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武蔵一宮 氷川神社(一ノ鳥居から三ノ鳥居まで)

埼玉二日目の最初の目的地は武蔵一宮 氷川神社を目指します。
大宮駅から氷川神社三ノ鳥居まで徒歩で約3.5㌔50分程の歩き。
大宮駅から一旦南下し、旧中山道の県道164号線を経て一ノ鳥居を目指しました。

旧中山道の左に氷川神社の赤い大鳥居と武蔵国一之宮の石標に到着。
日本一長い参道とも云われる氷川神社の参道は、ここから延々と約2㌔続き、ゴールの三ノ鳥居まで写真データでは30分はかかっています。
今回は、氷川神社の一ノ鳥居から三ノ鳥居をくぐった境内の一部までを掲載します。
尚、参考所要時間として写真撮影時間を入れておきます。
9:32

参道左には享保7年(1722)に寄進された氷川大明神と刻まれた社号標が立てられています。
旧中山道から旅の途中に氷川さんにお参りとばかり参道を進めば、先も見えないなっがーい参道が待っている。

この一の鳥居は、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊し、昭和9年(1934)に三ノ鳥居を移設したが、老朽化により昭和30年(1955)に新しく建て替えられたもの。
しかし、耐震補強が必要となり、2023年春にリニューアルされたばかりで、朱も鮮やかなピカピカの明神鳥居。

その傍らに「氷川神社 是より宮まで18丁」と刻まれた石柱があります。
真っすぐに伸びる参道の先に社殿は見えない、一丁が約109㍍なので18倍…遠いと言う事だ。
毎年8月1日に行われる氷川神社の例大祭では、皇室からの勅使もこの「一の鳥居」から参道を通って参向されるという。

上は天保年間(1831~1845)、斎藤月岑が7巻20冊で刊行した江戸名所図会、その13冊にある氷川神社の社頭の挿絵。
手前は旧中山道(現在の県道164号線)で、そこにも社標と鳥居が描かれており、周囲の光景は様変わりしますが街道と参道の位置関係は今も何ら変わっていません。
参道には並木一八丁と書かれており、現存する当時の丁石は二丁、六丁、九丁、拾丁、十六丁の5基が神社や博物館で保管されているそうです。
現在参道で見られる丁石は、氷川神社崇敬者により寄進されたものだそうです。

けやき並木が続くなっが~い参道。
真っすぐに伸びる参道は個人的にも好きですが、氷川神社の参道は日本一長いと称するだけの事はあります。社殿はまったく見えないが、丁石を探しながら進めばやがて見えてきます。

楢姫稲荷神社
吉敷町の崇敬者によりお祭りされている稲荷神社。
9:37

入母屋瓦葺のこぢんまりとしたシックな建物に朱色の明神鳥居と拝殿扉が印象的。

この建物はここから5分程北東に大宮南小学校が建っています。
かつてその場所に大宮南尋常高等小学校があり、そちらで天皇・皇后両陛下の御真影奉と教育勅語を納めるために建てられた奉安殿(昭和7年頃建立)でした。
戦後解体される事無くここへ移築し、奉安殿から稲荷社本殿に姿を変えたもの。
毎年3月第1日曜日には初午祭が行われます。

こうした奉安殿は国の威信を象徴する性格から、豪華なものが多く、空襲から守るため蔵のような堅牢なものも多かったが、終戦後そうしたものは取り壊され、一部こうして流用されたようです。

楢姫稲荷神社は奉安殿移設前から鎮座していたものと思われ、いつ頃建立されたのかは不明。
境内には狐の姿は見られず、唯一鬼瓦に宝珠の紋が入っているくらいです。

楢姫稲荷神社
創建 / 不明
祭神 / 宇迦之御魂神
所在地 / さいたま市大宮区吉敷町2-142

広い参道両脇の杜は往古、主に松や杉が主だったそうで、大正から昭和初期にかけて鬱蒼とした杉並木が続き「並木十八丁鉾杉つづき」と称されたようです。
現在は杉に変わって欅やスダジイや楠木などが主で、樹の種類が変った背景には戦中、戦後の資材難でそれらが伐採されたことが一因にあるようです。
現在の樹々の多くが昭和60年に入って植栽されたもので、参道沿いには今も伐採された切株が残されていました。
訪れた時は丁度彼岸花が綺麗な時期で、緑のトンネルに鮮やかな赤のアクセントを加えていました。

参道にはこうした丁石が立てられています。
これが18になれば到着なんですがまだ〃先。
9:42

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