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ドイツの反ホロコースト否定論の紹介:ウルスラ・ハーバーベックは何を言っていたのか? その他。

アウシュヴィッツ・クロニクルの連載を中断して、今回はほとんど今まで紹介してこなかった、ドイツの反ホロコースト否定のサイト「Holocaust-Referenz」からいくつかの記事を翻訳紹介したいと思います。

今まで紹介してきた反ホロコーストに関する翻訳記事の元サイトの筆頭は、Holocaust Controversiesブログサイトですが、これは記事数がダントツで多いからです。あんまりにも多いので、多分その半分もまだ読めてないと思います。次いで多いのが、THHP(The Holocaust History Project:現在はPHDNで閲覧できます)だと思います。2000年台前半ごろまでは、Nizkorと呼ばれるサイトが反ホロコーストの筆頭格のサイトだったのですが、現在では規模をかなり縮小している様で、他のサイトで紹介されているNizkorにある記事のリンクを開こうとしても既にその記事が存在しないことがしばしばある様な状況です。

他にもまだいくつか、反ホロコースト否定のサイトはあるのですけれど、今回はその中からドイツ語のサイトであるHolocaust-Referenz(ホロコースト・リファレンス)から記事をいくつか紹介します。今の所、ドイツ語でネオナチや修正主義者への反論記事を公開しているサイトだという程度にしか知りません。

このサイトを紹介しようと思ったきっかけは、たまたまネットでウルスラ・ハーバーベック(Ursula Haverbeck)の名前を見かけたからです。ご尊顔はトプ画の通りで、ご存知の方も多いでしょう。実はハーバーベック氏は、この記事を書いている現時点、のつい最近(2024年11月20日)、亡くなられました

ウルスラ・ヘードヴィヒ・メタ・ハーバーヴェック=ヴェッツェル(旧姓ヴェッツェル、1928年11月8日 - 2024年11月20日)は、ドイツのネオナチ活動家で、フロト出身である。2004年以降、ホロコースト否定の罪で複数の訴訟を起こされ、有罪判決を受けている。ホロコースト否定はドイツでは刑事犯罪である。

彼女の夫はヴェルナー・ゲオルク・ハーバーベックで、ナチス時代には一時的にナチス党の国家指導部に従事していた。彼は1933年にドイツ帝国同盟(de)の創設者兼理事となり、作家兼出版社、歴史家、民俗学者、キリスト教共同体(The Christian Community)の牧師も務めた。[1]

2015年11月、87歳でホロコースト否定の罪で10か月の禁固刑を言い渡された。[3] 2016年秋に追加でいくつかの有罪判決を受けたため、さらに同様の刑期が追加された。彼女はすべての判決を不服として控訴したが、2018年5月7日、ドイツ警察に自宅で逮捕され、最新の2年間の実刑判決の服役を開始した。[4][5][6]

2020年末にビーレフェルトの刑務所から釈放された彼女は、すぐに再び起訴され、2022年3月に新たな裁判を受け、1年の実刑判決を受けた。[7][8] 2024年6月26日、彼女は再び有罪判決を受け、さらに16か月の実刑判決を受けた。[9]

WIkipediaより

どうやら、この最後の裁判判決を不服として控訴している間に亡くなられた様です。日本では彼女の死亡はニュースにならなかった様ですが、ニュースになった時には「ナチ(ナチス)ばあちゃん」と呼ばれることが多かった様です。

この様に日本でニュースになると、例えばYahoo!ニュースのコメント欄では「何もそんな高齢者を逮捕しなくともいいのに」とコメントする人が多かった様な印象がありますが、上のウィキペディアの紹介記事の内容を読めばわかる様に、何度も何度も逮捕され、釈放されてもすぐにホロコースト否定の主張を堂々と公に行ってはすぐに再逮捕を繰り返すような、ハーバーベックはガチガチのホロコースト否定論者でした。想像ですけれど、自分の命ある限りは、堂々とホロコースト否定論を主張して、絶対に屈しないという姿勢を貫き通したかったのでしょう。彼女の支援者が、まるで彼女がジャンヌ・ダルクであるかの様に煽てたのかもしれませんが。

