ドイツの反ホロコースト否定論の紹介:ウルスラ・ハーバーベックは何を言っていたのか? その他。
アウシュヴィッツ・クロニクルの連載を中断して、今回はほとんど今まで紹介してこなかった、ドイツの反ホロコースト否定のサイト「Holocaust-Referenz」からいくつかの記事を翻訳紹介したいと思います。
今まで紹介してきた反ホロコーストに関する翻訳記事の元サイトの筆頭は、Holocaust Controversiesブログサイトですが、これは記事数がダントツで多いからです。あんまりにも多いので、多分その半分もまだ読めてないと思います。次いで多いのが、THHP(The Holocaust History Project:現在はPHDNで閲覧できます)だと思います。2000年台前半ごろまでは、Nizkorと呼ばれるサイトが反ホロコーストの筆頭格のサイトだったのですが、現在では規模をかなり縮小している様で、他のサイトで紹介されているNizkorにある記事のリンクを開こうとしても既にその記事が存在しないことがしばしばある様な状況です。
他にもまだいくつか、反ホロコースト否定のサイトはあるのですけれど、今回はその中からドイツ語のサイトであるHolocaust-Referenz(ホロコースト・リファレンス)から記事をいくつか紹介します。今の所、ドイツ語でネオナチや修正主義者への反論記事を公開しているサイトだという程度にしか知りません。
このサイトを紹介しようと思ったきっかけは、たまたまネットでウルスラ・ハーバーベック(Ursula Haverbeck)の名前を見かけたからです。ご尊顔はトプ画の通りで、ご存知の方も多いでしょう。実はハーバーベック氏は、この記事を書いている現時点、のつい最近(2024年11月20日)、亡くなられました。
どうやら、この最後の裁判判決を不服として控訴している間に亡くなられた様です。日本では彼女の死亡はニュースにならなかった様ですが、ニュースになった時には「ナチ(ナチス)ばあちゃん」と呼ばれることが多かった様です。
この様に日本でニュースになると、例えばYahoo!ニュースのコメント欄では「何もそんな高齢者を逮捕しなくともいいのに」とコメントする人が多かった様な印象がありますが、上のウィキペディアの紹介記事の内容を読めばわかる様に、何度も何度も逮捕され、釈放されてもすぐにホロコースト否定の主張を堂々と公に行ってはすぐに再逮捕を繰り返すような、ハーバーベックはガチガチのホロコースト否定論者でした。想像ですけれど、自分の命ある限りは、堂々とホロコースト否定論を主張して、絶対に屈しないという姿勢を貫き通したかったのでしょう。彼女の支援者が、まるで彼女がジャンヌ・ダルクであるかの様に煽てたのかもしれませんが。
「ばあちゃん」の響きは可愛く聞こえるかもしれませんが、ハーバーベック氏はそんな生優しい人ではありません。ドイツで実施された近年のナチ戦犯裁判を扱ったカナダの番組で見ましたが、その裁判を報道しようと集まった報道陣に向かって堂々と「アウシュヴィッツは嘘だ!」とプラカード持って主張しに、その裁判所前に来る様な人です。ホロコースト否定のプロパガンダのためなら逮捕も厭わないのです。彼女は、ある意味、最も強烈なホロコースト否定論者でした。
では、先ずはそのウルスラ・ハーバーベックがどんな主張をしていたのかについて、Holocaust-Referenzの記事の翻訳から紹介します。
▼翻訳開始▼
ウルスラ・ハーバーベック「最大の問題」
2015年、ハーバーベックはホロコーストに関する自身の見解をまとめた19分間の動画を公開した。予想通り、彼女はその中で当時何も起こらなかったことを「証明」している。約00:40の時点で彼女はこう述べている。
この説明は誤解を招くものである。信頼できる歴史学は、「とりわけアウシュビッツで600万人のユダヤ人がガス室で殺害された」と主張しているわけではない。ここ数十年間で確立されている知識の水準は、おおむね以下の通りである。およそ300万人のユダヤ人が絶滅収容所で殺害され、そのうち100万人以上がアウシュビッツで命を奪われた。さらに300万人のユダヤ人が、絶滅収容所以外の場所で、いわゆる「アインザッツグルッペン」によって、ガス車や銃殺によって殺害された。
翻訳者註:「およそ300万人のユダヤ人が絶滅収容所で殺害」はまぁ大体そうかなと思いますが、後半のアインザッツグルッペンが残り300万人を殺害ってのはちょっと雑すぎるにも程があり、はっきり言えば間違ってます。例えば、柴健介氏は『ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量虐殺の全貌』(中公新書)で以下の様に述べています。流石にアインザッツグルッペンのみで300万人は見たことありません。
