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供託金制度の弊害

 私がいつも読ませてもらっている谷さんの記事のコメント欄で色々と議論しました。
字数的にコメント欄では収まりきらない思いのたけというのをここで綴ってみたいと思います。
なお、谷さんは素晴らしい方でして、別に谷さんを論破したいとか、谷さんの人格を貶めたいとか、谷さんの考え方を矯正したいというお話ではないです。

お互いの判断基準がどこにあるのか?

を明らかにして、意見を述べ合う。
その中から何かが得られればいいなぁと考えています。
(自分自身の考えを整理できるとか、谷さんの考えから学べるとか、そういうことを目指して書いています。)

今回、”基準の置き方の違い” が ”供託金制度に対する許容度の違い” となって現れたという認識でいます。
そして、基準の置き方なんて人それぞれです。
どちらが正しいとか間違っているとかそういうお話ではないです。

が・・・私の表現力の無さが悪いのか、字数制限の問題なのか、上手く意図が伝えきれていないという感覚があるので、この記事を書くことにしました。

なお、谷さんの記事は、下記リンクから見にいけます。
勉強になりますし、他の記事も秀逸で面白いですから、皆さんにも、お奨めです。

 この記事の中で、谷さんは今回の都知事選挙の立候補者の多さに驚かれています。
そして、東大入試者数の多さが一次試験を生んだというお話をされます。
というのも、記述式の試験というのは、採点者の手間が大変だからです。
採点者の手間を記念碑的な受験で増やすのはどうか? ということから、一次試験が登場しマークシート方式になったということですね。

都知事選でも候補者がこれほどまでに濫立してしまうと掲示板の増設等々、選挙費用がかさむし政見放送も厄介です。
有権者も選ぶための吟味が大変になってしまいます。

ということで、千葉県知事が提言しています。

この記事。候補者に足切り条項を設けるべきだという意見が出てますよ~という感じで谷さんが紹介してくれました。

選挙の公費負担を提言したり、供託金の削減を提言しています。

「youtubeで個人が利益を上げることができるようになった現代において、国政選挙や知事選などの大型選挙における選挙ポスターと政見放送は、売名行為として供託金分を回収できると見込めるものになっており、選挙の本質を大きく歪めるものです。選挙の対象有権者の一部(数百~数千)の署名提出をもって立候補者とする等の足切り条項を設ける方が、供託金という『お金』を積んで足切りにするよりもマシだと思いますし、候補の乱立も防げるかと思います」

千葉県知事の提言

目玉は、署名提出による足切り制度の発足です。

これについては、谷さんだけでなく私も反対です。
知名度で決まるか、もしくは署名の捏造を生み出しかねません。
供託金の削減についても提言されていますが・・・
これについては、供託金没収のダメージを打破するため選挙ポスターの広告化をNHK党が実践してしまいましたので、供託金による足切り効果が今回の都知事選では機能していないんですけどね・・・
むしろ今回の件で、供託金の金額引き上げ論が出て来るかもしれませんね・・・

谷さんは千葉県の熊谷知事が示した提案に対し否定的でした。

民主主義国家なのに自由な立候補を妨げるべきではない

という考え方なのですよね。
そして、実はこれ私と同意見なのです。

谷さんと私の意見の違いとして、私は、

供託金制度も自由な立候補を妨げるものである。

と考えています。
谷さんは受験料という考え方ですね。
ただ受験料という割に高額過ぎると思うんですよね。
※)高額過ぎる故に今回のNHK党のようなやり方が出てしまったと思います。

国会議員の場合、供託金は300万円です。
比例区の場合は600万円になります。
知事クラスだと300万円。
市長クラスで100万円。

今まで供託金は売名行為目的の候補者が濫立するのを防ぐという意味では一定の効果を発揮してきたわけです。
その目的を錦の御旗としてドンドンと高額化もしていきました。

ただ、高額化すればするほど市井の小市民が一念発起して立候補するのを妨げるものになります。

自由な立候補を可能にするためにも供託金は要らない

というのが、私の意見になります。

少し横道にそれますが、保釈金の相場はいくらでしょうか?
検索してみた結果、150万円~300万円となっています。
保釈金の場合は出廷すれば戻ってきますが、供託金の場合は戻ってこない可能性があります。
市井の小市民にとっては大きな負担額なわけですが・・・

どちらの方がより二の足を踏むことになるでしょうか?