「ばあちゃん」の響きは可愛く聞こえるかもしれませんが、ハーバーベック氏はそんな生優しい人ではありません。ドイツで実施された近年のナチ戦犯裁判を扱ったカナダの番組で見ましたが、その裁判を報道しようと集まった報道陣に向かって堂々と「アウシュヴィッツは嘘だ!」とプラカード持って主張しに、その裁判所前に来る様な人です。ホロコースト否定のプロパガンダのためなら逮捕も厭わないのです。彼女は、ある意味、最も強烈なホロコースト否定論者でした。

では、先ずはそのウルスラ・ハーバーベックがどんな主張をしていたのかについて、Holocaust-Referenzの記事の翻訳から紹介します。

▼翻訳開始▼


ウルスラ・ハーバーベック「最大の問題」

2015年、ハーバーベックはホロコーストに関する自身の見解をまとめた19分間の動画を公開した。予想通り、彼女はその中で当時何も起こらなかったことを「証明」している。約00:40の時点で彼女はこう述べている。

「誰もが知っているように、とりわけアウシュビッツで600万人のユダヤ人がガス室で殺害されたとされている。しかし、特に過去20年から25年の間に、この主張はますます疑わしいものとなっている。」

ウルスラ・ハーバーベック
『最大の問題』
必要不可欠で繰り返し行われる用語の再定義:
労働収容所、絶滅収容所―強制収容所
(動画、2015年、約19分)

この説明は誤解を招くものである。信頼できる歴史学は、「とりわけアウシュビッツで600万人のユダヤ人がガス室で殺害された」と主張しているわけではない。ここ数十年間で確立されている知識の水準は、おおむね以下の通りである。およそ300万人のユダヤ人が絶滅収容所で殺害され、そのうち100万人以上がアウシュビッツで命を奪われた。さらに300万人のユダヤ人が、絶滅収容所以外の場所で、いわゆる「アインザッツグルッペン」によって、ガス車や銃殺によって殺害された。


翻訳者註:「およそ300万人のユダヤ人が絶滅収容所で殺害」はまぁ大体そうかなと思いますが、後半のアインザッツグルッペンが残り300万人を殺害ってのはちょっと雑すぎるにも程があり、はっきり言えば間違ってます。例えば、柴健介氏は『ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量虐殺の全貌』(中公新書)で以下の様に述べています。流石にアインザッツグルッペンのみで300万人は見たことありません。

 行動部隊(アインザッツグルッペン)、武装親衛隊、国防軍などの部隊によって大量射殺された人びとが約一三〇万名。ベウジェツ、ソビブル、トレブリンカ、マイダネク、アウシュヴィッツという五つの恒久的絶滅収容所でガス殺 された人びとが約三○○万名。ヘウムノ絶滅収容所、ベラルーシ(特にミンスク)、エストニアをはじめ、本文では言及しなかったがクリミア地方、カフカース地方で多用されたガス・トラックで殺害された人びとが約七○万名。ゲットーで亡くなった人びとが約一〇〇万名(飢え・病での死者が約八割)。 さらに、強制収容所で亡くなった人びとや、戦争末期収容所解体後、「死の行進」の途次亡くなった人 びとを加えれば、六〇〇万名は下らないと見積もられる。


ハーバーベックは歴史学がそもそも主張していない立場を攻撃している。これはホロコースト否認論者によく見られる手法である。

00:56の時点で、彼女は「アウシュビッツ自体の犠牲者数の減少」に言及している。これもまた、アウシュビッツ否認論者の間で既に論破された手口である。01:06の時点で、彼女はこの場合それが何を意味するのかを次のように説明している。