ハーバーベックは歴史学がそもそも主張していない立場を攻撃している。これはホロコースト否認論者によく見られる手法である。
00:56の時点で、彼女は「アウシュビッツ自体の犠牲者数の減少」に言及している。これもまた、アウシュビッツ否認論者の間で既に論破された手口である。01:06の時点で、彼女はこの場合それが何を意味するのかを次のように説明している。
これは「修正主義者」にとってさえ驚くべきこと――いや、むしろ恥ずかしいことかもしれないが、ハーバーベックがいまだにこの誤った主張に依拠している点である。
02:09の時点で、彼女はフリットヨフ・マイヤーに言及し、「アウシュビッツ自体では誰もガス室で殺害されていない」と述べている。しかし、フリットヨフ・マイヤーは、自身の見解として、36万5千人のユダヤ人がアウシュビッツ収容所の外にある農家で殺害されたと説明している。
フリットヨフ・マイヤーの計算と主張は誤り(日本語訳)であり、受け入れがたい。アウシュビッツでは100万人以上が殺害されたが、ハーバーベックが少なくとも大量殺人が行われたことを認める文章でホロコーストを否定することを選んだ理由を不思議に思わずにはいられない。
さらに、彼女はマイヤーの文章で別の問題にぶつかる。なぜなら、マイヤーは、400万人というアウシュビッツの犠牲者数はソビエトのプロパガンダによるものだったと正しく書いているからだ。
04:10で彼女は現代史研究所が発行した場所と指揮命令について言及し、次のように述べている。
まず第一に、これは意図的な欺瞞である。アウシュビッツは強制労働収容所であり、絶滅収容所でもあった。
この複合施設は、3つの大きな区域に分かれていた。アウシュビッツI(基幹収容所)、アウシュビッツII(ビルケナウ)、アウシュビッツIII(モノヴィッツ)である。基幹収容所では、ガス室での処刑は初期のみ行われ、その間に約1万人の囚人が殺害された。はるかに大規模な大量殺戮は、その後ビルケナウで起こった。モノヴィッツは再び強制労働収容所となった。収容所に連行されたユダヤ人は「ランプ」で選別された。働ける者は、しばらくの間、ひどい環境で生活することを許された。あまりにも病気がちであったり、高齢であったり、体が弱かったりした者は殺害された。
次に、3Sat Kulturzeitのビデオでは、ノルベルト・フライが所長命令の主たる責任に明確に反論している(6:08)。
08:10、ハーバーベックは、アウシュビッツの司令官であったルドルフ・ヘスが拷問によって自白を強要されたという、すでに否定されている古い神話を繰り返した。
09:26、ホロコースト否定論者らしく、彼らの思想世界の陰謀論に駆られた部分が明るみに出る。
もちろん、ナチスにとってユダヤ人は世界の諸悪の根源である。ハーバーベックは、この点については、ユダヤ人の儀式殺人の件をわざと省いていた。
そして、彼女はすでに反ユダヤ主義のプロパガンダを広めているので、いわゆるユダヤ人の宣戦布告は欠かすことができない(12:44)。
他のすべての異論はさておき、この主張は、単に、世界中のユダヤ人全員を代表してそのような宣言を行うことのできる国際法の主体が存在しなかったという理由で失敗している。
翻訳者註:これは何の話かというと、元動画のドイツ語がわからないので断定はできませんが、これのことかと思います。
ウルスラ・ハーバーベックは、極右勢力の象徴的存在とされている。デモでは「ハーバーベックに自由を」と書かれた横断幕がよく見られる。これは、おそらく「私たちは今ホロコーストを否定したいが、残念ながら許されていない」という意味だろう。
さて、ホロコースト否定論者を投獄することが妥当かどうかについては議論の余地がある。しかし、ハーバーベックのような人物が、前述のような薄弱な主張にもかかわらず、これほどまでに支持を集めているのであれば、いわゆる「修正主義」が健全な状態にあるとは言えないことは注目に値する。
▲翻訳終了▲
ハーバーベック氏が主張していた否定論は、歴史をよく知らない様な無知な人によって主張される否定論とそんなに変わりません。要は、言ってることがメチャクチャで、その大半がストローマン論法なのです。「600万人がアウシュヴィッツのガス室で殺されたなんて嘘っぱちだ!」なんてその最たるものでしょう。
では続いて・・・記事はたくさんあるので、選ぶのは本当に適当に、ダーツの旅の様に。
▼翻訳開始▼
「修正主義的」言語学:絶滅? そんなことは断じてあり得ない!
