フロムの『愛するということ』を読んで、哲学と心理学について考える

愛について考えていたら、YouTubeのオススメにエーリヒ・フロム『愛するということ』の要約が出てきた。ながらで見ていたら何だか面白くて引き込まれてしまい、あっという間にKindle版を購入。その勢いで一気に読んでしまった。

フロムは、愛は与えるもので能動的な行いであるとして、愛は感情ではなく技術であると説く。

本書ではそれを裏付ける背景として、様々な西洋哲学や宗教学的背景にとどまらず、インドのヴェーダンタ哲学やリグ・ヴェーダまで派生して大局的に愛について論じられている。そして、最終的に「愛の技術の修練」という実践的な内容まで踏み込まれている。

かつて私の卒論のテーマは、とある叙事詩における「平等」の概念について取り上げたものだった。もし当時の私が、フロムの『愛するということ』を読んでいたら、卒論の結論が違っていたかもしれない。それくらい何だか圧倒されてしまったし、この本には私が恩師から言われた言葉「あなたそれじゃあ、生き辛いよね」の答えになるようなことが書いてあった。

それがなにか?というのはここでは敢えて書かない。自分本来の思想的なものは、自分だけが持っていればいい。それでも、この新たな発見!に対するワクワクした気持ちをnoteに書き記しておきたくなった。


学生時代の私は、特にユングに傾倒していて、フロムやアドラーは門外漢だった。

フロイトの系譜を受け継いでいるとしてもフロムはユングやアドラーと違って哲学的な側面が強いというところも、私に馴染む理由なのかもしれない。私の学問の系譜は、心理学→宗教学→哲学の順で、宗教学と哲学は割と混在している時期もあるものの、結局最後は哲学に戻ってくる感じがあるからだ。

個人的な理解の話、心理学は当てはめて心理を理解することであり、哲学は問いに対する答えを考え続けることだと捉えている。

例えるなら、生き辛い人にとって心理学は処方箋であり、哲学は居場所のようなものだと思う。どちらも当然大切なのだけれど、哲学の答えは自分の中にしかないし、一時的にこれが私の真理だ!と思っても、時を経て変化してしまう場合もある。そんなんだから、哲学とは一生付き合っていくんだろうなぁと終わりがないから気が遠くなるけど、そこが面白いとも思う。

フロム先生、私もう少しちゃんとあなたの著書を読み解いていきたいです。今『愛するということ』に出会ったのは、私にとって大変意味深いことだ。