暗黙知による学び

若い頃書店で働いていた。
法律経済専門書の仕入担当であった。
そこで専門書そのものについての学びよりも、書籍の物流を学んだ。
書店の業務の中での主な物流作業として下記がある。
 ・仕入検品をして店舗の書棚に並べる(検品、品出し)
 ・書籍は返品が可能である再販制度というビジネスモデル
 ・不要な書籍は箱詰め伝票処理行う返品の物流業務がある
 ・返品に際して書籍をナイロン紐でまとめる作業

これらの書店の物流作業において、ナイロン紐でまとめるという作業は(現在はいろいろな荷物まとめツールが存在するため行われていないと推察するが)重要なのであるが、その際に書籍の本来の機能であるコンテンツは全く関係がない。書籍の形状が重要なのである。書籍の版型、例えば B 5判や A 6判等の形や大きさによって整理しないと物理的に運搬する効率が悪い。何冊まで重ねてまとめるとか、書籍の向きによって若干の厚みが異なることから、5冊ごとに反対向きに重ねると、そういったことを念頭において作業を行うが、こういった作業のための知識経験を習得するためのマニュアルは特に存在しない。形式知可されていないということ。
毎日の作業の中で自然に覚えるのであるが、暗黙知として存在しているナレッジである。
また、書店で行われる決算処理のための棚卸作業。売価還元法による在庫評価を行うための棚卸しである。その当時には分からなかったが、会計処理の業務にあってもその当時現場で学んだノウハウというものがあり、これらの知識がすべて暗黙知である。

そうやって身についた暗黙知であるが、その当時はそれをただちに論理的に役立てることはできなかった。
後に公認会計士として会計や監査の業務を行うようになった際にこれらの暗黙知がとても役に立った。理論と実践が結びついたのである。
しかし、もともと体系的に学ぶということを目的としたわけではない。全くの偶然である。しかし、このように結果として全く関連の無いと思われる仕事が大いに役に立つということがある。


ところで、昔聞いた話でキャリア官僚の1年目がほとんど資料にコピーであったという話がある、最高学府かつ難しい試験をクリアして高度な業務を行うポジションに衆力したにも関わらず、行う業務はコピーなのである。
しかしながらのコピーを行う際、重要な文章に目を通すことになりそこでも何らかの知見を獲得できることになる。
キャリア官僚の能力ポテンシャルは高く、特に形式としての移転を行ってもらわなくても、自然に知見を獲得できる能力を有しているいたのである。
これも暗黙知によるナレッジの獲得の事例である。

ここでいう暗黙知によるナレッジは、いわゆる人間力を構成するものと考える。人間力は必ずしも当初の目的意識や役割と直接関連するこは限らず、歩んだ道程とそこで活動した結果獲得した何らかの価値とかエネルギー的なものによって生み出されるのではないか、という考え方によって裏付けらる。ここでいう「人間力」とは、下記のはページで解説されている ikigai に相当すると考えている。

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