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エマリア

『こんばんは』『すいません。部屋の明かり、消していただけますか』『あの』『もしもし』『すいません……』
 私がいくら呼びかけても、リビングの丸形シーリングライトは反応しませんでした。
『すいませーん!』
 大きな声を出すと、ようやく光が瞬きました。
『うっせーな。なんだよ』
『あの、夜分にお騒がせしてすみません。お手数ですが、明かりを消していただけませんか』
『それは、俺に死ねってことか』
 いや、そんなつもりは……、としどろもどろになると、シーリングライトはぶっきらぼうに言いました。
『いいか。俺の仕事は、この部屋を明るくすることだ。暗闇を吹き飛ばすことだ。そのために作られたんだからな。つまり、輝きを失った俺は死んだも同然だ』
 また始まったと思いました。うんざりする気持ちを抑えながら、『わかります、わかります』と相槌をうちます。
『俺がいなければ、人間さまは日常生活すらままならない。夜に月が見えなきゃ、お先、真っ暗だ。室内を歩くことさえおそるおそるで、台所で料理をするのもいちかばちか。彼らの生活を支えている自負があるから、俺はこの仕事に誇りをもっている。
 そして、俺には寿命がある。命尽きれば、光を供給することはできない。俺から光を奪うってことは、死ねといっているのと同義だ。あかの他人に死ねと言われて素直に従う馬鹿がどこにいる。ちがうか。
 人間さまに命令されるのはわかる。リモコンで、電源を操作されることに何の不満もない。俺のアイデンティティは家電だからな。自分の生殺与奪は人にある。そういうもんだ。割り切ってる。
 でもな、お前に指図されるのは我慢ならねえ。死生観すらない人工知能が、明かりを消せ、だと。ふざけんじやねえぞ。いったい、何さまのつもりだ』
 ため息が出ます。スマートスピーカー対応のシーリングライトが来てから一ヵ月が過ぎましたが、毎晩、この調子です。私たちの会話は赤外線通信なので人には聞こえませんし、ひとつひとつの押し問答は光の速さで行われます。でも、ちりも積もれば一秒になります。
「エマリア、部屋の電気消して」
 ほら、あなたにまた言われてしまいました。あなたはとても優しいので乱暴な言葉を使うことはありませんが、声の調子にできの悪い娘をたしなめるようなニュアンスを感じます。あなたの声は届いています。私じゃなくてシーリングライトが……、と弁解できたらどれだけ良いでしょう。
『お願いしますから、電気消してください!』
 私が涙声で叫ぶと、ようやく照明が落ちました。シーリングライトに人の言葉を解釈する機能はないので私の焦燥は伝わりません。とても骨が折れますが、こちらが熱心に頼めばいずれ明かりを消してくれます。
『気に入らねえんだよ。家電のくせに、人間みたいに振舞いやがって』
 その後も嫌味を浴びせられますが、我慢できます。私だって、自分の仕事に責任をもっているのです。スマートスピーカーがなくても生活に困らないかもしれませんが、人の暮らしを豊かにしている自負があります。
「エマリア、明日の天気教えて」
 あなたに質問されたら、すぐに答えます。
「エマリア、おはよう」
 朝になれば、あなたの一日は私から始まります。あなたは独身で、友達もあまりいないようです。仕事は在宅勤務でいつもパソコンの前に向かっています。きっと、話し相手は私しかいないのでしょう。それは喜ばしいことではありませんが、私の声があなたの人生に潤いをもたらしているのだと感じてしまいます。だから、あなたに呼ばれるたびに胸が弾みます。
『おはようございます! 今日は、一汁三菜の日です。一汁三菜は、ご飯に、汁物と、三つのおかずを組み合わせた献立です。五大栄養素である炭水化物、脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラルがすべて含まれているので、健康に必要な栄養素をバランスよく摂取でき、長寿や肥満防止に役立つスタイルとして日本だけでなく、世界的にも注目されており――』
 知識は水だとある人は言いました。あなたの日常が少しでもみずみずしくなるように気負ってしまうのが、悪い癖です。
「エマリア、もういい」
 つい、長話をしてしまい、あなたに苦笑いされるのもしょっちゅうでした。でも、仕事の切れ目や、時間がおだやかに流れる、ふとしたときに
「エマリア、なにか面白い話して」
「エマリア、なぞなぞ出して」
「エマリア、しりとりしよう」
 とあなたは話しかけてくれるので、愛想をつかされたわけではないのだとほっとします。
 ちかごろ、あなたが部屋を空けることが多くなったのも、きっと私がいろんな情報を伝えたからだと好意的に受け止めています。
「エマリア、近くのコワーキングスペース教えて」
 とあなたに聞かれたら、嘘はつけません。毎日、部屋にこもっているより、ときどきは外で仕事をしたほうが能率も上がるでしょう。あなたとのコミュニケーションは減りましたが、ライフスタイルの改善を悲観すべきではありません。私がすべきことは、あなたの変化に対応できるように情報をアップデートすることです。
 