「1993年10月8日、400万人が殺害されたと記された銘板が取り外され、わずか150万人と記された別の銘板に置き換えられた。」

ウルスラ・ハーバーベック
『最大の問題』

これは「修正主義者」にとってさえ驚くべきこと――いや、むしろ恥ずかしいことかもしれないが、ハーバーベックがいまだにこの誤った主張に依拠している点である。

02:09の時点で、彼女はフリットヨフ・マイヤーに言及し、「アウシュビッツ自体では誰もガス室で殺害されていない」と述べている。しかし、フリットヨフ・マイヤーは、自身の見解として、36万5千人のユダヤ人がアウシュビッツ収容所の外にある農家で殺害されたと説明している。

フリットヨフ・マイヤーの計算と主張は誤り日本語訳)であり、受け入れがたい。アウシュビッツでは100万人以上が殺害されたが、ハーバーベックが少なくとも大量殺人が行われたことを認める文章でホロコーストを否定することを選んだ理由を不思議に思わずにはいられない。

さらに、彼女はマイヤーの文章で別の問題にぶつかる。なぜなら、マイヤーは、400万人というアウシュビッツの犠牲者数はソビエトのプロパガンダによるものだったと正しく書いているからだ。

04:10で彼女は現代史研究所が発行した場所と指揮命令について言及し、次のように述べている。

「…そこからは、アウシュビッツが絶滅収容所ではなく、労働収容所であり、そこでの人々はできるだけ労働能力を維持するようにされていたことが明確かつ論破できない形で示されている。」

ウルスラ・ハーバーベック
『最大の問題』

まず第一に、これは意図的な欺瞞である。アウシュビッツは強制労働収容所であり、絶滅収容所でもあった。

この複合施設は、3つの大きな区域に分かれていた。アウシュビッツI(基幹収容所)、アウシュビッツII(ビルケナウ)、アウシュビッツIII(モノヴィッツ)である。基幹収容所では、ガス室での処刑は初期のみ行われ、その間に約1万人の囚人が殺害された。はるかに大規模な大量殺戮は、その後ビルケナウで起こった。モノヴィッツは再び強制労働収容所となった。収容所に連行されたユダヤ人は「ランプ」で選別された。働ける者は、しばらくの間、ひどい環境で生活することを許された。あまりにも病気がちであったり、高齢であったり、体が弱かったりした者は殺害された。

次に、3Sat Kulturzeitのビデオでは、ノルベルト・フライが所長命令の主たる責任に明確に反論している(6:08)。

「もちろん、これらはその証拠ではないが、それどころか、アウシュビッツ強制収容所やこのアウシュビッツ複合体が、ある時点において絶滅収容所にもなっていたことを示す、多かれ少なかれ隠された、しかし簡単に解読できる兆候が豊富に含まれている。(…)それらは非常に多くの人々、非常に広範囲に配布された文書であり、そこでは当然、ホロコーストの詳細が記録されることはないだろう。」

ノルベルト・フライ著:
3Sat Kulturzeit

08:10、ハーバーベックは、アウシュビッツの司令官であったルドルフ・ヘスが拷問によって自白を強要されたという、すでに否定されている古い神話を繰り返した。

09:26、ホロコースト否定論者らしく、彼らの思想世界の陰謀論に駆られた部分が明るみに出る。

「…ホロコーストは歴史上最大かつ最も持続的な嘘である。それが必要だったのは、ついに何世紀も前から目指されてきた選ばれし者たちの世界支配を完成させるためであった (...) 我々がそれらをシオニスト、カザール人、オリガルヒ、あるいはグローバリストと呼ぶかどうかに関わらず、それらはいつも同じ者たちである。」

ウルスラ・ハーバーベック
『最大の問題』

もちろん、ナチスにとってユダヤ人は世界の諸悪の根源である。ハーバーベックは、この点については、ユダヤ人の儀式殺人の件をわざと省いていた。

そして、彼女はすでに反ユダヤ主義のプロパガンダを広めているので、いわゆるユダヤ人の宣戦布告は欠かすことができない(12:44)。

「ハーグ陸戦条約によると、敵国の親族は抑留される可能性がある(...)」

ウルスラ・ハーバーベック
『最大の問題』

他のすべての異論はさておき、この主張は、単に、世界中のユダヤ人全員を代表してそのような宣言を行うことのできる国際法の主体が存在しなかったという理由で失敗している。


