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豊臣秀吉は徳川家康を四国か九州に移封するべきだった?

『豊臣秀吉が徳川家康を関東に移したのは歴史を知らぬが故の愚かな選択であり、歴史を知っていたならば九州か四国に移していた』

数日前のネット記事ですが、歴史好きには興味深い上記のような事が書かれていました。

なるほど、独立の気風がある関東にではなく、九州か四国に…って

無茶なww

九州はともかく四国は無いでしょう。

三河、遠江、駿河に加え、甲斐と信濃にもまたがる大領を有する徳川を、京にそう遠く無い東海地方に置いとくのが怖いから遠くに行ってもらうという理屈はわかるんですが、どこに飛ばすにしたって領地自体はデカくしないと通る話も通りませんよ。

なのに代わりにあてがうのが四国では、丸ごと貰っても釣り合わない。石高が減っちゃうのです。三河武士ブチ切れですよ。+αに淡路島もおまけにつけるのでしょうか。それでもどうなんでしょう。厳しいんじゃないかな。

というか京、大阪から遠ざけるために東海から移封するのに、配置先が四国と淡路島って。前より近づけてどうするんですか。ちょいと海を渡ればすぐ大阪直撃ですよ。これは怖い。いくらなんでも近過ぎです。こんな所に徳川を配置できるわけがない。

豊臣秀吉からすれば、織田信長の配下時代から天下人になるまでの人生の中で、三好や長曽我部といったその時々の四国の敵対勢力とも戦って来たわけで。

その時に感じた脅威、鬱陶しさは、遠い過去の歴史の話ではなく自分が体験して来た経験上の話です。四国を信用できない奴に丸ごとあげちゃうとかマジであり得ない。信用できそうな奴らを中心に、複数で小分けに領有してもらうのが無難じゃないですかね。

実際に淡路島に配置された脇坂安治は、賤ヶ岳の七本槍と呼ばれた秀吉配下で活躍した一人ですし、四国にも同じく七本槍の一人である加藤嘉明や、秀吉が若手だった頃からの配下である蜂須賀小六の息子家政など、関係者が複数配置されてます。そらそうよ。

では九州はどうかと言うと、これも四国ほどでは無いにしろ選択肢としては難ありなのではないかと。

だって九州にデカい領地を持たせちゃったら、徳川がニョキニョキ栄えちゃうじゃ無いですか。なんてったって九州は海外交易の窓口になれちゃう美味しそうな土地ですしね。

現に九州平定後に博多の町を復興させたり、朝鮮出兵の際にも名護屋に城を築いて在陣したりと、豊臣秀吉は九州を自分とこで活用してたわけですから。四国とは違うのですよ四国とは。徳川になんかあげるわけがない。九州もダメです。

じゃあ他にどこに移せば良かったんだよって話ですが。

まあ結果論で考えれば徳川を関東に移したのは良くなかったのでしょうが、討伐した北条の旧領を押し付けがてら徳川を遠くに追いやるって発想自体は悪くなかったと思うんですよ。北条の旧臣が蜂起したりで上手く治らなかったら、その責任を追求したりもできたでしょうし。

て言うかですね、ぶっちゃけ歴史にIFが許されるのなら、それよりもっと他にやめときゃ良かった事とか、起きなきゃ良かった事とか色々ありそうですよね豊臣さんとこのお家はね。

・朝鮮を攻めてなければ?
・甥っ子秀次を粛清してなければ?
・弟秀長が長生きしてくれていれば?
・息子秀頼が生まれてなければ?
・関ヶ原の合戦が起きなければ?
・関ヶ原の合戦の展開が変わっていたら?
・関ヶ原の戦後に違う動きがあったら?

どうすれば豊臣は徳川にやられずに済んだのか。
豊臣の世が続いていたらどうなっていたのか。
徳川の処遇だけでなく色々なIFを考えるのは楽しいものです。

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