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家康と頼朝&信玄

三英傑最後の一人、徳川家康。
家康が似ている人物を考えた場合、結構、悩まされます。
というのも、家康は懸命になって歴史や古典に学び、良いところをどん欲に吸収していく成長型の人物だったからです。
そのため、本来の短気で粗暴な家康像は薄まり、忍耐強く、計算高い家康像へと変貌を遂げています。

共通項は、自己変革

そんな中、似ているな、と思える人物が、源頼朝と武田信玄です。
この二人も心胆を練り上げ、自己変革を遂げてきたからです。
ただ、家康が勉強して、二人の良いところを吸収したから似てしまったという点は否めません。
この辺り、なかなか難しいところですが、織田信長だって、平清盛から影響を受けていたと思われるので、そういう意味で、似ているとしても良いんじゃなかろうか、と考えています。

共通項は、親との縁の薄さ

家康は、幼少期に父を失い、母とは生き別れになっています。
松平家(家康が徳川と名乗る前の苗字)では、祖父・清康、父・広忠と短命の当主が続いたため、駿河の今川家に頼らざるを得ない程、苦しい状況に追い込まれています。
家康も、幼少の頃から、織田家・今川家と人質生活を送っています。
人質としての生活は、不自由だったと思われますので、苦労したと思います。

一方、源頼朝も、少年時代に父・源義朝が平清盛に敗れ、流人として伊豆に流され、長い間、苦労して過ごすことになっています。
周りは敵だらけ。
生きた心地もしない日々を過ごしたのではないでしょうか。

番外編の武田信玄も父親との確執があったと知られています。
もっとも、上記の二人ほどの苦労はしていませんが、それでも、苦悩の日々を送っただろうと推察されます。

共通項は、奥方が勝気

家康の最初の妻・瀬名は、今川一門の御姫様でした。
そのため、勝ち気でよく家康を悩ませたとされています。
ただ、これはのちに、武田家との内通が疑われ、処断されたために話に尾ひれがついた可能性もあり、丸々信じられるわけではありません。
それでも。
今川一門に連なるお姫様だったということから考えると、勝ち気であったと考えてもよさそうな気がします。

頼朝の妻は、言わずと知れた尼将軍・北条政子です。
頼朝の妾を襲わせたりもしていますし、間違いなく勝ち気です。w

信玄の妻は、上杉の娘や、三条の方になりますが、この辺りは良く分かりません。詳しい史料等、情報をご存知の方がいらっしゃったら、ご教示ください。

共通項は、子供との不和

家康は、嫡男・信康を自害に追いやることになっています。
つらい選択だったことでしょう。

頼朝の場合、娘の大姫が木曽義仲の息子・義高と婚約しています。
ところが、義仲と頼朝が敵対するようになり、身の危険を感じた義高が鎌倉を脱出します。
頼朝は追っ手を差し向け、義高を殺害しました。
これを聞いた大姫は、ショックの余り精神を病み、二十歳で早世してしまいました。大姫は頼朝を恨んだといいます。

武田信玄も今川氏真が当主になると、与しやすし、として駿河攻略を考えるようになり、今川家と縁戚関係にあった嫡男・義信と対立するようになっています。

三人とも、子供との不和を経験している点は、共通しています。

共通項は、読書家である

家康は読書家で、様々な歴史から学び、活用したことで有名です。
武田信玄も風林火山で知られるように、孫子の兵法書を愛読する読書家でした。
では、源頼朝はどうだったでしょうか?
頼朝も読書家だったと考えられます。
和歌に関する造詣もあり、(新古今和歌集に選ばれている) 朝廷との交渉も巧みに行えるだけの教養を身につけていました。
事績だけでも、読書家であったと推察されます。

共通項は、組織運用の上手さ

家康は、上意下達の組織運用が巧みな人でした。
また、血気にはやりやすい三河衆を上手にコントロールするすべにたけ、たたき上げの参謀・名臣を数多く育て上げています。
土井利勝や井伊直政。
育て上げたわけではないですが、酒井忠次や本田忠勝、榊原康正。
息子・信康事件もあり、家康とは微妙な距離があり、出奔することになる石川数正。
出戻り組になる本多正信。
三河武士らしい剛毅の代表格・本田作左衛門。
そして、今川家や武田家からも家臣を取り込んでいます。
家康の組織運用の上手さは、見習うべき点が多々あります。

源頼朝もまた、組織運用が上手い武将でした。
自前の領地も持たず、武家の棟梁になり得たのは、血統の要素があるものの、やはり、頼朝が巧みに武士たちの心をつかむ名手だったからだと思います。
鎌倉殿の13人というドラマがNHKで放送されているそうですが、(ネットニュースで知っている程度です。はい)
アクの強い坂東武士を一つところに留める手腕は、見事だと思います。

武田信玄も
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
という名言で有名なように、組織運用に秀でた人物でした。
日本で一二をあらそう武田軍団を育成した信玄の手腕は、相当なものと考えて間違いないでしょう。

ということで、三者の似ている点でした。
秀吉の回と違って、似ている点が多くて良かったです。
(ホッとしたところ)

しかし・・・三英傑を取り上げちゃったから、明日から、何のネタを扱おうか?
ちょっと不安。
(サラサラと書きなぐる程度で投稿できるネタを探さなきゃ(汗))

しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。