一政の写真家としての生涯を追うように、各時代の作品が展示されており、それがプリントで見られることはありがたく感じる。
須田一政といえば、6x6の正方形の写真が代表作として語られることが多いが、個人的には、いつも違うカメラを使っている印象であった。
特に自分が習っていた頃は、リコーオートハーフ、8ミリカメラ、36ミリの一眼レフなどで写真を撮っていた。

須田先生は、その時々で一番何かを感じる写真が撮れる道具を選んで、自分が納得がいくか飽きてしまうまで、ずっとそのカメラだけで撮影しているようであった。
彼は、撮影技術のことや、写真のまとめ方や見せ方などを教えることは一切なくて、ポートフォリオの作り方などは自分で勉強した。
彼はいつも、自分は今こんなことに夢中なんだとか、こんなことに気づいて撮ってみたんだとか、自分の感覚の話をたくさん聞かせてくださって、我々の写真を見てこの雰囲気がいいとか、これとこれを組み合わせると面白いとか、自分の感覚を拡張して我々に接続してくださった。

須田一政は市井の人々には見えない、日常のなんでもない風景の裏側に潜む、隠された風景、人間の表情、時間を写される。
私たちは、彼が選ぶ写真や、それに対するコメントや、組み合わせ方やその眼差しから、彼が何を面白いと感じ、彼がどんな風に世界を見ているのか、いつもつぶさに観察していた。
彼はひょうきんな妖怪のようでもあったし、愛らしいおじいちゃんであったし、時々ぎょっとするような鋭い目で何かを観察していた。

私たちは、半分彼の見ている世界に足を突っ込みながら、彼の写真を鑑賞している。
彼が何を見ていたのか、彼の元を卒業してから10数年、そして彼が亡くなった後も、ずっとそれを追いかけているような感覚がある。
その一つの道しるべのようであったし、また分岐点のようでもある展覧会であった。


参考

須田一政 追悼写真展「Issei Suda: A Personal Retrospective」Press Release
http://www.zen-foto.jp/web/edm/IS_A%20PERSONAL%20RETROSPECTIVE_MAY_2019.pdf

須田一政オフィシャルサイト
http://sudaissei.web.fc2.com/

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