見出し画像

#42 気のあう人、たった1人に出会えればいい

ご縁というのは不思議なものです。

長く深い付きあいの人と、一体どういうキッカケで出会ったのか、

さかのぼって思い出そうとしても意外と思い出せなかったりしませんか?

わたしにはYという親友がいます。

12から15歳までフィリピンに住んでいたわたしは、中学3年生の6月に帰国してきました。

受験勉強もほとんどせず、成績がいいわけでもなかったので、親のはからいで私立の中高一貫校に〝帰国子女枠〟で入ることができました。

そこで出会ったのがYです。

家から学校まで片道10kmあったのですが、自転車で通っていたんですよね(笑)

そして、近くに住んでいたのがYでした。

中学生のころはダサいヘルメットをかぶるのが嫌で、ヘルメットをかぶらなくてよくなる高校生から一緒に学校に行くようになったように記憶しています。

学校ではちがうグループだったのに、なぜそこまで仲良くなったのか覚えていません。

あ!塾が一緒だったんですよね。わたしが誘ったのでしょうか?今度聞いてみます。

彼女はいつでもわたしの心の支えでした。


大学進学も同じ都市にでてきたので、ちょくちょく一緒に遊んでいたし、はじめて彼氏ができた時も、こと細かに電話で実況をしました。笑

何かあれば相談するお母さんのようなお姉さんのような存在で、どんなときもわたしを否定せず、わたしの話を聞いてくれました。

わたしが心身ともに体調を崩したときに、ヨガに誘ってくれたのもYでした。

そこから11年わたしはヨガを続けていて、いまはヨガインストラクターをしているんだから、人生ってどこでどうなるかわかりません。

彼女がいなければ、わたしはヨガに出会っていなかったでしょう。

4年間つきあった彼との将来が見えず、自分から別れたものの自暴自棄になってしまったときも、しょっちゅう話を聞いてくれました。

ヤケになって飲みまくって遅い時間に電話をかけて、かなり迷惑だったと思いますが、いつも話を聞いてくれました。

わたしがそのあと付き合った羽賀研二に似たチャラ男のことも、いっさい悪くいうことなく、3ヶ月であっけなく別れたときも支えてくれました。

そのあと、Yが人づてに、ひとりの人を紹介してくれました。

その人はのちにわたしの旦那さんとなりました。

わたしの仕事、結婚、こども、
思えば、わたしの人生すべてをYが運んできてくれました。

連絡頻度は実家の母より少ないですが、いつも心の片隅にいるY。

連絡を取るから親友なのではなく、心の片隅にいるだけで支えになるかけがえのない存在がいること。それはわたしにとっての宝です。

いつでも会えると思わず、
会えるうちに会いに行かねば。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?