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電波傷害

はじめは小学生の時だった。

私はラジオにはまっていて、部屋でラジオを聞いていた。

たしか「NACK5」だったと思う。

その頃、携帯電話が普及し始めていて、隣の部屋で母が電話しているのが聞こえた。

イヤホンでラジオを聞いていたが、電話の声が大きかったので会話内容も聞き取れた。

おそらく叔母と話しているのだろうと分かった。

ラジオの音がクリアじゃ無かったので、「つまみ」を回して調節していると、ラジオの音よりも母の電話の会話の方がより大きく聞こえてきた。

音量の方を回したのか? と思って確認すると、ちゃんと周波数を調整している。

そこで気がついた。

”あれ? ラジオのイヤホンから電話の声がする“

電話の会話がラジオから鮮明に聞こえるのだ……。

子供だった私は「なんかよく分からないけどすごい! 面白い!」と思い、そのまま母と叔母の会話を聞いてみた。

何と無しな話だったのだろう。内容は覚えていない。

ラジオから電話の声が流れ始めて数十秒後、突然音が乱れた。

ざざーっと砂嵐の音がなり、またつまみを調節すると今度は音が消えた。

電話の会話もラジオの音も聞こえない。

「もういっかい調節してみるか」とつまみを回した途端、

「助けて!!!!」

という叫び声聞こえた。

私は驚いてイヤホンを外し、ラジオをぱっと手放した。

「えっ、何今の……」と思いつつ、恐る恐るラジオを拾って、イヤホンを付けた。

ラジオからは「NACK5」が流れていた。


それから数年後、私は高校生になった。


両親に自分の携帯電話を買ってもらい、毎日のように友達とメールしたり、電話したりと使い倒していた。

その日の夜も、友達と電話で話していた。

遊びの話だったか、部活の話だったか……。勉強の話ではなかったことは確かだが、楽しく会話していた。

数十分電話していていると、突然電波が悪くなった。

当時の携帯電話は、途中で切れることなんて日常茶飯事だったので、そのまま待っていた。

すると「はぁはぁ……」という息づかいが聞こえた。

もしかして電波が悪いから、急いで電波が良いところまで移動してくれたのかな? と思い「移動してくれた?ありがとう」と言うと、返事がない。

「どうしたの?大丈夫?」と聞くと、

「助けて!!!!」

という叫び声が聞こえて、電話が切れた。

友達の声じゃ無い。甲高い女性の声だった。

私は焦り、すぐに電話をかけ直した。

電話はすぐにつながった。

「もしもし?途中で切れちゃってごめんねー」と、友達が何事も無かったかのように言う。

「いや、それはいいんだけど、今何かあった大丈夫?」と聞くと「え?なにが?普通に電話切れたからかけ直したんだけど、かかんなかったから電話待ってた」と。

私はすぐに思った。

あの小学生の時みたいだなと。


さらに数年後、私は大学生になった。


早朝5時半に、サークルの試合で遠征のため、車に乗っていた。

といっても、運転しているのは先輩で私は助手席に座っていただけだったが。

出発して10分経った頃だったと思う。

高校の時の友人から電話がかかってきた。

電話をかけるにしても朝早すぎるだろう……。急ぎの要件か? と考えて電話にでると、何も会話がない。

数秒待ってると、少しずつ声が聞こえてきた。

「はぁはぁ……」

ここで私は察した。“あの”電話だ。

3度目ともなると、慣れてきていて「私の友達じゃないよね?なに?」と冷静に話した。

聞こえたのは、小声での「助けて」だった。

何をどう助ければいいのか……。

電話はそのまま切れた。

念のため、友人に折り返し電話をかけてみたらすんなりと電話にでた。

「もしもしー、つか朝早すぎだろ」と言われ、「だよね」と笑って返した。

「今さっき電話した?」

「いや、電話してないよ。履歴も見てみようか?……ないね」

「そうだよね。ならいいんだ。ごめんね」と電話を切る。

またこれか……。

今度こそ 、注意して過ごそうと思い、携帯電話をしまった。



そして一週間後、バイク事故に遭った。



バイクに乗って、見晴らしの良い道を直進していたら、対向車が右折してきてそのまま激突。

幸い骨は折れておらず、全身打撲で一週間の入院だけで済んだ。

入院中、事故を起こした相手が謝罪に来たが「向かいから来ていたのが見えなった」と言われた。

いや、そんなことはないだろう。北海道の、遮蔽物も何もない、まっすぐな道なのだから。

でも、私はすぐに納得した。

「いえ、仕方ありません」と。

実は、これは今回だけのことではなかったのだ。

”あの”電話があったとき、私は必ず一週間以内に大きなケガをしていた。

小学生の時、電話の数日後に野球の練習から返っていると、背負っていた金属バットが自転車の車輪に入り込んで転倒した。

顔の右半面を擦り、傷口に砂利が入ってもう少しで失明するところだった。

病院で、右目の周りに麻酔を何本も打ち、たわしのようなものでこすられて、石を取り除いてもらったが、あれほど痛かった治療はない。

高校生の時は、野球の練習中にボールがイレギュラーして跳ねた。

ボールは右目のすぐ上に当たり、これもまた失明するかもしれないケガだった。

そして大学生でのバイク事故だ。

今度こそ、注意しようと思っていてもケガをしたのだ。

次はもっとひどいケガをするかもしれないし、命を落とすかもしれない。

退院後、私は「御祓い」に行った。


それから10年、電話は今のところ来ていない。


#私の不思議体験

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