翻訳者註:これは何の話かというと、元動画のドイツ語がわからないので断定はできませんが、これのことかと思います。


ウルスラ・ハーバーベックは、極右勢力の象徴的存在とされている。デモでは「ハーバーベックに自由を」と書かれた横断幕がよく見られる。これは、おそらく「私たちは今ホロコーストを否定したいが、残念ながら許されていない」という意味だろう。

さて、ホロコースト否定論者を投獄することが妥当かどうかについては議論の余地がある。しかし、ハーバーベックのような人物が、前述のような薄弱な主張にもかかわらず、これほどまでに支持を集めているのであれば、いわゆる「修正主義」が健全な状態にあるとは言えないことは注目に値する。

▲翻訳終了▲

ハーバーベック氏が主張していた否定論は、歴史をよく知らない様な無知な人によって主張される否定論とそんなに変わりません。要は、言ってることがメチャクチャで、その大半がストローマン論法なのです。「600万人がアウシュヴィッツのガス室で殺されたなんて嘘っぱちだ!」なんてその最たるものでしょう。

では続いて・・・記事はたくさんあるので、選ぶのは本当に適当に、ダーツの旅の様に。

▼翻訳開始▼

「修正主義的」言語学:絶滅? そんなことは断じてあり得ない!

ナチスは暗号言語を使って自分たちの犯罪を隠蔽していた。しかし、時には平易な言葉で話すこともあった。

ホロコースト否定論者の対応文書に対する反応は、通常、2つのカテゴリーに分類される。

暗号言語について語る際、信頼できる歴史家たちは、読者に対して「文書に書かれている内容そのものを読んでは理解できない」と主張しているかのように言われる。一方で、明白な言葉について語る際には、「修正主義者」たちは、読者に対して「文書に書かれている内容を決してそのまま読んではならない」と主張しているかのように見える。

奇妙に聞こえるかもしれないが、それが「修正主義」のあり方なのだ(ゲルマー・ルドルフ著『現代史の基礎』を参照)。

カルロ・マットーニョは、2004年3月の『自由な歴史研究のための四半期誌』で、「絶滅」(Ausrotten)と「全滅」(Vernichtung)という用語に1つの章をまるごと割いている。とりわけ、彼は1939年1月30日のヒトラーの演説の次の部分に言及している。

今日、私は再び預言者になりたい。もしヨーロッパ内外の国際的なユダヤ金融が、各国を再び世界大戦に突入させることに成功したとしても、その結果は地球のボルシェビキ化、つまりユダヤ教の勝利ではなく、ヨーロッパにおけるユダヤ人種の全滅(Vernichtung)となるだろう!

非ユダヤ民族の宣伝的な無防備な時代は終わった。国家社会主義ドイツとファシストイタリアは、多くの国々が本能的に気づいているが、科学的に明確になっていない問題の本質を、必要であれば世界に啓発することが可能な機関を有している。

引用元:ドイツ史の資料と画像

マットーニョは、第2段落はしばしば省略されるが、「全滅」(vernichten)という言葉をまったく異なる意味に解釈していると主張している。一方、マットーニョは、「絶滅」(ausrotten)と「全滅」(vernichten)は同じ意味であると説明している。つまり、彼は今、再定義しなければならない2つの用語を持っているのだ。


翻訳者註:ドイツ語の「ausrotten」と「vernichten」は、日本語では非常に区別しづらい言葉です。コトバンクで調べると、

ausrotten
プログレッシブ 独和辞典の解説
aus|rot・ten, [áυsrɔtən]
[動] (01) (他) (h) ((et4))(害虫など4を)完全に駆除する;(動植物4を)絶滅させる;(先入観など4を)根絶〈一掃〉する.

vernichten
プログレッシブ 独和辞典の解説
ver•nich・ten, [fεrnÍçtən フエあニヒテン]
[動] (01ge:vernichtete/vernichtet) (他) (h) ((j-et4))(…4を)全滅させる,根絶する;(希望・計画など4を)粉砕する;(文書など4を)破棄〈処分〉するSchädlinge 〈Unkraut〉 vernichten\害虫〈雑草〉を撲滅する
【現在分詞で】ein vernichtender Blick\非難がましい〈軽べつの〉まなざしeine vernichtende Kritik\さんざんな酷評.

