脱出・生存の物語の系譜と『アリスとテレスのまぼろし工場』
『アリスとテレスのまぼろし工場』は脱出する/させる事と生存を並立して語られた作品で時間SFかのように誤解される要素を混ぜながら見え隠れするもう一つの世界の存在を使って観客をいい意味で振り回した作品と言える。この種の作品は60年代あたりから先行事例は見出せるので有名なタイトルをいくつか挙げてみたい。
(1)『キャッチ=22』
1961年にジョーゼフ・ヘラーがかいた長編小説。第二次世界大戦中の地中海洋上に浮かぶ島に設けられた連合軍基地。異常な軍規で支配されたこの基地に赴任した爆撃機搭乗員である主人公は上官と規則、島内の各組織の理不尽極まりない仕打ちと爆撃任務に消耗していく。逃げられない状況下で生死を賭けさせられる主人公という構造の物語の先駆的作品の一つ。
(2)『プリズナーNo.6』
1967年から翌年に放映された英国SF的なエスピオナージュ・ドラマ。スパイからの引退を宣言した主人公、意識消失させられて気づいたら謎の村にいた。そこの村の住民は皆それまでの経歴や名前を伏せて番号で呼び合っている状況下からの脱出を画策するが。
(3)『インセプション』
クリストファー・ノーラン監督の2010年制作の実写SF映画。マトリョーシカ人形を想起するような「世界」の構造からの論理的解釈が物語の背骨となっている作品。
(4)『ミッション:8ミニッツ』
2011年公開の米国映画。鉄道脱線事故に乗り合わせた主人公は何回も同じ体験をするが、それにはある謎を解くという目的があってというもの。そこから話自体が思わぬ方向へと脱線していく。
(5)『HELLO WORLD』
2019年公開の長編SFアニメーション映画。フル3D CGアニメーションとして制作された。主人公の高校生はある人物から身近なある人と恋仲になって救えと命じられて、言われた通りの事を成し遂げようとするが、そこで思わぬ出来事が事態を急変させる。自らの存在、生きているという定義すら揺さぶるような世界観から色々とぶち破るところが魅力の一本。
(6)『アリスとテレスのまぼろし工場』
この作品、1991年冬の出来事として見せられて行くが実際にはある仕掛けがあって説明台詞を用いずに状況描写だけでその秘密が明かされていく。当然ながら主人公たちはみんな知っているからことさら説明的にならない。その中である「イブツ」な少女の存在が明かされる一方で主人公の父親の失踪の実態などが明かされていき、起きている世界の秘密が少しずつ剥ぎ取られていく。
『さよ朝』は岡田麿里監督におけるファンタジー大河とでもいうべき作品で経過する時の流れに対して見た目は変わらなくても成長はしていくのだという提示がされていた。本作でもそういう仕掛けは施されていて、それが物語にもより強く寄与するようになっている。また分岐して生まれた存在をどう捉えるのかとか描きつつ生々しい性的要素を直接的な行動以外で見せてくるなど少なくともハイティーン以上に向けた内容に仕上がっている。
本作は物語構造に投影された様々な現実社会の問題の投影があり、世代や性別などで受け取るものは異なってくる。その人の問題意識が反射すると強く受け取るし、そうでもなければ「何をやってるのか?」というふうな解釈になり得る面があるのは否定できないけど、そこに対して生々しい愛の感情を置くことで普遍的なテーマにも手を伸ばしているので色々確信犯だなと思うし大人向けのアニメーションだとは思う。ティーンエイジャーの人でも今不思議でも未来において思い返すようなわけのわからなさを残すのではないだろうか。