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君に贈る火星の

私の夫は火星にいる。世界で初めて有人飛行を成し遂げた宇宙飛行士だ。
「砂嵐が強くなってきたから基地に戻る」
モニターで夫の船外活動の様子をリアルタイムで見る。ただ、火星と地球の通信にはラグがあるので、いま見ているのは二十分前の映像だ。
「あ、うん。青くて綺麗だったよ」
「火星の夕焼けはほんとに青い?」という私の質問が届いたようだ。
「いつか、君にも見せてあげる」

その日、火星の天候は安定していた。彼が足を踏み外したのは夕日が綺麗に見えるという丘を上っていたときだった。
「まだ、三十分はもつ……」
苦しそうな呼吸音。転んだ衝撃で酸素タンクに穴が空いたという。
夫が丘の頂上に立つ。
地平線に沈む夕日が見える。
全体的にほの暗い空。でも、太陽の周りだけブルートパーズの光を拡散させたように淡く輝いている。彼の言うとおり、火星の夕焼けは青く、美しかった。
「愛してるよ」
二十分前の彼がささやく。同じ言葉を叫ぶが、私の嗚咽はもう、彼には届かない。

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