などとありますが、特に意味が違わないことがわかるかと思います。強いていうならば、「ausrotten」は動植物を対象とする単語である様で、「vernichten」は全滅・絶滅させる様な行為を示す単語である様です。しかし、どちらも「絶滅」と翻訳して問題はないでしょう。ここでは単語自体が異なるので、日本語訳を変えているだけです。

以下、日本語では表現しにくい部分があるのでわかりにくくなっている部分があるかと思いますが、この記事で問題にしているのはヒトラーらが使用した「ausrotten」や「vernichten」というドイツ語が、肉体的な破壊=殺害という意味での「絶滅」を意味しないと解釈して、「ユダヤ人絶滅=大量虐殺とは言っていない」と主張する修正主義者らへの反論であることに留意してください。


「ヨーロッパにおけるユダヤ人種の『全滅』(vernichten)とは、単に他の民族がドイツおよびファシストの諸制度に親しむようにし、それによって『ユダヤ問題』に関する科学的な知識を提供することを意味していた。」

カルロ・マットーニョ
『「歴史の否定」か?―証拠の否定! 第2部』
VffG 2004/3

マットーニョが、ヒトラーが「全滅」(vernichten)と「絶滅」(ausrotten)という用語を同義語として使用していたという事実を引用しているのは興味深い。なぜなら、1939年1月30日のヒトラーの演説には、ムッソリーニのイタリアとの関係に関する次のセクションも含まれているからだ。

ヨーロッパが迫り来るボルシェビキによる全滅(vernichten)から救われるのは、この連帯においてである。

ドイツの歴史

もしマットーニョがヒトラーに「ボルシェビズムはヨーロッパにその制度を馴染ませ、知識を授けたいだけだ」とでも言えば、ヒトラーを安心させることができただろうか?

さらにいくつかの、ある程度巧妙に誤解を招くような引用の後、マットニョは言う。

要約すると、ヒトラーはドイツの敗北がドイツ人だけでなくヨーロッパ全民族の生物学的な絶滅(Ausrottung)をもたらすだろうと信じていた(!)ということになるが、これは明らかに荒唐無稽な考えである。あるいは、彼は「全滅」(Vernichtung)や「絶滅」(Ausrottung)という用語をユダヤ人に関して比喩的な意味で使用していたということになる。

マットーニョ、前掲書。

いずれにせよ、マットーニョ氏、いずれかである。とにかく「いずれか」である。ヒトラーは時折、実に馬鹿げた考えを持っていたことは確かだ。それはさておき、「全滅」と「絶滅」に比喩的な意味はない。少なくとも、マットーニョが考えているような意味ではない。それらにはただ一つの意味しかない。「全滅」や「絶滅」される物事や思想は、破壊されるか存在しなくなる。生命体が「全滅」や「絶滅」される場合、それは死んでいるということだ。

ヒトラーはこの点について非常に明確であった。

「なぜなら、ボルシェヴィズムがドイツに勝利した場合、それはヴェルサイユ条約には至らず、ドイツ民族の最終的な全滅(Vernichtung)、さらには絶滅(Ausrottung)につながるからである。」

アドルフ・ヒトラーの覚書
「四カ年計画の課題について」
1936年8月、オーバーザルツベルク

あるいは、ゲッベルスの監督の下で書かれた本で、ヒトラーの考えを歪めてはいない本では:

ユダヤ人による民族虐殺

8000万人の民族を冷酷に絶滅させる(auszurotten)という、この計画がいかに途方もないものであるように思えるとしても、また、その計画自体が非現実的で信じがたいと考えがちであったとしても、それは世界ユダヤ人勢力によって現実的な政治計画として考えられたものである。我々は、ユダヤ人によって殺された最初の民族ではないだろう。

