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23-32. やっと花開いたわたしの母性|未来ばかりみていたわたしが一瞬一瞬を慈しめるまで

目が覚めるといつも必ずある、豆みたいな形をしたおたふく顔の娘の寝顔。

体はおおきくなったけど、寝顔は赤ちゃんのときからなにも変わりません。(きゃわ...

これをあと何回見させてもらうことができるのだろう。

突然ですが、わたしは子どもと遊ぶのが苦手でした。

延々と子どもと遊べる人って、一体全体どうなってんやろ?って不思議&羨望のまなざし。


話がすこし逸れてしまいますが、会社員として働いていたとき、仕事をやめてからフリーになってからの1年ちょい、わたしの最優先はいつも、効率・生産性・成長だったように思います。

「子どもがいると仕事ができない」
と、どこかで思っていたのではないかと。

正直、キャリアの妨げになると口には出さなくても思っていたと思います。


なにかを生み出さなければ。
社会の役に立たなくては。

と、未来に向けて大忙しで。

限られた時間を効率よく使って、成長しなければならなくて、なにかを達成しなければならなくて。。

ちょっとした時間があれば、やるべきことがないかを亡霊のように探し、ちっとも落ち着かず、止まるのがこわい。


いっさいの時間を無駄にしたくないし、
鍋が煮えてる時間さえ惜しい!


そうして、子どもが甘えてくるのをいつも待たせていました。

最後に子どもの目をマジマジ見つめたのはいつだろう?

ハグも、スキンシップも、そんなに多くない。

こちらから笑顔を配ることもあまりしなかったし、延々と繰り出されるよくわからない話を聞くことも、しりとりや、お絵描きも、できるだけ避けたかった😂💦

なにかを"成し得たい自分"にとって、その時間はひどく退屈だったのです。

子どもと思い切り遊ぶことができなかったのは、それは時間の無駄だと思ってたから?

そうかもしれません。

目の前のことを慈しむために、時間を使う方法を知らなかったんです。

真面目すぎて、完璧主義すぎて、楽しむことを知らなかったのです。

いつも深刻で大変だった過去のわたし。
未来のために奮闘していたわたし。

そういう時もあっての今のわたし。

だけど、娘の幼い頃の可愛い動画を見ると、この頃の娘には会えないという事実が腹落ちすると、キュンと切なくなります。

この子とすごす時間、その他たくさんの大切にしたい人たちと過ごす時間を大切にしよう。

未来にどうなるかばかりに盲目的にならず、目の前のことをもっと全力で慈しもうと思います。

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