ナチスは暗号言語を使って自分たちの犯罪を隠蔽していた。しかし、時には平易な言葉で話すこともあった。
ホロコースト否定論者の対応文書に対する反応は、通常、2つのカテゴリーに分類される。
暗号言語について語る際、信頼できる歴史家たちは、読者に対して「文書に書かれている内容そのものを読んでは理解できない」と主張しているかのように言われる。一方で、明白な言葉について語る際には、「修正主義者」たちは、読者に対して「文書に書かれている内容を決してそのまま読んではならない」と主張しているかのように見える。
奇妙に聞こえるかもしれないが、それが「修正主義」のあり方なのだ(ゲルマー・ルドルフ著『現代史の基礎』を参照)。
カルロ・マットーニョは、2004年3月の『自由な歴史研究のための四半期誌』で、「絶滅」(Ausrotten)と「全滅」(Vernichtung)という用語に1つの章をまるごと割いている。とりわけ、彼は1939年1月30日のヒトラーの演説の次の部分に言及している。
マットーニョは、第2段落はしばしば省略されるが、「全滅」(vernichten)という言葉をまったく異なる意味に解釈していると主張している。一方、マットーニョは、「絶滅」(ausrotten)と「全滅」(vernichten)は同じ意味であると説明している。つまり、彼は今、再定義しなければならない2つの用語を持っているのだ。
翻訳者註:ドイツ語の「ausrotten」と「vernichten」は、日本語では非常に区別しづらい言葉です。コトバンクで調べると、
などとありますが、特に意味が違わないことがわかるかと思います。強いていうならば、「ausrotten」は動植物を対象とする単語である様で、「vernichten」は全滅・絶滅させる様な行為を示す単語である様です。しかし、どちらも「絶滅」と翻訳して問題はないでしょう。ここでは単語自体が異なるので、日本語訳を変えているだけです。
以下、日本語では表現しにくい部分があるのでわかりにくくなっている部分があるかと思いますが、この記事で問題にしているのはヒトラーらが使用した「ausrotten」や「vernichten」というドイツ語が、肉体的な破壊=殺害という意味での「絶滅」を意味しないと解釈して、「ユダヤ人絶滅=大量虐殺とは言っていない」と主張する修正主義者らへの反論であることに留意してください。
マットーニョが、ヒトラーが「全滅」(vernichten)と「絶滅」(ausrotten)という用語を同義語として使用していたという事実を引用しているのは興味深い。なぜなら、1939年1月30日のヒトラーの演説には、ムッソリーニのイタリアとの関係に関する次のセクションも含まれているからだ。
もしマットーニョがヒトラーに「ボルシェビズムはヨーロッパにその制度を馴染ませ、知識を授けたいだけだ」とでも言えば、ヒトラーを安心させることができただろうか?
さらにいくつかの、ある程度巧妙に誤解を招くような引用の後、マットニョは言う。
いずれにせよ、マットーニョ氏、いずれかである。とにかく「いずれか」である。ヒトラーは時折、実に馬鹿げた考えを持っていたことは確かだ。それはさておき、「全滅」と「絶滅」に比喩的な意味はない。少なくとも、マットーニョが考えているような意味ではない。それらにはただ一つの意味しかない。「全滅」や「絶滅」される物事や思想は、破壊されるか存在しなくなる。生命体が「全滅」や「絶滅」される場合、それは死んでいるということだ。
ヒトラーはこの点について非常に明確であった。
あるいは、ゲッベルスの監督の下で書かれた本で、ヒトラーの考えを歪めてはいない本では:
出版社と出版年を確認する。
つまり、ヒトラーの政党の出版社が「絶滅」という言葉を「殺人」と同義語として提示しているのだ。マットーニョは「絶滅」という言葉をどのように解釈しようとも自由だが、ヒトラーとその支持者たちは、そのような危険が存在することを確信していたようで、しばしば死闘について語っていた。
やはりネイティブスピーカーであり、マットーニョの翻訳者として頻繁に登場するユルゲン・グラーフも、驚くほど同様の方法で進めている。
この時点で、グラーフは翻訳にミスを犯している。ヒトラーはドイツ民族の絶滅についてではなく、ドイツ人らしさの絶滅について書いている。これは純粋に非物質的なレベルでは確かに理解できる。例えば、誤りを排除(より正確には解消)することは可能であり、誤りに屈した人が必ずしもその誤りのために死ぬわけではない。