私は保釈金の方が供託金よりも出しやすいと思いますね。
拘置されて不便な生活を送る時間を減らせるほうがまだマシですし、実際の判決でも執行猶予を得られれば刑務所に入らなくて済むわけです。

カルロス・ゴーンのように保釈金放棄で海外逃亡

なんてのも実際に発生していますから、金持ちになるほどハードルが下がるんですよ、こういうのはね。

さて、供託金も保釈金も、どちらについても、お金で解決するのか? という批判が世界中で沸き起こっています。
(供託金は自由な政治参加を妨げ国民の権利を阻害するとして憲法違反として廃止する国が増えてきています)

いずれにせよ、供託金のハードルの高さが新人の立候補を妨げ、旧来型の政党の延命に貢献しているのは明らかなんですよね。

供託金制度は国政を歪める

というデメリットを感じています。

実際、これに危機感を抱いた若者が事件を引き起こしました。

暴力で事態の解決を図るというのは好ましからざる出来事です。
が、参入障壁が高ければ高いほど、既得権益層は安泰となります。
商売をやっている企業が寡占や独占を狙うのは、企業体が持つ宿痾みたいなものですが、それとて独禁法で一定の制限が設けられています。

志はあるがお金は無い
支持層を増やすにも時間がかかりすぎて断念する

こうして可能性のあった若者が政治家となる道を閉ざしていくのは、国家の損失ではないのか? と思うんですよね。
でも、無制限に立候補を受け付けてしまえば今回の都知事選のように何が何やら訳が分からなくなる。

ならば、一般教養試験で足切りをする制度を導入すればどう? という提言をしたわけですね。

以上の流れで谷さんと私との間で議論した次第です。

谷さんとしては、供託金は受験料のようなもの。
選挙を運営するのにお金がかかるんだから、立候補者にそれを負担させるのは筋が通るという考え方です。

私としては、必要なのは政治家としてやっていく気構え、知力を保有している人間だけが国費の下で選挙戦を行なえば良いという考え方です。
国の未来をかける候補者に税金を投入するのはアリじゃないですか、と思っています。
教育無償化に税金を投入したり、少子化対策で子育て支援をするのと理屈は同じです。
ただ・・・国費を投じるからには、相応の政治知識を持った人物でないと困ります。そこで、試験を・・・となるわけですね。

が、谷さんとしては、試験は自由な立候補を妨げる、というお考えなわけです。
谷さんの懸念の背景にあるのはイランの選挙ですね。

中国でも香港の選挙で立候補が制限されましたね。
でも、どちらの国も民主主義国家ではないんですよね。
だから、日本で試験を導入したからといって谷さんがおっしゃるような懸念材料になるのだろうか? という疑問を感じています。
※)将来、日本が民主主義を捨てた場合には谷さんの懸念通りになりますが・・・

さて。立候補するのに資格試験を求めるというのは、別に私だけのオリジナルというのではなく、割と世間に広くある意見です。
※)以下の記事でもそのことが良く分かります。

国民の声の多くが、

議員になるんだったら、それに相応しい学識を身につけてくれ。

というものになっているようです。

日本は諸外国と異なり、お金で足切りする制度しか整備してこなかったので、以下の記事のようにレベルが低い政治家しか立候補しなくなっているんですよね。

もちろん、立候補するのはハードルが高いんです。
以下の記事のようにお金以外にも立候補には社会的に難しいことが多いという別の角度からハードルを提示するものもあります。

https://ewoman.jp/entaku/info/id/3627/times/2#chairman

さて。私も提唱する立候補資格試験といっても・・・
別に宗教観や思想信条での線引きを主張しているわけじゃあないです。

試験内容といっても・・・
現在のフランスの大統領は誰?
現在の英国の首相は誰?
ウクライナ・ロシア戦争でなぜロシアはどのような自己正当化を図ったか?

