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語彙力

 何年も前から問題だなあと思っていたのが、

日本人(特に若者)の語彙力の低下

です。

上記の記事の場合、「ヤバい」「ウザい」「キモい」「マジで」ぐらいしか語彙がない子のお話が出てきます。
このレベルまで語彙力が低いと日常生活に支障が出ると思います。

一方、質問コーナーで質問していた若者の記事

この場合、質問している若者は、「自分は語彙力が低い」という自己評価をしていますが・・・
質問や受答え読んでみた限り「標準の語彙力」があると思いました。
世間で問題視されているのは、質問した若者の比ではないほど「低い語彙力」のお話です。

さて。語彙力をどこまで鍛えれば良いのか? は、比較的単純でして・・・

新聞に書いてある言葉が分かる

という程度で十分です。
それ以上の語彙力は、思索や表現に関しての仕事をしている人に求められるものだと思います。

質問した若者は、たとえ話や動画で伝えればいいとしておりましたが・・・
たとえ話ほど、豊富な語彙力・事例の知識・論理の筋道を必要とするものはないです。
動画の場合、そもそも伝えたいことを「一意的」には伝えられません。
言葉を少なくしたり、画像等のイメージで表現をすると、「含意」があり過ぎて、何を伝えたかったのか?
受け取り手が様々に推測してしまうことになるからです。

文学的なものであれば、受け取り手が様々な感想を抱くようにする方が評価が高くなります。
ですから、文字数を徹底的に絞り、指示代名詞を多用し、言外の言で表現を重ね掛けしたりするわけです。

一方、日常生活やビジネスでは、「出来るだけ誤解のないように」相手に伝えないといけません。
となると、他の意味にも受け取れる、という表現はまずいのです。

よく、数字で示せ(定量的に)と言われるのは、まさしく誤解を避けるためです。
西洋の哲学書がくどいぐらいの形容詞で文体を構成するのも、「一意的」に自分の意見を受け取り手に理解してもらうためです。

さて。一方の語彙力が著しく低い場合、どうなるでしょうか?
分かりやすく指示を出しているつもりでも、全然理解できず、指示通りに仕事をしないという事態が発生しやすくなります。

実際に、朝礼とかで全員に対し、
「今日の夕方に1時間程度、持ち場を清掃するように。」
と指示を出した時のお話です。
ほぼ全員の部下が自分のデスク回りを掃除していたのですが、1名だけがウロウロしている。
「どうした? 持ち場の掃除は終わったのか? 」
「え? (オロオロ)」
「掃除が済んだのか? と尋ねているんだが。」
「いえ。(オロオロ)」
「じゃあ、持ち場へ戻って掃除しなさい。」
「はい。・・・(不動)」
「(。´・ω・)ん? どうした? 」
「持ち場って何ですか? 」
「ガ━━ン=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇) 持ち場の意味を知らない・・・だと。」
しばし、立ち直るのに時間を要しました。
わ、割と一般的な言葉のはずだよな・・・そ、そうじゃないのかな??? と驚きつつ、
「持ち場とは、自分の担当する場所や仕事のことだ。だから、みんな自分のデスクまわりを掃除してるんだ。つうか、朝礼の後、持ち場に戻ってくださいと毎朝聞いてるだろう? 」
「え? そうでしたっけ? 」
という感じで、

意味が分からない言葉に関しては、自動的にシャットアウト

しているケースがあるのです。

これが「聞いていない」という言い訳が発生する一つの原因です。
※)他にも原因は多々あります。

そもそも意味不明の単語についてスルーしてしまう。

こういう人は、語彙力が伸びません。
語彙力を伸ばそうと意識している人は、知らない単語に貪欲です。
だから、意味を調べるし、質問もしてきます。
そうやって自然と語彙力が伸びていきます。

その姿勢が、上司やお客さんの意向を汲み取る力を磨いていくことになります。
つまり、語彙力の低い人は、ビジネス能力が低い人という風に判定しても構わないぐらい重要な項目になるのです。

もちろん、単語以外なら調べますよ、という人もいるでしょう。
そういう人もいるにはいますが・・・
映像でしかインスピレーションが湧かない人が多く、応用力がないとか機転が利かないことが多いように見受けられます。

人間の情報処理は視覚情報が優位を占めています。
だから、視覚情報である映像さえあれば・・・と思いがちです。
しかしながら、結構重要な項目として、聴覚情報である音というのが、あながちバカに出来ない重要度を持っているのです。

好きなドラマや映画、アニメとBGMの関係を思い出してみてください。

BGMがかかっただけで、イメージが甦りませんか?
聴覚は視覚のサポートとして重要な役割を担っているのです。
それゆえ、音情報の最たるものである言語情報もまた重要な役割を担っているのです。

また、自分の心の内面を整理整頓する上でも語彙力の豊富さは、大きな力を発揮します。

心が落ち着かない時、
モヤモヤしているのか?  (対象が不明・不安)
イライラしているのか?  (対象に不平不満あり)
ソワソワしているのか?  (対象に期待感)

表現できると、より鮮明に自分の気持ちが分かりますし、
それは、何によってもたらされているのか?
を類推しやすくもなります。

語彙力が多いほど、自分自身の心の動きを事細かに理解できるようになります。
そうなると、情緒が安定しやすくなり、キレやすさも減ってきます。
※)語彙力だけで温和な性格になるとは限りません。
  あくまでも補助的な効果です。

語彙力の大事さについて、色々と述べてきましたが・・・

ではなぜ、最近の若者の語彙力低下に懸念を生じているのか?

これからの日本を支えていく若者世代が、海外の若者世代と比較して見劣りしてきているのを感じているからです。

いつの時代でも若者言葉というのは誕生します。
我々世代が若い頃だって、年上世代に文句を言われたものです。
それでも・・・
これまでの世代は、社会人になると仕事を通じてある程度も語彙力を持つようになっていきました。

コミュニケーションを多く求められたからです。

でも、今の若者世代は違います。
効率を求めすぎるあまり、なんでもスマホ検索しますし、検索結果も一行レベルの短いものを好みます。
また、語彙力不足を「それでヨシ」とする風潮も気がかりです。
※)先程のリンク先の若者なんかもそうです。

今の若者は、長い文章については、
「要約できていない。頭、悪いんじゃないの? 」
という受け止め方をする人が多いように感じています。
実際、国語の試験で長文読解に対する成績が悪いという傾向があります。

これから先、ますますボーダーレス化が進むと思いますが、その時、日本の若者は海外の若者に大きく後れを取るのではないか?
と心配しています。

英語が出来ればいいんじゃね? という意見もありますが、日本人の英語力は壊滅的です。
※)私もそうですが・・・

翻訳ソフトに頼ることになるとは思いますが、翻訳前段階の日本語がお粗末だと、翻訳後の英語もお粗末になるのではないでしょうか?

ぜひ、国語力を磨いてほしいと思う朝なのでした。

しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。