見出し画像

通貨

 ビットコインが2021年10月の最高値から60%の下落というニュースがありました。急落ですね。
米国の利上げに伴う株などの投資からの資金引き上げが影響しているとされています。
いわゆる【仮想通貨】と呼ばれているビットコインですが、現状は通貨としてよりも【投機資産】のように感じています。
もちろん、リスクを取りながら投機や投資をすることは、個人の自由ですので、その部分をとやかく言うつもりはないです。

私の疑問は、ビットコインって『通貨』と呼んでも良いんだろうか?
ということです。

人類の歴史を紐解くと、『通貨』には信用が不可欠ということに気づかされます。

昔は、物々交換が基本でした。
でも、この方法だと非常に不便なんですよね。

例えば、

Aさん:手元に、魚を持っていて、小麦と交換したい人
Bさん:手元に、肉を持っていて、着物と交換したい人

という感じで、自分の手持ちと相手の手持ちが要望通りでない場合は、取引が成立しないという問題が生じます。
これを効率化させるために、人々は、【市場】を定期的に開催することを発明します。

Aさん:手元に、魚を持っていて、小麦と交換したい人
Bさん:手元に、肉を持っていて、着物と交換したい人
Cさん:手元に、貝を持っていて、肉と交換したい人
Dさん:手元に、着物を持っていて、魚と交換したい人
Eさん:手元に、小麦を持っていて、貝と交換したい人

大勢の人間が集まれば、仮に1対1ではマッチングしないとしても、複数を介在させることで買い物が成立するようになります。

EさんがAさんに小麦を売り、AさんがDさんに魚を売り、DさんがBさんに着物を売り、BさんがCさんに肉を売り、CさんがEさんに買いを売れば、取引は成立します。
こういう風に仲介をする店もあったことでしょう。

でもやっぱり、タイミングよく全ての商いを仲介できるわけではありません。
そこで、古代日本では【絹】や【米】を通貨の代わりにして物々交換をしたといいます。
いったん、【絹】や【米】に転換して、それを使って欲しいものを購入したんですね。
ですから、古代の日本では【絹】や【米】が『税』として徴収されたわけです。

そして時が過ぎ、平安末期になると、宋から墓場に供える経筒の素材として輸入していた銅銭(宋銭)を通貨として使用し始めるようになります。
それ以前にも、和同開珎のような皇朝十二銭がありました。
でも、儀式用に使用される程度で、あまりにも供給量が少なかったため、市場で『通貨』としては流通しなかったんですね。
ですから、日本ではなかなか貨幣経済が発達してこなかったのです。

そんな状況が一変するのは、平清盛が歴史の表舞台に登場した頃からです。
経筒として輸入されていた銅銭は、銅で出来ていますので、金属としての価値の裏付けがありました。
人々は、宋銭を『貴金属』として見ていたんですね。
それに『通貨』として見る価値観を付け加えたのが、平清盛です。

この貨幣経済の本格化は、平家の隆盛を招くとともに、貨幣供給量が輸入一択だったことで、物価高や物価安を繰り返し、人々の生活を混乱させることもしばしばありました。
ですが、貨幣経済の便利さに慣れた人々は、宋銭を使う生活にシフトしていくことになります。

このように、『通貨』というのは、商流の中で血液のように社会を循環し、人々の経済活動を活性化させるためのツールなんだと思っています。

その点、ビットコインは、一部の国や地域、企業での使用は可能なものの、『通貨』としての裏付けや使用方法が十分に備わっていないように思えるのです。
だから、私はビットコインは、【投機資産】であり【暗号資産】であると思っている次第です。

ということで、【投機】なので、暴落や高騰は発生してもおかしくないかな、と思います。

ただ・・・市場規模が大きくなると高騰は少なくなります。
そういう意味で、大きくなり過ぎたビットコインの旨味は小さいかな、と。
まあ、あくまでも私個人の見解に過ぎませんが。

しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。