私のこれまで 10

夏休み中に、私の生活は激変してしまった。普通の中学生から、夜遊び癖のついた不良中学生だ。制服は変わらない。見た目は普通の中学生を通した。私は小心者なので、先輩が怖かったのだ。

夏休み明けにやらかした。当時変色リップが流行っていて、私も持っていて学校に行くのに塗ってしまった。少し赤くなる程度だと思っていたら真っ赤になってしまって、慌てて落とそうとしたが時間がなく、そのまま登校した。クラスに入るなり男子から「こいつ夏休みの間にヤンキーになった!」と騒がれ、先生にも見つかり、顔を洗って来いと言われた。素直に顔を洗いに行ったがそれくらいで落ちる代物ではなかった。担任からはファンデーションも塗っていると思われ、「全く落ちてないじゃない!洗い方が足りないんじゃないの?」と言われたが、リップだけしか塗ってない上に、これが頑固者で、リムーバーじゃないと落ちない物なのだ。仕方なく担任にその事を伝えると、罰として宿題を増やされた。「親にも連絡するから」と言われ、その日はそのまま授業を受け続けた。休み時間になると、仲の良かった真面目なグループの子達が「夏休み、会えなかったけど何かあったの?変わりすぎだよ。」と心配そうに聞いてくれたが、「別に何もないよ。ちょっとした気分転換。」と答えるしかなかった。まさか夜一人で家に居るのが嫌で愛達とナンパに行ったり、レイプされて人生変わりましたなんてとてもじゃないけど言えない。それくらいの羞恥心は持ち合わせていた。しかし、変わってしまった私から彼女達が離れていくのにそう時間は掛からなかった。

私は愛と幸子と他の問題児と言われる子達と仲良くなっていった。類は友を呼ぶといったところだろう。それでも見捨てずにいてくれた友人もいた。その友人たちとは流行りのコックリさんをやったりもした。あれはお勧めしない。潜在意識の中で誰かが動かしていると思われるからだ。そうして学校生活を送っていると、2年の先輩に可愛がられるようにもなり、兄の同級生の女子の先輩からも声を掛けられるようになったいった。

昼間は学校、放課後は友人たちと買い物や万引きの生活が続いた。そんな中、別の不良グループの万引きが学校にバレた。かなり大っぴらにやった為バレたらしい。それがきっかけで、学校から親へ宛てたプリントが配られた。そして私の母の目も鋭くなっていた。学校から帰ると万引きした物がテーブルの上に置かれていた。「これ、どうしたの?お母さん買った覚えないけど。」と問い詰められた。黙るしかなかった。母は察したのか、「お金払いに行くから、どこのお店か言いなさい。」と言ったが、もうどこで何を万引きしたのかなんて覚えていない。母は諦めたように、「もう、こんなことはしないで。欲しい物があったらちゃんと言いなさい。」と半泣き状態で部屋へ戻って行った。母のその姿を見ても、私は反省などしていなかった。(私を一人にしたあんたが悪い。しかも、今まで気づきもしなかったじゃん)と思っていた。反省もしていないから繰り返す。しかも、その頃兄も友人達と近所のスーパーで万引きしていた。

私は、その後も愛達とナンパに行ったし、万引きも繰り返していた。私は2年生になり、兄は中学校を卒業した。兄は工業高校を受験すると言っていたが、受験当日、母が時間になっても起きてこない兄を起こしに行ったが、寝起きの悪い兄に蹴りを食らい、呆れて放置し、受験しなかった。もう、夜間学校しかないと、夜間学校の試験を受け、無事合格。兄は高校生になった。

私は2年生になると新入生が入ってくる(当たり前なんだけど)その新入生の中に小学生の時から仲の良かった子がいた。その子は裕子と言う。裕子は入学早々、2年生から目をつけられた。理由は学校指定の靴を履いていなかったから。そんなどうでも良いことで色めき立っている同級生があほらしく見えた。「真由美がやって言いていうなら、裕子やるけど、だめだって言うならちゃんと既定の格好して学校に来いって言っとけよな。」と言ってきたが、私にはどうでも良かった。そもそも、言ってきた同級生が既定の制服を着ていないのに、どの口がそんなことを言うのか。「うちらだって言える格好してないんだし良くね?」と言ったが、相手は納得しない。「そんなにやりたきゃ喧嘩でもなんでもすれば良い」。と取り合わなかった。後日、裕子が私のクラスに泣きついて来た。聞けば、暑くて制服の袖を捲っていたら私の学年の人間から文句を言われたと言う。「言われて悔しきゃ言い返すなりしろよ。」と言ったが、周りにいた同級生が「そんな言い方は可愛そう。なんとかしてやれ。」と言うので、仕方なく裕子に文句を言った同級生の所に行き、「あんたが既定の制服着て真面目ちゃんになってから文句言えば。じゃないと言ってることがおかしくねえ?」と言うと「うちらが1年の時は先輩が怖くて初めのうちからそんな恰好出来なかったやん。なに?あいつ庇うの?」とキレて来た。庇うも何も、裕子に文句言ったやつは同級生ではあるけど友達ではない。それがそのまま口から出てしまった。「うちら敵に回してタダで済むと思わない方が良いよ。うちらのバックには3年の先輩ついてるから。」とまるで何かのドラマのような捨て台詞を言いながら、同級生はどこかへ行ってしまった。そして、その日から私の不良説に拍車が掛かってしまった。私が通っていた中学校はとても品行方正とは程遠い、地元で中学校の名前を言うだけでヤンキー認定されるような学校だった。3年生だけでも手が付けられないくらい気合の入ったヤンキー集団が多いのに、私達2年生までこれ以上問題を起こされてはかなわないと学校側が思ったのだろう。私達のような問題児達を解体するべく学校が動いた。。気が付けば、一人、また一人と転校して行った。施設に入ったと噂が流れた子もいた。私も転校する一人に入った。母から聞いた話では担任と学級主任と生活指導の先生から呼び出され、「娘さんをこの学校でこれ以上受け入れる事は出来ません。」と言われたそうだ。しかし、私は納得がいかなかった。万引きしているのは私だけではないし、兄は自転車を盗難してきて、スプレーで塗装をして友人相手に売ったりもしていたのだ。その事で兄の友人の親からクレームが来たりもしていた。母に抗議したが聞き入れて貰える訳もなく、転校が決まった。



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