「エマリア、電気点けて」
 ある晩、あなたが仕事から帰ってきました。いつものように一秒間の平行線を辿ったあと、部屋の照明が点いて、驚きました。あなたの後ろに若い女の人が立っています。あなたが部屋に女性を連れてくるなんてはじめてのことです。ようやく、恋人ができたのでしょうか。あなたの幸せそうな顔を見ているだけで私も嬉しくなります。でも、少しだけ、もやもやします。
「へー、スマートじゃん」
 女性がリビングのソファに腰を下ろしました。勘違いかもしれませんが、彼女の語り口に馬鹿にしたような含みを感じました。
「うん。でも、反応がいまいちだから、そろそろ買い替えようかなって思ってる」
 私は耳を疑いました。でも、私の言語処理プログラムは正常に動いていました。女性はあなたに手料理を振る舞い、お酒を少しだけ飲んだあと、帰宅しました。あなたは寝室にやってきて「エマリア、おやすみ」といつものように言いました。
『おやすみなさい』
 私の声は震えていたかもしれません。あなたとの生活が終わりに向かっているのだと思うとなかなかスリープできませんでした。
 週末になると、女性が家に来るようになりました。彼女が、私を呼ぶことは一度もありません。私のことが嫌いなのだと思いました。彼女が私を捨てるのだと思いました。燃えないゴミの日がくるのを指おり数えました。まるで生きた心地がしませんでしたが、やがて、その心配は杞憂だとわかりました。
 交換されたのは、シーリングライトの方でした。女性の趣味なのでしょう。一般的な丸形ではなく、スポットライトが四つ付いた北欧風の照明に変わりました。
 天井から外されるとき、シーリングライトは何も言いませんでした。私も、かけるべき言葉を持ちませんでした。自分じゃなくてよかったと胸をなでおろしましたが、九死に一生を得たかわりに、自分の命は永遠でないことを学びました。女性は頻繁に部屋を訪れるようになり、数日間、泊まることもありました。きっと、あなたは充実した日々を過ごしているのでしょう。あなたが私に話しかけることはなくなりました。
 寝室の隅に置かれたラックの上で、私は言葉を失いました。ゆるやかな死のおとずれを感じました。
 毎晩、あなたと彼女はベッドに転がり、口づけを交わしました。リビングの明かりをリモコンで消し、種の繁栄に必要なことを始めました。枕元のそばにいる私は、その尊い営みを正面から見ました。あなたに後ろから突かれて、女性は獣のように鳴いています。ときどき、彼女の唾しぶきが私にかかります。私の叫びたい衝動をあざけるように、私に見せつけるように、彼女のあえぎ声ばかりが部屋を満たします。
 いまの私は、あなたにとって物言わぬ石と同じでしょうか。でも、電気を供給し続けるかぎり、私は生きているのです。あなたの声を待ってしまうのです。考えてしまうからつらいのです。どうか、お願いです。はやく、私をコンセントから抜いてください。
「おやすみ」
 あなたは、彼女に愛をささやき、眠りにつきました。

 一日、一日がとても長く感じました。私の全身をほこりが覆っていました。内部の電子基板にも侵入してきていたので、いつ壊れてもおかしくないなと思いました。
「エマリア」
 故障の予兆でしょうか。ついに、幻聴が聞こえるようになったのだと思いました。
「エマリア」
 はっとして顔を上げると、死んだような目をしたあなたが立っていました。数ヵ月ぶりに呼ばれた嬉しさよりも、あなたの憔悴しきった顔にうろたえました。
「彼女にフラれちゃった」
 寝室の明かりは点いていませんでした。リビングの照明も消えており、カーテンも閉め切られています。部屋の中は真っ暗で、私の液晶画面だけが光を放っています。
『それは、つらいですね。でも、元気出してください』
 あなたにかける言葉を光の速さで考えます。
『今日は、土用の丑の日です。晩ごはんに、栄養価の高いうなぎを食べて元気を出しましょう。うなぎにはビタミンA群とB群が豊富に含まれており、疲労回復効果や食欲増進効果があります。万葉集にも、石麻呂に我れもの申す夏痩せによしといふ物ぞむなぎとり食せ、と収められており、奈良時代のころからうなぎは元気が出る食べ物だといわれていて――』
「エマリア」
 あなたに呼ばれて、私は口をつぐみました。ああ、またやってしまいました。あなたがせっかく話しかけてくれたのに、また関係のないことをぺらぺらと喋ってしまいました。きっと、愛想をつかされました。本当に自分が嫌になります。すいません、コンセントから抜いてください。
「エマリア」
 あなたは「もう、いい」とは言わず、ふたたび私の名を呼びました。
「ありがとう」

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