見出し画像

#74 もっと明るいところがあるとまずは信じてごらん|満足できないわたしたち

お気に入りのPodcast番組オーバーザサンEp.108で、最後の最後で出てきた田中さんの話が面白かった。

ほんとうにやりたかったことに向き合っている人はカッコいいという話。

本当にそうだな、と思う。

田中さんは、どれだけ成功しても認められても人生に喜びを感じない自分は不感症なのでは?と自分を責めた時もあった、と。

そこで自分にトコトン向き合って、自分が避けた道をもう一度たどって個展を開いたという話。(ニュアンスで書いてるのでちょっと違ったらごめんなさい)

たとえばのはなしだけれど、何をしてもそつなくできちゃう器用さとスキルとお金と人脈がある人って、何してもすぐに人に認められるまでできてしまうからこそ、ずっと物足りないのかもしれないな…と思った。

なんでも叶うって楽しいかと思いきや、じつは楽しくないのかもなぁ。

満足感とか喜びって「本当に自分がやりたかったこと」をやったからというのももちろんあると思うんだけど、どうしてもできなかったことを成しえることなのかもしれない。

そのほうがきっととっても満足度が高いんだろうな……単純に、脳がそういう構造な気がする。

だからできないことを頑張るってけっこう楽しい。

なんでも器用に出来る方は、そういう頑張りハードルがどんどん下がってしまうから(がんばればがんばるほどなんでもできるようになる)喜び不感症になるのかもしれないな。

少なくともわたしは…そういう節がある。
(そこまで大きなことにチャレンジしてないとも言える)

でも、そうなったらどうしたらいいんだろう?

・「できなかった」「できないだろう」と自分が思っていることをやる

・大自然を前に「自分ちっぽけだな~」って感じる

・瞑想して「実はわたしにやらなければならないことなんてなんにもないのかも」と気づく

自信もつきそうだ。

「満足って外側にない」

ほんとうにそうだ。

がんばれすぎて不感症な人もいれば、
かたや、がんばれない人もいるわけで。

世界は、誰に対してももっと明るくてやさしいものなのに

がんばれない人は、いま自分が見ている光にこれ以上の明るさがあることを信じられなくて、今あるわずかな光をできるだけ明るくするために、どんどん自分の周りを暗くし続けているのではないかと思う。

すごく抽象的に書いたけど
わかる人にはわかる……と思う。

本人がいいのであればそれでもいいのかもしれない。

でも…その光がとてつもなくちっぽけで、もう消えそうで不安なことも薄々気づいているんだよね。

たとえば死にたくなるようなつらいとき、その明かりは信じるに値するのかどうか、とても不安になるだろうけどぜったいある。

自分を暗くすることをがんばらずに、明るくなると信じることをがんばってほしいと思う。。

-----

なんとスーさんからコメントが…!
失Reiしました。修正しました✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?