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不寛容化する社会

昨日のネットニュースで、「着替え時間を労働時間とみなすかどうか? 」という記事を見かけました。

着替え時間と更衣室から職場までの移動で30分って、なかなか凄いなと思いました。
着替えに10分かかるとすれば、移動時間で20分かかる計算です。
女性の足で考えると約1Kmはある感じですね。男なら1.5Kmぐらい?
大体、東京駅から新橋駅まで歩くぐらいの距離感です。(最短ルートでですが・・・)
そんなに大きなお店があるんだ・・・ホントに?

まあ、疑問点を一々検証するのも面倒なので、話を進めます。

追記:ひょっとしたら、勤務前と勤務後、2つを合算して30分なのかな? と気づきました。
それなら、着替え10分x2 と 移動5分x2。
少し着替えに時間がかかり過ぎな気もするけれども、女性の着替えは男性よりも手間がかかると思われるので、そんなにおかしな時間ではなくなりますね。

実は、労働法では着替え時間の取り扱いに関する明確な定めがなく、あくまでも「国の指針」によって「着替えを労働時間とみなすように勧告する」ものでしかありません。
判例によって拘束力を有する前例主義型の運用が行なわれているのが実際のところです。
つまり、労働者側が訴え、裁判所が労働時間とみなすかどうかの裁定をしないといけないわけです。
もちろん、多くの判例が揃うと、法律で明文化されていなくても社会的拘束力を持ち始めますけれども・・・

なぜ、明文化しなかったのでしょうね?

あくまでも、個人的な見解ですが、法が制定された当時は、
「着替えが労働時間に含まれるという概念そのものがなかった
のではないか? と思います。
そういう概念がないのですから、法律として明文化もされませんでしたし、それで不平不満を募らせる社員もいなかった。
それが実態かな? と。

さて、この件についてですが、色々な意見があります。

会社の仕事をするためなんだから、着替えは労働時間だろ。
なんなら通勤時間も労働時間なんだから給料が欲しいわ。

最も労働者側の都合のみで論じられていた意見

気持ちは分からなくもないです。
ただ、通勤時間まで賃金を支払うとなると・・・
強硬な会社なら「社宅住まいでの労働」を義務化してくる可能性があります。
なにしろ「賃金が発生する以上、通勤時間は会社の指揮命令下にある」ことになるからです。
もちろん、既定の社宅で寝泊まりせず、自分の好きな住居から通うのも容認されるでしょうが、その場合には、

自宅から社宅までは個人の自由意志による移動時間

となりますので、賃金支払いの対象外となります。
それ以外にも、通勤時間が賃金支払い対象の時間に割り当てられるのであれば、移動中もバンバン仕事をするように要請が入ってきます。
たとえば、帰宅するために家に向かっている最中に会社から電話があり、ただちに客先へ出向くように言われても文句が言えません。
理由は、勤務時間中だから、となります。
それに、会社帰りに一杯ひっかけて帰るというのも禁止になります。
勤務中の飲酒行為に該当するからです。
当然、本屋に立ち寄るとか、好きなアーティストのライブに出かけるのも禁止です。
一度、自宅に帰ってから、再度、出かけるしかありません。
以上のように、雁字搦めになってしまう懸念が高いのに、そこに気が回らないのは大いに不思議です。

まあ、さすがに通勤時間まで賃金を支払えという社会的風潮にはならないとは思いますが、上記の強硬意見がある以上、可能性はゼロではないです。

着替えにかかる時間には個人差があるから、軍隊ばりに何分以内に着替えろ~ってなるんじゃないの?

着替えを労働時間に含めた場合の弊害を考察した意見

妥当な意見だと思います。
着替え時間の制約に加え、【化粧の禁止】や【髪型の強制】等々、様々な制約が加えられても不思議ではないです。
なぜなら、賃金支払い義務が発生している以上、労働時間に含まれますので、当然、会社の指揮命令で服装や外見に対し会社の指揮権が及ぶことになるからです。
化粧はともかく、髪型まで・・・と思われるかもしれません。
でも、ロン毛だとセットに時間がかかりますからね。
勤務時間とみなすのなら、規定が入ってくる可能性は考えておくべきでしょう。

会社も労働者もお互いに助け合って生活が成り立っているんだから、お互いにもう少し妥協しあう方がいいんじゃないの?

双方の歩み寄りを提唱する意見

私としては、この意見に賛成です。
そもそも、会社も社員も

「会社が収益を上げ、その利益を分け合う」

のが、目的なはずです。
ギスギスとした【不寛容な関係性】を構築しても、何のメリットもありません。

労働者側が会社側に対し、雁字搦めの規制を求め始めると、会社側も労働者側に規制を求めだすようになると思います。
代表的なものとして、労働者には【勤務時間中の職務専念義務】があります。
厳しいものになると、以下の判例があります。

精神的活動の面で、注意力の全てが職務遂行に向けられていなかったことを職務専念義務違反とみなす。

最高裁 昭和52年12月13日第三小法廷判決

労働者側に立った時、勤務時間中、四六時中コレを求められるわけです。
私は無理かな~と思います。
ですから、会社と社員おたがいさまと考えるべきだろうと思っています。

たとえば、定められた勤務時間中に、休暇中にどこに行って遊ぼうか? というプライベートな思考をしたとします。
これ、上述の職務専念義務違反です。

たとえば、勤務時間中にうっかりミスをやらかしたとします。
これ、上述の職務専念義務違反です。

たとえば、勤務時間中に私用電話をしたとします。
これ、上述の職務専念義務違反です。

このように、多くの場面で職務専念義務違反は発生します。

ですが、悪質であったり頻繁でなければ、大目に見ている会社が大多数ではないでしょうか?
人間ですから、注意が他に向いてしまうことはままあることです。
そこまで雁字搦めにしても、なあ? と考えている経営者は多いと思います。
反面、着替え時間がー、通勤時間がーという社員がいたら、
じゃあ、私用電話はどうなの? 喫煙タイムは? 他の社員とプライベートの話をして仕事をしていない時間はどうするの?
となってしまいますよね。
ある程度のサボリなら会社側は見て見ぬフリをしていると思います。
(もちろん節度をわきまえないサボリは別ですが・・・)

何をするにしても、人間には不完全さがつきまといます。

正論だからといって相手を雁字搦めにしてしまうと手痛いしっぺ返しをくらいます。
着替え時間の賃金支払いについても、法整備にまで発展すれば、上述のように社員を雁字搦めをしてくる会社が現れることでしょう。

そこまで【不寛容な社会】をつくって楽しいのでしょうか?

もう少し気楽に、お互いに笑って助け合える世の中でありたいと願う私にとって、こういうギスギスした主張は、釈然としないものがあり、採り上げてみました。

上述のように、色々な意見があると思います。

どれが正しいと決める気はありません。
各自、会社と社員の間で話し合いを行ない、お互いが納得する形で決めて行けばいいと思います。

私が願うのは、【寛容】です。
上述の記事の女性労働者は、『自分の視点』だけで考えているので会社に対し【不寛容】なんだろうなあと思いました。

しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。