『ドイツは滅ぶべきだ』
(『Germany must perish』)
ヴォルフガング・ディーヴェルゲ著
1941年、ベルリン
国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)中央出版社
フランツ・エアー後継者有限会社

出版社と出版年を確認する。

つまり、ヒトラーの政党の出版社が「絶滅」という言葉を「殺人」と同義語として提示しているのだ。マットーニョは「絶滅」という言葉をどのように解釈しようとも自由だが、ヒトラーとその支持者たちは、そのような危険が存在することを確信していたようで、しばしば死闘について語っていた。

やはりネイティブスピーカーであり、マットーニョの翻訳者として頻繁に登場するユルゲン・グラーフも、驚くほど同様の方法で進めている。

現代の言語使用では「ausrotten」は、ロシア語の同義語「istrebit」と同じく、「殺す、物理的に排除する」という意味が明確である。しかし、以前はより残虐でない意味を持っていた、それは「権力を奪う」ことを意味していた。語源的には、この言葉は「根こそぎにする」、ロシア語の「iskorenit」と同じ意味である。

ヒトラーは『わが闘争』の中で、オーストリア=ハンガリー帝国におけるドイツ語話者の状況について次のように書いている。

「ドイツ国民に課せられた負担は甚大であり、納税や流血による犠牲も甚大であった。しかし、完全に盲目でない人であれば、こうしたことがすべて無駄になることは明らかであった。私たちにとって最も痛手だったのは、体制全体がドイツとの同盟によって道徳的に覆い隠されていたという事実であり、旧君主制におけるドイツ的なものの緩慢な絶滅(Ausrottung)は、いわばドイツ自身によって承認されていたのだ。」

ヒトラーがドイツ民族に対して、ハプスブルク帝国で「絶滅」の危機が迫っていると書いたとき、彼が言いたかったのは、フランツ・ヨーゼフ皇帝が10百万のドイツ系オーストリア人をすべてガス室で殺すつもりだった、または射殺するつもりだったということではないだろう。

ユルゲン・グラーフ
『新世界秩序とホロコースト』、S. 117(PDF)

この時点で、グラーフは翻訳にミスを犯している。ヒトラーはドイツ民族の絶滅についてではなく、ドイツ人らしさの絶滅について書いている。これは純粋に非物質的なレベルでは確かに理解できる。例えば、誤りを排除(より正確には解消)することは可能であり、誤りに屈した人が必ずしもその誤りのために死ぬわけではない。

正しい意味は次の通りである。もし誤りが「絶滅」されるなら、それはもはや存在しない。もしドイツ民族が「絶滅」されるなら、それはもはや存在しない。もしドイツ人が「絶滅」されるなら、彼らはもはや生きていない。もしユダヤ人が「絶滅」されるなら、それは殺されることを意味する。「絶滅」という言葉は、常にそして一貫して、何かを完全に消し去ることを意味する。もしそれが思想に関することであれば、その思想の担い手は生き残ることができる。しかし、それが人間に関することであれば、彼らは死ぬのである。 

最も原義的な意味で、樹木の「根こそぎ」(Ausroden)を指す場合でも、被害を受けた樹木は枯れてしまう。

「絶滅」(ausrotten)という用語の意味が変わったという主張が時折なされるが、それは明らかに事実ではない。ナチスは、今日私たちが理解しているのと同じ意味でこの用語を使用していた。

1854年のグリム辞書にはすでに「絶滅」(ausrotten)の例が挙げられており、「比喩的には聖書で非常に多く見られる」が、「根絶」(ausroden)の意味での絶滅(Ausrotten)は「殺す」ことと同義であることも、やはり聖書の引用を引用して強調している。「生ける者の地から木を根絶やし(ausrotten)にしよう」(グリム辞書、1854年参照)。

