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台湾ポップはvaporwaveの夢を見るか

友人が台湾のバンドをいくつか勧めてくれた。具体的にはleo王、エレファントジム、透明雑誌といったバンドだった。

J-POPとT-POPの違い

音楽的にはカーディガンズとクラウドベリージャムの間あたりの表現で、むりやり日本に置き換えるならカヒミカリィかピチカートファイヴみたいな感じだった。突き詰めるとスウェーデンで1990年代に発生した音楽だろう。それらはJ-POPという単語の語源となったJ-WAVEというラジオ局でよく放送された音楽でもる。

しかし、なぜかそこに独自の中毒性とオリジナリティがある。10年以上前絵に流行った上海ポップともぜんぜん違う。その秘訣はなんだろうか。友人はそこに対して、ある見解を持っていた。

言語のフロウ

友人いわく、「中国語の持つ独自の抑揚が洋楽の伴奏と混ざっているから」らしい。つまり東洋風のメロディーとフロウが、西洋風の音楽に合わさっている状態である。

それを聞いて、かつてECDという東京出身のラッパーが関西弁を羨ましがっていたことを思い出した。東京弁の場合には、あえてフロウ(抑揚・節回し)を付けていかないとラップぽく聞こえないのに対して、関西弁は初めから抑揚がついているからフロウを工夫しなくてもラップらしく聞こえるとのことだった。

確かに中国語だからこそのオリジナリティもあるだろう。しかし私は、そこにもう一つの要素が加わっていると考える。

私たちが忘れたもの

台湾ポップには言語や文化、そして色んな意味で「きつい坂」をダッシュする彼らの生きざまが音源として保存されているのではないかと思う。新しい時代を自分たちで作るんだ、という精神性が作品の至る所に影響しているような印象を受ける。

私の台湾ポップに対する感想は、むしろバンドアレンジの簡素ぶりだった。装飾的な音が少ない代わりにベースやドラムが演奏を工夫している。その点において、サンプラーで音を追加していく小西康陽・石野卓球・フリッパーズギターなどの手法と大きく異なっていた。

時限爆弾はいつ爆ぜる

日本人もすっかり忘れていた竹内まりやがvaporwaveとして偶然の再ブームを巻き起こしたように、台湾ポップも新しい時代を切り開くかもしれない。そのとき、アメリカや中国の流行りをまったく無視して自分たちの生き方をとことん表現してほしいと思う。