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24-9. 思考過多、疲れに気づかず

何度もnoteを書こうとしているのに、びっくりするくらい全然おもんな!とかで、何度もボツ。

あーん。書きたいのに書けない!!なんで書けないんだろう・・・


って、前もそんな状況に陥って記事を書いたことがある。

そのときどんな結論を出したか忘れてしまったのだけど、今思うのはインプット過多からの「脳疲労」が起きてるなってこと。

思考過多になっちゃって、体もガチガチになってる。

わたしにとってのインプットは、文字や動画だけでなく、人と接するときに得られる刺激や自分自身の反応も、大きなインプットになる。


最近あたらしいチャレンジが立て続けに続いていて、それ自体は喜ばしいことなのだけど、やりたいことがむこうからどんぶらこっこ~っと立て続けにやってくるもんで。


ワクワクするし、やりたくて仕方ないのだけれども、考えることも多くて思考過多になってるかんじ。そういうときもある!


現にnoteを書いていると話の方向性があっちこっちに飛んでいってしまうし、モーニング・ページすらスムーズに言葉が出てこなくなっている。


となると、やるのはインプット断食。snsをぼーっと見るのはやめて、休むしかないね。

目を使うのは控えて、睡眠を取って、アウトプットに注力していこう!


というわけで、今日は急きょ、平日オフにした。

もともと今日は朝一で整体に行く予定にしていて、整体にいったあと、そのままカフェでブランチしながらnoteを書いたりコミュニティの方向性を詰めよう!(あら楽しそう!)と、昨日までは思ってたのだ。

でも施術してもらって体ほぐしてもらったら、オフモードになってしまった。

頭をかなり使ってたから、体ほぐしてもらって体も頭もかなり疲れてることに気づいたのかもしれない。

それに「森林に行きたいな〜」と思っていたら、森林公園のおすすめスポットを紹介されるというシンクロ。

ちょっと話が逸れるんだけども、わたしは2ヶ月前まで森の近くに住んでいた。

鳥のさえずりや、木々たちの揺れる音といったナチュラルなヒーリングミュージックを日々聞きながら過ごしていた。

それがなくなって思うのが、人間が優しさを醸造するために、自然は必要不可欠なものなんだなってこと。

私のなかの優しさは、自然がもたらしてくれたものだった。

だから、できるだけ自然に触れたくて、散歩しながらそのへんに生えている木の幹を掌で触ったりしてる。でもそれくらいでは足りないくらい自然不足。

話を戻すと、施術が終わってスッキリして痛みも取れ、疲れがどどどっと押し寄せてきて、そのままカフェに行かずいったん家に帰った。

楽しい寄り道をする気満々だったのに、思いがけず疲れてしまって家に帰っちゃったときの切なさと安堵感…

で、家に帰ってきてnoteを書き始めたものの、冒頭の通りなんか納得いかず。

おなかすいてきたのでやっぱりカフェに行こうかなーと思って(往生際が悪いw)カフェの前まで来たけれど、やっぱり違うや、って思ってそのままお弁当を買って帰ってきた。

オフにすると決めた日って、自分を楽しませるために何かをしようとしがちなんだけど…当然なにもしたくない日があって、今日はどちらかというと後者だったよう。



以前西洋占星術で、わたしは楽しいことをついつい頑張りすぎるところがあると言われたことがある。

パッションで突っ走ってしまうのだ。すごく思い当たる節があったので、そこから少し気をつけていて、無理して楽しむのは控えるようにしている。

穏やかな幸せもいい。


帰宅して、白菜(最近のブーム)をくたくたに煮て味噌汁をつくり、お弁当といっしょに食べて、一息つきながらこれを書いている。

うん、今日はこれでよかった。



フリーランスになっていちばんよかったのは、平日のお休みがとれること。

自分で決めて柔軟に動けることだと思う。


最初はうまく休めなくて、ついつい何かしてしまっていたけど、何かをする日 or 何もしない日を自分で選べるようになると体調管理もしやすくなった。

そんな感じでこれを公開したらPodcastを聴きながら子どもが帰ってくるまでうたた寝しようと思う。

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