正しい意味は次の通りである。もし誤りが「絶滅」されるなら、それはもはや存在しない。もしドイツ民族が「絶滅」されるなら、それはもはや存在しない。もしドイツ人が「絶滅」されるなら、彼らはもはや生きていない。もしユダヤ人が「絶滅」されるなら、それは殺されることを意味する。「絶滅」という言葉は、常にそして一貫して、何かを完全に消し去ることを意味する。もしそれが思想に関することであれば、その思想の担い手は生き残ることができる。しかし、それが人間に関することであれば、彼らは死ぬのである。
最も原義的な意味で、樹木の「根こそぎ」(Ausroden)を指す場合でも、被害を受けた樹木は枯れてしまう。
「絶滅」(ausrotten)という用語の意味が変わったという主張が時折なされるが、それは明らかに事実ではない。ナチスは、今日私たちが理解しているのと同じ意味でこの用語を使用していた。
1854年のグリム辞書にはすでに「絶滅」(ausrotten)の例が挙げられており、「比喩的には聖書で非常に多く見られる」が、「根絶」(ausroden)の意味での絶滅(Ausrotten)は「殺す」ことと同義であることも、やはり聖書の引用を引用して強調している。「生ける者の地から木を根絶やし(ausrotten)にしよう」(グリム辞書、1854年参照)。
1793年のアデリングの辞書には、当時すでに、生物の絶滅(Ausrotten)は殺すこと以外に意味がないと理解されていたことが示されている。興味深いことに、これはまさに比喩的な意味として定義されている(ヨハン・クリストフ・アデリング著『Grammatisch-kritisches Wörterbuch der hochdeutschen Mundart』ライプツィヒ、1793年を参照)。
ここでも、英語の「root out」という表現が参照されているが、文脈を無視して「根こそぎ」という意味で文字通りに解釈するのが好きな「修正主義者」がいる。
「根こそぎ」という訳語は、植物に対しては完全に正しいが、英語を母国語とする人々が植物について話す際に驚くほど頻繁に使用しており、それを人にも(誤って)適用している。
ゲッベルスは、当時のユダヤ人に対する「絶滅」(Ausrotten)という言葉の解釈についても疑いの余地を残さなかった。
ゲッベルスがここで考えたのは、シラミ(あるいはユダヤ人)にファシストの制度を説明し、科学的知識を授けることではなかったと思う。
ユルゲン・グラーフが「絶滅」(Ausrotten)という語の語源が「根こそぎにする」や「根こそぎにする」といった言葉に遡るという指摘は正しい。しかし、「絶滅」(Ausrotten)が当時、人々に対して比較的無害な意味で使われていたという彼の主張は、まったくもって正しくない。
パンフレット『ポーランドの血塗られた罪』(1940年頃)では、一方では「ブロムベルクの血の日曜日」に関連して、ポーランドにおけるドイツ人の追放と強制退去について語られている。
一方、「絶滅」(Ausrotten)という言葉もそこに登場しており、より明確にするために、その文章には死体の写真が添えられている。
ヒムラーの発言からも明らかであるように、ナチスはユダヤ主義とボルシェヴィズム(これもユダヤ主義に結びつけられていた)に対する戦いを、文字通り「生き残るための戦い」として捉えていた。
見ての通り、「絶滅させる=殺す」という意味は数世紀の間変わっていない。そして、ほぼ次のように言えるだろう。「修正主義者」は、この古い話を同じくらい長い間あたためてきたのだ。
主に英語話者による参加者とのこのトピックに関するいくつかの議論は、Nizkorアーカイブに記録されている。
▲翻訳終了▲
「当時のヒトラーらは、「ausrotten」や「vernichten」をやばい意味では使っていないのだ!」というアホらしい言い分は、以下のあまりに明確なヒムラーのポーゼン演説でも見られます。
ここでは、あまりにも明確に、ナチス親衛隊による隠語である「ユダヤ人の疎開」をはっきり「ユダヤ人の絶滅である」と親衛隊トップのヒムラーが親衛隊将校らを前にはっきり言っているのに、それは「ユダヤ人の強制送還や排除を意味しているのだ!」とウソ解釈を示すのが修正主義者らのやり方です。
今回はこんなところかな。結構たくさん記事がある様なのですが、探しにくいのが難点。ドイツ語、翻訳しないとさっぱりわからへんし(笑)