こういったことを想定しているだけです。
でも、この程度のことすら答えられない立候補者は多いと思いますね。

いずれにせよ、「筆記試験を行なう」ということのハードルの高さが谷さんと私では著しく違うのだろうな、と思います。

もちろん、谷さんが懸念しておられた思想信条や宗教、政策について語るのは、選挙戦の時には出てくるでしょう。
それについては有権者がそれを見聞きして投票して決めればいいと思います。

筆記試験は単純に世界情勢や地理歴史といった基礎的部分を見る。

その程度の知識もなしに世界各国の要人らと渡り合えるわけないじゃないですか。
政治家になってから勉強? それこそ国費の無駄遣いです。
やるからには即戦力。
就任初日から全力疾走で取り組めるようでなければ無駄飯ぐらいのそしりは免れません。

それに、本来であれば以下の記事のドイツの事例のように
国民すべてが民主主義教育を受けるべきだと考えています。

国の行く末を案じる時、供託金というハードルと資格試験というハードル。
どちらを課す方が国益にかなうでしょうか?
私は後者だと思うんですよね。

卑近なお話ですが、私にとっても供託金の300万円は大金と感じる額です。
とてもとても受験料とは割り切れません。
普通の庶民であれば大体そうなのではないでしょうか?
それを投じてまで選挙に立候補する。
しかも社会的に色々と不都合が生じるリスクまで背負う。
非常に大きなハードルです。

それを乗り越えてでも・・・とするための最初の関門が

供託金というお金のハードルなのか?
資格試験という知識のハードルなのか?

志ある者にとって、前者のハードルは心を萎えさせこそすれ鼓舞することは無いでしょう。

ならいっそのこと完全フリーとして、供託金を廃止し、完全電子投票にして費用の発生そのものを極力引き下げるというのもありかもしれません。

谷さんも一次選抜として電子投票システムならば、費用が抑えられると提案しておられました。
実際、現状の技術力があれば可能でしょう。

私としては、そもそも電子投票でやるのなら、一次投票は不要で、さっさと本選をすればいいという考え方です。
一次投票と決戦投票の二段構えになる分だけ、選挙に時間がかかることになります。
その分、政治の空白が長くなりますし、余計な費用も増えますから。

そう考えるとやはり私としては票を投じる側の国民の手間暇を惜しみます。

濫立した候補者の政見放送を用意するだけで相当のロスです。

従来の供託金制度では濫立を抑止出来たとしても議員の資質を向上させることは出来ません。

濫立抑止効果と資質向上効果

二つの利点を見出し得るのが資格試験の良いところです。
私の懸念は、所詮は筆記試験。
政治家として最終的な度量に関しては判断できない、というのはあります。
それでも、そもそも基礎段階が出来ていない人物を人気投票の場に出すよりは、はるかにマシと考えています。

政治や制度なんてのは完璧なものは無いのです。
トレードオフ。
何かを得て、何かを捨てる。
それならば、立候補者に経済的余力を求める現行制度よりも、知的能力を求める資格試験制度を導入する方が、いくぶんマシなのではないだろうか?

以上が私の個人的な見解ですね。

上手く表現できたかどうかは分かりませんが、概ね言いたいことは言えたかな、と。(コメント欄では字数的に厳しいですし)

なお、冒頭でも述べました通り谷さんの意見が間違っているというわけではないです。そういう考え方もあると「理解」しています。

さて、ここまで説明を尽くしてきて得られた結論は・・・
供託金を維持する方向性について、私は「納得」していないのだなということです。
それ以外のこと、谷さんの提案である電子投票とか、民主主義の根幹として、立候補の制約を無くすという方向性については「納得」しています。

一方、谷さんとしては、資格試験の導入は立候補者に制約を課す行為だとして「納得」できないのでしょう。
また、供託金についても受益者負担の概念に近い感覚(受験料と表現する辺りが・・・)なのだろうと推察されます。

この辺り、公職を選択するという公益に関するお話なので、私としては公費で構わないという考え方です。実際、かなりの公費が投入されていますし。
そして、公費である以上は私物化したり役者不足であることを好まないわけです。
ですから、中途半端に私費(供託金)を求め、公費の増大を抑えるというよりも、立候補に相応しい人材だけが立候補できる、その足切り基準としては世間の一般常識レベルはクリアできる程度としているわけですね。

かなり長くなってしまいましたが、恐らく細々とした意図まで表現できたのではないか? と思います。
文才があれば、もっと鮮やかに短く説明できたのでしょうが、浅学菲才の身ですので、これぐらいの字数が必要になってしまいました。

当初の狙いであった自分自身の思考の整理にもなりました。
このような機会を設けて下さった谷さんに感謝の気持ちを表しつつ、説明終了とします。

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