シンデレラ

 灰は灰に。
 塵は塵に。
 あらゆるすべては灰燼に帰すさだめ。

 少女の心に根付いて引き抜かれることのないその言葉を言ったのは誰だったか。少女は覚えていない。
 少なくとも、母は違うはずだと、少女は思う。母は世に言う慈母であり、娘にそんな、呪いのような言葉をかけるはずがないのだから。
 では、父は?
 少女には判断が下せなかった。父は少女をいないものとして扱ってたから。彼の視線の先に、少女はいない。いるのは継母とその娘たち。いつもそうだ。彼は少女から目を逸らすように継母とその娘たちを見ている。
 そんな父とは対照的に、継母と二人の姉は少女をいつも見ていた。さながら、野山を駆ける獣に向けるような目ではあったが。

「シンデレラ! どうしてお前はそう汚らわしいの!」
「シンデレラ! お前には暖炉の掃除がお似合いよ!」
「シンデレラ! お前は家から一歩も外に出ちゃいけないよ!」

 少女はシンデレラと呼ばれていた。意味は、「灰かぶりのエラ」。エラとは少女の本当の名である。

 シンデレラが灰をかぶる理由は、誰にも分からなかった。本人だって、もう理由を忘れてしまっている。
 ただ、
「灰は灰に。塵は塵に。あらゆるすべては灰燼に帰すさだめ」
 この言葉がすべてのきっかけだったことは、シンデレラ本人にとって明白だった。あらゆるすべては灰に――だから、シンデレラは今日も灰をかぶる。
 母譲りの美貌を灰で覆い隠すのだ。そうしなくてはならないと、心の中で幼き日のシンデレラが言うから。

 さて。
 今日も今日とてシンデレラは継母と二人の姉からあれやこれやと命じられていた。

「シンデレラ! お前は人前に出ちゃいけないよ!」
「シンデレラ! 汚い娘! あたしたちに近寄るんじゃないよ!」
「そうよシンデレラ! あたしたちは、今夜お城の舞踏会にお呼ばれしてるんだから! お前は家のなかで部屋にでも籠って留守番してなさい!」
「――それと、落とした灰の掃除も忘れずに行いなさい! 『灰を落としながら掃除してました』なんてオチはもう御免よ!」

 シンデレラがカーテンに身を隠して窓の外を見てみると、屋敷の門扉の前にはそれはそれは豪奢な馬車が停まっていた。普段の怒鳴りようがウソのように、おしとやかな貴婦人のていで乗り込んでいくのは、継母と二人の姉。彼女らのドレスは、馬車にも負けぬほどにきらびやかなものだった。

「…………あっ」

 カーテンにシンデレラのかぶった灰がくっついているのを見て、シンデレラは慌てて窓際から離れた。急いでカーテンを綺麗にしなくては、また継母と二人の姉にどやされてしまう。シンデレラは屋敷から馬車が去りゆくのを十分に見送って、カーテンを洗うことにした。

 その日の夜。いつもより早く浴場で灰を落としたシンデレラは(継母と二人の姉がいない分、シンデレラの番が早く回ってきたのだ)一人で夕食を食べ、いつもより早くベッドに入った。
 シンデレラに与えられた部屋――もとは彼女の実の母の部屋――からは庭に植えられたハシバミの木がよく見える。シンデレラは眠る前はいつも、このハシバミの木を見ていた。だってそれは、まだ灰をかぶる前の、幼き日の彼女が実の母とともに植えた、思い出の木だったから。

