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雑談ってなんだろう

桜林さんとの雑談「サクちゃん聞いて」に参加してきました。

はじめましての桜林さんと90分間の雑談。

これがとっても楽しくて心地よかったので考えてみます。

雑談ってなんだろう?

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「雑談はすきですか?」と聞かれてはじめて考えてみたけど、雑談はすきだと思う。親しい友人と喋り倒した帰り道、口が疲れているとほっこり嬉しくなる。

しかし、大人数の飲み会とか、心をまだ許していない人との雑談はすごく苦手だ。大人数だったら共感の置物と化し、親しくない人との会話は摩擦係数が0なんじゃないかってくらい上滑りの言葉を口にしてしまう。

じゃあ今回はというと、それはもうすっごく楽しかった。

ふわふわと頭の中で考えていることを口に出し、受け止めてもらい、返してもらう。このキャッチボールが楽しくて嬉しくて、あっという間に90分が過ぎてしまった。

相手は桜林さん。わたしが悩みの底なし沼にいたときに「夢組と叶え組」の考え方をテレビ越しに教えてくれた方で、もちろん初めまして。わたしは日ごろからTwitterやnoteで拝見しているが、桜林さんはわたしのことをほぼ知らない、という状況で雑談がはじまった。

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今回の雑談は友達とのそれと、違うようで同じだった。

わたしがいつも友達と話すことは、最近あった出来事や一緒に経験した懐かしい話、ちょっと先の未来の話、前話したことのつづき。今まで過ごした時間があって、今がある。

気付けば「この人とこういう話をすると楽しいなあ」というのが共通認識として出来上がっていて、話すテーマも相手によって自然にかわる。

一方、今回の雑談は「はじめまして」から始まった。といっても、ほんとにお互いの情報がゼロなわけでもない。

わたしは桜林さんのことを知っている。日頃からTwitterやnoteを読んでいて、今回の雑談の背景もnoteに書いている範囲で知っている。

そして桜林さんは、「わたしが知っている」という事実を知っている。

2人は雑談するぞ、という気持ちでいま向かいあっている。

そんな状況でわたしは「やりたいことがなくて…」という話をした。桜林さんの「夢組と叶え組」の話と通じる、というより、わたしがその話を知っているから安心してその話題を出せたのだと思う。

つまり、友人との雑談は今までの時間の延長線上にあるのに対し、今回の雑談はいくつかの点で接しているような感じだった。

「こういう話をすると楽しいなあ」という共通認識を築いていない状態だったけど、「夢組と叶え組の話」は共通の関心事で、ふたりともそれぞれ真剣に考えたことがあって、だからこそすごく楽しく会話できたのではないかと思う(少なくともわたしは…!)

いままで一緒に過ごした時間がないからこそ「考えていること」という抽象的な内容にフォーカスすることになり、そしてそれがすごく楽しいことだと気付けた雑談だった。

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ではなぜ普段はこの話をしないんだろう?

楽しさに気付かなかっただけで、今後は友人とのトークテーマに「考えていること」を積極的に採用していくのか、と自問自答してみるけど、たぶんしない。

理由はおそらく「他に話したいことがたくさんある」から。これは「考えていること」というトークテーマの優先順位が低いわけではなくて、ただただ話したいことが横一列にずらっと並んでいるイメージ。

そんな中で、今まで話してこなかったことを話すのは勇気が必要で、いつもより少しだけ丁寧な前置きが必要で。

友人たちはおそらく受け止めてくれるのだろうけど、他になんの気兼ねもなく話せることがたくさんあるところで、新たなトークテーマを持ってくることを未来の自分はしないんじゃないかなーと思う。

でも一方で、今後は「考えていること」もたくさん話していきたいなあという気持ちがある。

今回の雑談で、「考えること」を話すことがこんなにも嬉しく楽しいことなんだと知ることができた。

それは、いままで友人と話してきた仕事の話や趣味の話だと同じくらい、「考えること」が自分にとって大切で自分を構成している要素のひとつだからなのだと思う。

いまの友達とは話す機会は少ないかもしれないけど、こういうことを話すのが好きな人と今後も雑談できたら、なんだかちょっと楽しそうだなあ。

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雑談が楽しかったことは言わずもがなとして、驚いたのは雑談の後。今回の雑談の余韻といったらすごかった。

そもそもわたしは日常会話を無意識に復習してしまうタイプで、「あのときはああ言えばよかったかな…?」と反省することもよくある。

今回の雑談後はそれが顕著で、「ここでこう答えて、こうつなげたら、どんなキャッチボールが生まれていたんだろう?」「あのことを話したら、なんて返してくれるのだろう?」というのが次々に浮かんできて、その夜はわくわくして全然寝られなかった。

ずっと思考のドアが開けっぱなしになっている感覚。

寝付けないのはつらいけど、今まで考えたことがないことについて考えることが好きだと気づいたのは、この時だった。

雑談の余韻、恐るべし。

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雑談についてあれこれ考えたところで、最初の問いについて考えてみる。

雑談ってなんだろう。

心を軽くしてくれるもの。

自分を知ることができるツール。

思考のドアをあける道具。

雑談するために口から出す「ことば」は自分の一部であって、口に出すことでまた自分という存在を作ってくれている気がする。

大人数や心をまだ許していない人には、自分の一部を差し出すことができなくて、そんな状況ででた言葉では自分を存在させることができなくて、そのまま自分にはならずにどこかに行ってしまう。

雑談というのは自分を再構築するためのツールなのかもしれない。

だから、雑談が終わった後はあんなに心地よい疲れがあるのだ。

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雑談について考えたことをノートにばーっと書き出してみたら、こんなに長くなってしまいました。

でも楽しいです。楽しい。

これからも今まで通りいろんなことを考えて、今まで以上にそれを言葉にしていきたいと思います。

最後になりますが、こんな素敵な機会をくれた桜林さん、ありがとうございました。


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