1793年のアデリングの辞書には、当時すでに、生物の絶滅(Ausrotten)は殺すこと以外に意味がないと理解されていたことが示されている。興味深いことに、これはまさに比喩的な意味として定義されている(ヨハン・クリストフ・アデリング著『Grammatisch-kritisches Wörterbuch der hochdeutschen Mundart』ライプツィヒ、1793年を参照)。

アデリング、1793年:絶滅=殺害

ここでも、英語の「root out」という表現が参照されているが、文脈を無視して「根こそぎ」という意味で文字通りに解釈するのが好きな「修正主義者」がいる。

「根こそぎ」という訳語は、植物に対しては完全に正しいが、英語を母国語とする人々が植物について話す際に驚くほど頻繁に使用しており、それを人にも(誤って)適用している。

ゲッベルスは、当時のユダヤ人に対する「絶滅」(Ausrotten)という言葉の解釈についても疑いの余地を残さなかった。

「ユダヤ人は文明化された人類のシラミである。彼らを何とかして絶滅(Ausrotten)させなければならない…」

ゲッベルス日記、1941年11月2日
引用:ゲッツ・アリー、『最終解決』、フランクフルト/マイン、1995年、S. 374

ゲッベルスがここで考えたのは、シラミ(あるいはユダヤ人)にファシストの制度を説明し、科学的知識を授けることではなかったと思う。

ユルゲン・グラーフが「絶滅」(Ausrotten)という語の語源が「根こそぎにする」や「根こそぎにする」といった言葉に遡るという指摘は正しい。しかし、「絶滅」(Ausrotten)が当時、人々に対して比較的無害な意味で使われていたという彼の主張は、まったくもって正しくない。

パンフレット『ポーランドの血塗られた罪』(1940年頃)では、一方では「ブロムベルクの血の日曜日」に関連して、ポーランドにおけるドイツ人の追放と強制退去について語られている。

繰り返しになるが、駆除=殺すということだ。

一方、「絶滅」(Ausrotten)という言葉もそこに登場しており、より明確にするために、その文章には死体の写真が添えられている。

ヒムラーの発言からも明らかであるように、ナチスはユダヤ主義とボルシェヴィズム(これもユダヤ主義に結びつけられていた)に対する戦いを、文字通り「生き残るための戦い」として捉えていた。

「地球上に人間が存在する限り、人間と下等人種との戦いは歴史的な規則であり、このユダヤ人によって導かれた民族に対する戦いは、私たちが振り返る限り、地球上の生命の自然な流れに属していると言える。これは、生死をかけた戦いがペスト菌と健康な身体との戦いと同じく、自然法則であるという確信を持って述べることができるだろう。
(...)
この絶滅の意志(Vernichtungswillens)を具現化したものは今日、ボルシェヴィズムである。しかし、このボルシェヴィズムは一時的な現象ではない。それは私たちの時代の産物ではない!それは人類史における新しいものではない。それはユダヤ人そのものと同じくらい古い。」

ハインリヒ・ヒムラー
『下等人種』の序文
SS本部、1942年

見ての通り、「絶滅させる=殺す」という意味は数世紀の間変わっていない。そして、ほぼ次のように言えるだろう。「修正主義者」は、この古い話を同じくらい長い間あたためてきたのだ。

主に英語話者による参加者とのこのトピックに関するいくつかの議論は、Nizkorアーカイブに記録されている。

▲翻訳終了▲

「当時のヒトラーらは、「ausrotten」や「vernichten」をやばい意味では使っていないのだ!」というアホらしい言い分は、以下のあまりに明確なヒムラーのポーゼン演説でも見られます。

ここでは、あまりにも明確に、ナチス親衛隊による隠語である「ユダヤ人の疎開」をはっきり「ユダヤ人の絶滅である」と親衛隊トップのヒムラーが親衛隊将校らを前にはっきり言っているのに、それは「ユダヤ人の強制送還や排除を意味しているのだ!」とウソ解釈を示すのが修正主義者らのやり方です。

今回はこんなところかな。結構たくさん記事がある様なのですが、探しにくいのが難点。ドイツ語、翻訳しないとさっぱりわからへんし(笑)

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