『……エラ、エラ』

 シンデレラは耳を疑った。呼ばれなくなって久しい彼女の本当の名を呼ぶその声は、まさしく、思い出の中の母の声。
 窓を開け放ち、シンデレラは庭へと飛び出した。

「お母様!?」
『エラ、やさしい子。ごめんなさい。私のせいで、お前に灰をかぶらせてしまって』
「それは、もしかして……」
『エラ。幼いお前に呪いを与えてしまったのはきっと、私だわ。……灰は灰に。塵は塵に。あらゆるすべては灰燼に帰すさだめ――だから、その辺の灰を見るたびにどうか、私のことを思い出してほしい……そう、私は末期のときに言ったの。だけど、ああエラ、やさしい子。あなたはきっとこう考えたのよ。――灰をかぶれば、いつも私と一緒にいられると』
 あらゆるすべては灰燼に――つまり、亡くなった母もまた、灰燼に帰すさだめ。この国で火葬は一般的ではなかったが、幼き頃のシンデレラにそんなことは関係なかった。
 土に埋められようと、鳥に食べられようと、燃え盛る炎に焼かれようと、シンデレラは灰をかぶっていただろう。そこに、母を求めて。
「…………でも、お母様。どうして今」
『エラ。お前の美しさはとうてい、灰に隠してしまって良いものではないわ。お城で舞踏会が開かれていることは知ってるわね。行きなさい。今すぐに。今のあなたなら履けるはずよ。部屋の地下収納に入れっぱなしになった、私の靴が』

 シンデレラが部屋の地下収納を開くと、そこには木箱があった。木箱に納められていたのは、ガラスの靴。

『むかし、お前の父が私にくれたものなの。体が良くなったら、これを履いて、一緒に踊ってほしいって……結局、踊ることはできなかったのだけどね』
「お母様……」
『だからシンデレラ。それはお前が履きなさい』
「だけど、ドレスは? 馬車は?」
『用意しました。今宵限りの魔法よ。夜の12時を過ぎると、魔法は消えてしまうからそれまでには帰ってくるようにね』

 シンデレラの服は光に包まれたかと思うと、純白のドレスに変化した。闇夜にあっても見失うことはないと確信できる純白。いっさいの汚れを払い退けると言われたら信じてしまいそうなほどに壮麗華美。
 シンデレラが屋敷の門扉の方を見ると、そこにはカボチャの馬車が停まっていた。

「お母様……!」
『……いってきなさい。シンデレラ。私のために生きるのではなく、お前自身のために生きるために』
「はい……っ!」

 シンデレラは、カボチャの馬車に飛び乗った。
 高揚感に胸を鳴らしながら、王城へ行く。
 灰をかぶるようになってからずっと、彼女は屋敷に籠りきりだった。外の世界を見るのはじつに、10年振りのことである。

「……わっ」
 シンデレラは圧倒された。王城の広間で行われる舞踏会には、すでにたくさんの人がいたのだ。人混みの中をシンデレラが右往左往していると、不意に、彼女の手を取る者がいた。
「失礼、レディ。今宵、この私と踊っていただけますでしょうか」
 端正な顔立ちの男性だった。穏やかな瞳はシンデレラに母の優しさを思い起こさせる。
「……よろこんで」
 シンデレラは踊った。踊りは昔、母から少し教わったきりだったが、母の魔法のおかげだろうか、問題なくこなすことができた。

「ねえ、あれシンデレラじゃあないの? あの王子と踊ってるの」
「なに言ってるのよ母様。シンデレラがこんなところにいるはずないじゃない」
「そうよ。大体なんであのシンデレラがあんなに綺麗なドレスを着てるのよ。持ってなかったはずでしょう」
「そ、そうよね……他人の空似よね」
 継母と二人の姉は首を傾げながらも、そういうことで納得していた。
 ――だから、翌日、朝になってシンデレラが灰をかぶってないのを見て、大いに驚いた。
「シ、シンデレラ……よね……あなた…………?」
「ええ」
「は、灰をかぶるのはやめたの?」
「ええ。もうしません」
「あ、あなた昨日……お城の舞踏会に来てなかった?」
「さて、どうでしょう?」
 シンデレラは魔法のことを隠した。誰に言われたわけでもないが、そうした方がいいと思ったのだ。
 だが、いつまでも隠し通せるはずもなかった。ドレスも馬車も、すべては魔法の産物。だけど靴は。靴だけは違う。
 舞踏会からの帰り、シンデレラは慌ててガラスの靴の片方を王城に落としてきてしまったのだ。
 後日、シンデレラのもとに王子の遣いがやってきた。
「このガラスの靴の持ち主と結婚したいと、王子は仰っております」
 果たして、シンデレラは王子と結婚した。
 王城での結婚式にて、継母と二人の姉はシンデレラに激励の言葉を送り、父は独り密かに涙を流した。
 こうして、シンデレラ――もといエラは王妃になった。

(了)

 

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