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寄付の押売

 数日前に寄付のお願い電話がありました。
お願いといえば聞こえはいいですが、こちらとしては【押売】がやって来たぐらいの感覚になります。

営業 「お手紙を送っておりますが、ご覧頂けましたでしょうか? 」
私  「見てません。」
営業 「さようですか。趣旨を申し上げますと・・・
    うんたらかんたら・・・ほんじゃらまんやら・・・
    なんじゃらかんやら・・・」
私  「(途中で遮りつつ)すまんが、何が言いたいの? 」
営業 「ほんじゃらかんじゃら・・・なんじゃらかんやら・・・
    今、どこも寄付してくれてないので、〇〇たちのために
    ○○できなくて困っているんです。」
私  「はあ・・・そうなんですね。」
営業 「そこで、御社のHPを拝見しまして、ぜひにと思いまして。」
私  「なぜ? 」
営業 「地域の〇〇のためになりますので。」
私(心の中)『地域で誰もその件について話題が出てこんが? 必要性ゼロなんじゃないの? お宅の商売にはなるだろうけれども・・・』

ということで、あっさり断りました。

寄付というのは、寄付する人間が自らの意思で行なうものです。
なんで、他人からとやかく言われて寄付しないといけないのでしょうか?

私が寄付したいと思えば寄付します。
私が寄付したいと思わないのなら寄付しません。

それだけです。それ以上でもそれ以下でもないです。
実際、毎月個人的に寄付している案件はいくつかあります。
それは、そうしたいからそうしているだけです。
お願いされたからという理由で始めたものはありません。
だから、私は他人に対し寄付して欲しいとお願いしたこともありません。
なんで他人に言葉で説得される形で、寄付しなければならないのでしょうか?

電話をかけてきた会社にしてもそうです。
いかにも言葉巧みに、さも慈善事業だという風に説明が行なわれるわけですが・・・
だったらなぜ「株式会社(営利目的企業)」なのですか?
なんで非営利団体じゃないのでしょうか?
営利目的だから、株式会社なんですよね?
そこからボタンの掛け違いをしていませんか?

とはいえ・・・最近よく感じるのが、

社会貢献がしたい!

という若者の増加です。
その流れを受けてか、我が社は社会貢献活動に熱心で・・・とか、仕事を通じて社会貢献を・・・というお話をよく耳にするようになりました。
そのこと自体は良いのです。
実際に社会貢献活動に勤しんでおられるのでしょうし、その活動自体は良いことなので、まったく否定するところはありません。

ですが・・・

自分たちの会社の事業が社会貢献ですから~という理由で、他者に寄付を求めて来るのは違うのではないか? と思うわけです。
そういうのを見たら、初めから ”他人の善意をアテ” にして収益化を狙ってますよね? と、感じてしまうのです。

押売電話でいえば、会話の太字部分です。
社会貢献活動がしたいのであれば、他からの寄付の有無にかかわらずにその会社が自腹を切ってやれば良いのです。

寄付が集まらなければやらない

という姿勢のどこに志を感じれば良いのでしょうか???

私も個人的には毎月寄付をしています。
それは、その活動が世の中のためになると感じ応援したいと思わせてくれたからです。
寄付する理由はそれだけでいいのす。

気に入らないのは、寄付が集まらないからやらない、という姿勢です。
まずは、率先してやってみせろよ、と思うのです。

寄付が集まらない限り社会貢献活動なんてしないぞ、という姿勢で臨んでいる会社や人間が、どうして社会貢献など出来るのでしょうか?

まずは自分が自腹を切って社会貢献をする。
その活動を見てもらい、意義を感じてもらう。
そして、心意気を評価してくれた人が応援の意味で寄付をしてくれる。
それが在るべき姿なんじゃないか? と個人的に思っています。

日本人は寄付しない、とよく言われます。
そりゃあそうでしょう。
寄付の文化がないからです。
寄付をすることで神の御心に沿うとか、喜捨することで極楽浄土に行けるといった信仰上の理由から寄付するのが当たり前という文化が日本では希薄なのです。

となると、私のように心意気に感じ入って寄付するのか?
周りの目を気にして同調圧力や承認欲求等々の絡みで寄付をするのか?
多くの日本人は後者の理由において葛藤を感じつつ寄付をしているわけです。
だから、寄付しないという気持ちが強く表れるわけです。

よくWikipediaで寄付を募っても日本人の寄付が少ないというお話があります。
そりゃあそうでしょうね。
だって、記事の編集等は自分たちでボランティアとして知識や労務を提供しているわけです。
財団側はサーバーの管理をしているとはいえ・・・
編集作業をしている人達に1円でも還元しているのでしょうか?
軽く調べてみると・・・

記事作成時点ではウィキメディア財団の従業員は500人を超えており、上位層は30万~40万ドル(約3300万円~4400万円)の賃金を得ています。
一方、記事に情報を追加したり記述の内容について議論したりする数万人もの編集者は、いずれも無償のボランティアとして働いています。
ボランティアの中には、財団が利益を得ることで潜在的な腐敗が引き起こされる可能性を警戒する人もいるとのこと。

上記記事より引用

やはり、寄付金と労務提供をむさぼっている状況なのが透けて見えてきます。

このように、人の善意につけ込むやり口を、私は好みません。

だから思うのです。

寄付の押売をしてくんなよな、と。

ま、単なる営業電話で気持ちよく仕事していた時間をぶち壊された腹いせの記事です。(苦笑)


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