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秀吉と劉邦(プラス朱元璋)&昨日の追加

三英傑の二番目。
豊臣秀吉が誰に似ていたか? となると、難しいです。
何しろ、農民の出自で天下人になったので、かなり特異な人生を歩んでいるからです。
こういう事例は、世界を見渡しても、限られます。
それだけに、安直かな~? と、思いつつ、秀吉と劉邦の組み合わせで似ている点を探してみたいと思います。
清盛と信長の時は、似ている点を結構見つけられた(スイマセン。記事を書く時間の関係上、途中で止めちゃいました・・・)のですが、今回は少なくなりそうな予想を抱きつつ、筆を進めていきたいと思います。
(が、少し書き始めて、似ている点もあるけど、似ていない点が多いな、と反省しております・・・)

この二人の共通項は、【成り上がり】

言わずもがな、ですよね。
二人とも下層階級出身です。

でも、ここからが結構違ってまして、秀吉は熱心な働き者だったこと。
信長に仕えてからは、着実に出世を重ねていきます。一方の劉邦は無頼の任侠でサボリ魔でした。
本格的な活動としては40歳を過ぎてからといいますから、遅咲きもいいところです。

この二人の共通項は、【人たらし】

劉邦にしても、秀吉にしても、人心掌握術は巧みです。
色々な手練手管をつかう秀吉。
何だか分からないけれど、不思議と担がれる劉邦。
どちらも【人たらし】なんですが、毛色の違いを感じさせられます。

この二人の共通項は、【粛清】

天下を取った後、粛清を行なっているのは、どちらも同じです。
ただ、我が子・秀頼可愛さに「身内」に粛清を入れていく秀吉と、我が身可愛さに「家臣」に粛清を入れていく劉邦とでは、また違った意味合いがあります。

こうやって見ていくと、う~ん。劉邦より、明の朱元璋の方なのかな?
と、思ったりもしています。

朱元璋も【成り上り】という点では、秀吉と共通しています。

【内助の功】が大きかったのも共通項です。

秀吉には有名な賢妻・おねがいましたし、朱元璋にも馬皇后という賢妻がいました。
劉邦の妻の呂后が悪評高いのと比較すると、この点は、秀吉と朱元璋の方が似ていると言えますね。

我が子可愛さに有能な家臣を【粛清】していくところは、秀吉と劉邦のハイブリッド的な感じがあります。

こうやって見ていくと、三者三様。
似ているところと似ていないところ。
あって当たり前なのですけれども・・・

信長と清盛ほど似ている感じはないなあ、と。

昨日、書けなかった信長と清盛の共通項。

信長と清盛は、親類縁者に優しい

「平家にあらずんば、人にあらず」
という有名な言葉があるように、清盛の身内びいきは相当なものがありました。
信長は、生母・土田御前や弟・信勝との軋轢で有名なので、身内と縁が薄いと思われがちですが、異母兄・信広や異母弟・信興といった兄弟と仲が良く、長島の一向一揆で無念の死を遂げた弟・信興の復讐のため、大虐殺を行なうぐらい、身内思いです。
有能な家臣と縁戚関係を結び、重用する等、能力重視でありつつも縁戚重視の姿勢を見せていますので、この辺り、時忠等の縁戚を重用した清盛とかぶる点でもあります。

信長と清盛は、付け届けが上手い

二人とも、気配りの人として有名で、様々な贈り物をおくり、巧みな駆け引きを行なっています。

軽いタッチで書き始めたため、どこに終着点を持ってくるべきか、考えていませんでしたが、やっぱり、信長と清盛の親和性の高さが際立ったかな、と。
秀吉と劉邦や朱元璋は、この二人ほどには共通項がないなあ、ということで、本日の記事はお開きにしたいと思います。

明日は、家康。
ううむ。誰に似ているんだろうか?

しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。